塵も積もればヒキコモリ@ひきこもりブログ

せいだ病とは??〜せいだ病とおかげ病〜

アクセス解析を見てると、なにやら「せいだ病」というワードで検索してくる人が急に多くなった。一体なんのことかと思って自分でも検索すると、どうやら「〜〜のせいで〜〜なのだ」というように結論づけて理不尽なことを言い出す人のことをこういうらしい??初耳だ。

要は正しい精神疾患とか病気じゃなくて、「中二病」とか「KY」とか「オバフォー」とかそういう類みたいなものかな。

しかし、せいだ病のせいにするというのも一種のせいだ病である、というパラドクスに陥るような気もするのだが。

「せいだ病のせいだ病」ですな。別名「世間病」です。

泉谷しげるの「すべて時代のせいにして」の一番だけに共感して、二番の「今だに大人げないこのオレの云うことなど聞くコトはない オレもお前の云うこと無視した 互いにちがう世界で生きればいい」はスルーする人が「せいだ病のせいだ病」です。治療しましょう。

あるいは「せいだ病」を駆逐しようとする人は、「おかげ(です)病」に陥っていないかどうか、気をつけるべきかもネ。

もっとも顕著な「おかげ病」は多分、空気読まなきゃ&親孝行しなきゃと何か(シアサッテの方向で)奮起してる人です。24時間テレビを見て泣き、たけしの教育白書を見て腕を組んでウーン日本の未来はどうなるのか、なんていう人です。末期症状は、素手でトイレを掃除しはじめたり、水にありがとうといったりするようになります。治療はもはや無理。

もちろんこれも「せいだ病」と同じくらい、本人は自覚症状がないままに回りに迷惑をかけて更には本人も無自覚なまま疲労困憊ストレスフル状態に陥っており、更に「おかげ病」患者で無意識にいつのまにか集団を作り共依存に陥っている場合がほとんどでしょう。つまり「家族病」「仲間病」です。

そう考えると、もはやこの世には「せいだ病のせいだ病」≒「おかげ病」患者がほとんど認知できないほどに蔓延ってしまってるようなものでしょう。ゾンビのようなものです。テレビのコメンテーターとか解説員とかが重症患者です。

そう、「せいだ病」の人こそが、もっとも目が覚めた人なのです。

そして日本にはびこる”おかげ病ゾンビ”たち。治療する手立てはほとんどないと思います。残念ながら。南無阿弥陀仏。エロイムエッサイム。エコエコアザラク。

(ちなみにひきこもりの親や周囲のやかましい人々は「自立しろ病」「自己責任だ病」です)



追記。その後「せいだ病」で検索してみると、本気で精神障害にそういう病名のものがあると思い込んでる人がいるのだけど、そういう訳ではないんでしょ?これは。

多分このせいだ病という言葉は、クレーム処理業界、あるいはせいだ病という言葉を使った人においてのみ有効な業界用語みたいなものではないかと思われる。

「せいだ病」の大元である事件についてちょっとだけ調べたのだけど、それを読んで僕がふと頭に思い浮かんだのはやっぱりジャック・ラカンの自罰パラノイア。症例エメってやつ。なので気になる人はそっち方面にあたってみるといいかも。精神疾患とか人格障害とか。

とにかく、多分「せいだ病」は本当の病気ではない。「せいだ病」で言い表すその人格は、他に名前があるはず。「潔癖症」がそういう病名ではないのと同じ(潔癖症は強迫性障害とかの範疇)。

そしてもっともまずいと思うのは、本当に不当な立場に立たされてる人が声をあげようとするとき、この「せいだ病」という言葉が認知されることで、「おまえはせいだ病だからだ」と断罪されてしまう可能性が高いということ。僕のこのブログも「せいだ病患者のブログ」で終わらされてしまう。

逆説的に言えることは、ある程度「〜〜のせいだ」としていかなければ生きてはいけない部分だってあるのだ。”許される「〜が〜なのは、〜のせいだ」”と、”許されない「〜が〜なのは、〜のせいだ」”なんて区別はない。許すことがなかなできないのはそれが嵩じて事件を起こしたことだけであり、「〜が〜なのは、〜のせいだ」自体そのものは、生きていくための薬でもある。実際、忙しい人ほどこの薬は服用しまくってるはずだ。そうじゃなきゃ忙しく日本を生きていくなんて無理(だとおもう)。

すべて自分のせいだと思い込んでいるひきこもりたちよ、少しは人のせいや親のせいにしていいんだぜ。そうじゃなきゃ本当にいつか自殺するしかなくなっちゃうんだぜ。


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読書メモ 生きてるだけでなぜ悪い?/中島義道、香山リカ

※読んだ本から気になった箇所を抜書しています。共感するところと反感するところ、両方とも抜書しています。

生きてるだけでなぜ悪い?―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋生きてるだけでなぜ悪い?―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋
(2008/06)
中島 義道香山 リカ

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お節介ながら、とにかくうんざりするのは、虚栄心と自己愛と弱さに何重にもくるまれて、他人を恐れ、仕事を恐れ、結婚を恐れ、与えられた者を恨み、成功者に唾して、しかも失敗を恐れて何もせずに時折ネット上で(匿名で)憂さ晴らしをしている膨大な数の干乾びた若い生命です。(P3)

中島 これは私の持論ですが、今の世の中において、特に若いときは家柄やお金ではなく肉体的魅力と知的魅力が極端に強調されていて、それらが恋愛の一つの目安になっていると思います。女性でも男性でも、そうした魅力が全くない人は不幸です。
男の場合、この二つがまったくない男性はたぶんダメでしょう。オタクは、その両方がない人ですね。電通大の数少ない女子学生に「オタクと付き合いたいですか」と聞くと、必ず「嫌です」と答えますよ。(P16-17)

中島 私がこれまでいろいろなところで非常勤講師をやってきた経験から分かったのは、偏差値の低い大学ほど「男としてのプライド」が強いことです。自分たちは頭があまりよくないことで非常に虐げられてきたから、女性には負けたくないという気持ちが必要以上に強くなるのです。(P22-23)

香山 女性はこれまで一生懸命に社会的地位の向上や仕事での自己実現で、そういう欠如感が埋まるのではないかといった幻想を抱いて頑張ってきました。でも、なかなかそうはならなくて、むしろ逆に高偏差値ですごく頑張っている人の中にちょっとしたことでつまずく人が多いのです。私のところに来ている人でも、ものすごく幼児的に退行してしまって、お母さんのおっぱいを吸うようにご主人のおっぱいを吸う人もいるのです。(P24)

中島 息子が彼女のことを母親に「彼女はあまり頭がよくないけれど、かわいらしくて性格がいいのです」と言ったとき、ほとんどの母親は「いいじゃないの」と言うでしょうが、その逆に、娘が彼氏のことを「仕事はできないけれど、かわいらしい『彼』です」と紹介するのはおそらくNGです。それが社会の現実です。(P28)

中島 電通大に来る学生は十五歳くらいまでは「将来は東大生」の可能性があったのに、最後の段階で東大をあきらめた人が多いのです。ですから、内に秘めた挫折感が強いというか、東大生に対するコンプレックスは強いですね。(P63)

中島 女子学生の場合には大きく分けて二つの可能性があるのです。自分のそういう「玉の輿」的生き方と自分自身が生き方を見つけることの二つです。
香山 そうそう。女性の場合、成功する方法には自分が社長になるか、社長夫人になるかの二つの方法がありますからね。
中島 男性には後者のケースはほとんどなくて、自分が社長になるしかないのも厳しいところですね。(P62-63)

香山 私の場合、本を書くのは本業ではないので、批判があろうがなかろうが言い訳できるといった要素が大きいですね。(P69)

中島 (……)なぜ、今の若者は失敗が風化するまであんなに時間がかかるのでしょうか。
香山 傷つき方、思い出し方はちょうどフラッシュバックするみたいな感じです。(……)水に流すのとは全く逆で、五年前のことを昨日のように再現してリアルに語れる人がすごく多いのは驚きです。特に女性にそういう人が多いようですね。(P75)

中島 (……)これも原則論ですが、書くことがある人はたとえ傷ついたとしても書きたくなるものです。あるいは書けば書くほど不満になるからまた書くのです。一冊で傷ついて辞めてしまうような人は書かなくていいのです。
香山 私の場合(……)「逃げ」の要素が大きいですね。(……)「これは本業じゃないから」「ペンネームで書いているから」といった理由で、実際の私に関係なく「言い訳が可能だからやっている」という要素もあります。(P76)

香山 (……)女性の場合、専業主婦という形でほとんど何もしていない人もいます。客観的に見て普通に働けるのに、何の疑問もなく夫の稼ぎで暮らしています。私は専業主婦はやったことがないですし、親以外の人のお金で食べたことがないから、人のお金を使うことが感覚的に信じられないのです。(P105)

香山 弟は私のことをダメな人間だと思っていますよ。子供のときに「自分は宇宙人で、今は人間の仮面を被っているけれど、お姉ちゃんにだけ素顔を見せようか」と夜中に言われて、恐くて眠れなくなったことがありました。不思議なのですが、弟はそうやって私を「支配」しているのです。(P112)

中島 (……)そもそも私はホリエモンに何の反感もなかったのですが、香山さんはどうでした?
香山 聞いた話によると、彼は子供のときに父親にすごく厳しくされて、虐待寸前の厳しい教育をされたらしいのです。父親から徹底的に自由を否定されて、「勉強しないとダメだ」「東大以外はカスだ」などと言われて、お父さんのことを恨んでいたようです。ある種、徹底的に自己否定されていたみたいで、そのリベンジの一つみたいな感じでお金儲けに走ったという見方もあります。(P116)

中島 これはびっくりするのですけれど、今の学生はいわゆる知識がまったくありません。一概に「ゆとり教育」のせいにはできませんが、二〇歳にもなってドストエフスキーすら知らないのです。(P132-133)

香山 以前、企業の社長さんたちと話したことがあるのですが、ある社長さんが「大学ってひどいところですよね(……)せっかく元気もあって才能もある一八歳の若者を四年間も拘束して、ダメにしてから会社に送りだしてくるとはひどいですよ」と憤っていました。(P133-134)

中島 (……)そういえば、「アダルトチルドレンやストーカーが増えたのは一九九五年ごろからだ」と香山さんは書いていらっしゃいますが、今もそういう人たちは増えていますか。
香山 急激に増えているとは思いませんが、ずっと一定数は存在していますね。
中島 そういう人たちは自分で努力することをしないで、相手に期待するだけの感じなのでしょうか。
香山 そうですね。最近気づいたのですが、今の学生はよく「ゆっくりしたい」と言うのです。学生だけでなくて患者さんも同じようなことを言うのですが、すでにゆっくりしているような人でも「ゆっくりしたい」と言っています(笑)。そんなに忙しいのかと思って話を聞いてみると、実際はそうでもなくて、何となく気分的に、「最近ゆっくりしていない」と思っているようです。(P146)

香山 突き詰めていくと、今流行しているスピリチュアル世界みたいに「あなたが選んで生まれてきたのだから」「生まれたくて生まれてきたのだから」など、いずれにしても「あなたが生まれたのには意味がある」という方向に行ってしまう危険性があります。
中島 それもちょっとおかしな考えです。今のスピリチュアル世界の話で言えば、女性はどうしてあんなに占いが好きなのか私には理解できません。
香山 誰でも自分が生まれてきた意味は分からないと思いますけれど、特に女性の場合は先ほどからお話ししていますように、自分の人生が男性によって大きく変わりかねません。女性はあまりにも自己決定できない要素が多い人生を送るからではないですか。やはり何者かによって人生は決められていると思いたいのです。
中島 そうですか。私はまったく信じないですけれどね。
香山 私も信じないですよ。でも(……)江原啓之さんはそのあたりさすがで、「あなたがこの世に生まれてきたことはあなたの意思ではなく、宇宙の意思です」「前世から決まっていたことです」などと言って、自分ではどうしようもないことだから、とにかく生きていかなければいけないと言いますね。
中島 そこが論理的につながらないと思うのです(笑)。決まっているのだったら何をしてもしょうがないでしょう。自殺すると決まっているかもしれないのですから。人の話を聞いても仕方がないと思うのですが。
香山 たいていの人は自殺する運命かもしれないとは思わないですよ。
中島 全部決まっているのだったら「このまま死んでもいいや」と考えても不思議ではありませんよね。
香山 江原さんは「自殺は魂のステージが低くなる」と言っています(笑)。
中島 そこで論理をすり替えているのです。(……)(P153-154)

香山 私はどちらかと言えば、疑いを持たずに働いている人のほうに共感してしまうのです。ですから、先ほど話したような能力はないのに希望だけは高い奥様が相談に来ると、仕事だから共感しなければいけないのですが、ついスリッパでひっぱたこうかと思ってしまうのです(笑)。(P180)

香山リカの一言 生まれたから、とりあえず生きてみる。それで何が悪い?(P192)

香山 私はいつも不思議に思うのですが、ときどき、大きな事件が一件あると日本人は大騒ぎします。たとえば学校で何か事件が起きると、すぐに「校門は絶対に閉めないといけない」と騒ぎたてます。たった一件ですよ。それこそ例外的な事件かもしれないのに、それで世の中の新たな仕組みができていくのは非常に不思議な気がします(P199)

中島 昔は上司がゴルフをやるとか、飲みに行くと言えば、絶対に断ってはいけませんでした。でも、今の若い人は「お酒は飲めません」「デートがあります」と言って断る人が増えています。あれは一つの進化ですからいいことです。(P202)

香山 私は若い人が拒食症などの精神的な病気になることにはなんとなく共感して接していたのですけれど、リストカットだけはどうしても感覚的に理解できないですね。
リストカットする彼女たちは「つらかったでしょう。気持ちは分かるわよ」と言われたいのかもしれません。確かに「つらかった」のかもしれませんが、「そんな見えるところを切らないでよ」と思うのです。なんで手首を切るのでしょうか。しかも、その人たちは「リストカットした跡があるからアルバイトの面接に落ちた」と言っているのです。ちょっとそれは理解できないですね。
中島 やはり他人に見せたいのでしょう。すぐ見える手首に傷をつけること自体がその証拠ですよ。
香山 見てほしいけれど、見せたら見せたで今度は「差別された」と言っているのです。「それは自業自得でしょう」と言いたくなりますね。結局、自分が苦しんでいることを知ってもらい、自分に対してやさしくしてもらいたい気持ちが見え見えなのです。(P204-205)

中島 (……)本当のことは永久に分かりません。ですから一番楽なのは「全部神様が決めている」と考えることです。
香山 そうですね。クリスチャンの言う”神のご計画”ですね。
中島 それともう一つ同じように楽なのが、ニーチェではないけれども全部偶然でしたという考え方です。これも同じぐらい楽な考え方です。(P209-211)

中島 (……)試験が始まるとき、私は学生に「これから試験をやります。カンニングしても構いません。見つかったときは捕まえて処分します。これはゲームです。私も一回くらい捕まえたいのですが、君たちも捕まらないようにやってください」と言います。(P219)

香山 今の若者は「いい人だ」と思ったら、「とことんまでいい人であってほしい」という願望が強いですよ。たとえば、二〇〇七年の日本テレビの「24時間テレビ」で、欽ちゃん(萩本欽一さん)が二四時間マラソンに挑戦しました。
中島 ああ、「24時間テレビ」ね。私はもう背中がゾクゾクするくらい嫌いです。
香山 私は欽ちゃんがものすごく好きだったのです。(坂上)二郎さんを蹴飛ばしたり、すごくシニカルなことを言ったり、欽ちゃんは暴力的でダーティーな面もあって面白い人だったではないですか。でも、年を取ったせいかもしれないけれど、今になって感動とか、頑張った人という善良なイメージを押しつけようとしているのが私には納得できなかったのです。(P222-223)

香山 だけど、女房を自慢するというアメリカ人的な常識を広げていくと、「自由と民主主義を世界に広げるためなら、アフガニスタンやイラクに攻め入っても構わない」ということになってしまいます。(P225)

中島 ニーチェは「身分の高い人がなれなれしくするのは、すごく癪に障る。なぜなら、こちらからなれなれしくできないからだ」と言っています。部長が部下に対して「君、よくやっているね。奥さんは元気」と言えても、部下が部長に「部長、頑張りますね」とは言えません。すべての職場は権力関係ですからね。誰だって上司との人間関係に悩んでいるのです。でも、そこをどう対処するかです。バカな上司ほどそういう権力的なものを求めますからね。(P227)


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ブログ記事のタイトルを決められない人へ

<タイトルに難儀するのは小学生の時の名残>
<本文を書いてからタイトルを決めよう>
<内容そのままをまとめたタイトルでOK>
<無題にしているブログが結構多い>
<本の見出しは無視する方が僕はいい>
<冒頭につけるあらすじ見出し>
<目次・見出し・図表を先に読んでおく?>
<短い文には接続詞をつけてボリュームUP>



ブログ記事のタイトルを決められない人へ。

決められないのは、大概の場合、先にタイトルを決めてそれから本文を書こうとするから。

小学校から始まる作文も、ほとんどがタイトルを決めて、その後学年クラス・名前を書き、そして本文を書き始めるというスタイルだ。この形式が身についているため、先にタイトルを決めないといけないと思い込んでしまっている。

そうじゃない。

まず本文を書いてしまう。それから、タイトルを決める。その方がタイトルをつけやすい。

例えば店員の態度にむかついたとか動画で面白いのを見たとかの内容を散漫的に書いたとする。そしたら「店員にむかついた!&この動画、面白いw」でOK。十分なタイトルだ。

ブログを見ていて、無題とかタイトルなしとかあって、その割には本文がそれなりの量をあるのをチラホラ見ていて、ふとそんなことを思い、意外とそういうシンプルなやり方って思いもよらないものなのかな、と思い、こんなこと書いてみた。もちろん意図して無題にしてる場合もあるだろうけど。

ところでこれと関連するのだけど、一般的な本は、本文がありつつ、その本文がいくつかに区切られて、合間に見出しが入る。

本の文章の流れや読者にもよるのだろうけれど、僕自身はあれは読み飛ばした方がリズムよく本を読めることに気づいた。

本文を読んでいて、途中途中にはさまる見出しは、モノによってはつっかえる感じにしかならない。特に対談本などだとそれは顕著だろうと思う。

ただし「ふたりのロッテ」で使われてた手法を真似た僕のこのブログのように、章のはじめにあらかじめあらすじ的な見出しを並べておくのは効果的だと思う(遠回り自画自賛)。もちろんこれも本文を書いた後に作る。

そういった意味では速読の教材にありがちな「目次と見出し、図表などを本文を読むまえにまずはチェックしろ」というのは、合っている。というよりこれは速読うんぬんという要素を抜かしても、読書においてとっつきやすくなるための準備運動みたいなもの。……僕はあまりやらないけど。

ブログ記事の本文自体が短すぎるのしか書けないからタイトルどころじゃない、という人は、その書き上げた短い本文のあたまに「ところが」とか「なのに」とかをつけるといい。そうするとその前を書かなくてはいけなくなる。こうして実際に接続詞をつけてみると、意外と「あ、あのことを書こう」というのがむくむく出てくることもあると思う。

なお、タイトルさえ決まれば後はスイスイかけるという人もいる。タイトルを決めずに書き始めると、ただ散漫な内容になってしまってイヤだという人もいる。ケースバイケース。合うやり方でどうぞ。


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似顔絵に挑戦してみた

昔から似顔絵に興味があった。それも肖像画的なものよりも、デフォルメしたようなマンガチックな似顔絵アート。

なかなか手を出せずにいたのだけど、先日図書館でスズキコージのスズキコージズキンの大魔法画集を借りようとしたら、その隣に似顔絵の本があったので、それも一緒に借りた。この本。

かんたん似顔絵教室かんたん似顔絵教室
(2008/07/26)
小河原 智子

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それで実際にやってみようとした。この本の中に、色んな人の顔写真があり、その中から選んで描こう……としたのだが、どれもこれも著者がその隣に実際に描いてみせたものがあるので、その絵をみてしまうとその先入観が頭に入ってしまい、結局その著者の絵の真似になってしまうだけになってしまった。

でもよくみると、たまたま著者が似顔絵を隣においてない写真があった。それは、「人の顔はグーチョキパーで大掴みできます」というような説明のところにあったこの写真(この人のスマイルのインパクトの強さに目がとまった部分もあったのだけど)。

似顔絵写真見本

真面目パターン、普通パターン、笑顔パターンの3つでちょうどいい。なのでこれをみながら描いてみることにした。ある程度練習した後、また描いたのがこれ。

似顔絵実践

むずかしい……。

描いてみてわかったのは、この著者は、メガネのことについてもっと言及するべきだと思った。メガネを描くのは想像以上に難しい。僕はある程度「こうかな?」というコツはつかんだけれども、どう説明していいのかはよくわからない。もっと大きく描いてしまってもよかったかもしれない。なお、著者はすべての似顔絵において、メガネのテンプル(蝶番で接続された耳にかけるあの部分)を描いていないのだが、そこについても言及されていない。

それと、写真を見ながら似顔絵を描こうとすると、どうしてもデッサン的になってしまい、デフォルメがなされない感じがする。「この人のこの顔のここの印象を強調したい」というような部分が、うまく強調されないのだ。

そこから解き放たれる(?)ためには、ある程度似顔絵を、写真か実物を見ながら繰り返し練習する。その後、その人の顔を見ないで、ソラで描いてみる。そうすると、割合うまくいくような気がする。デフォルメを思い切りできるようになる気がする。

実際、写真を見ながら描いていたときは、笑顔パターンの写真を見ながら描くと、まぶたを開いた状態に黒目を入れて、「なにか違うなあ・・・」と感じた。が、写真を見ないで描いてみると、「あ、そうか。目を閉じさせた方がニュアンスとしては近いんだな」という感じになる。先述したようにメガネももっと大きく描いてしまえばいいと思ったし、真面目パターンの写真ではそれほど角度がついていないまゆげも、怒ったような角度にしてしまっていいのだと思った。

上に実際描いたものを画像アップしたように、まだこんなレベルであり失敗作みたいなものだが、それでも失敗点を一つにしぼれというなら、髪の分け目が全然違うというところか。ヘアスタイルも結構難しい。

ところで、この本を借りるキッカケになった「スズキコージズキンの大魔法画集」。スズキコージは絵本を勉強してたころに知ったのだけど、この画集を見ていて、シャガールと、それからホラーマンガ家の古賀新一(エコエコアザラクetc)を思い出した。それからトーベ・ヤンソンのムーミンの挿画も思い出す。ムーミンたちが魔法の帽子に辞書を突っ込んだ時に帽子から次々と出てきた小さなケモノたちのようなちっちゃい生き物が、ちりばめられるように描かれている。それに実際ミィのような人物が描かれてたりする。諸星大二郎もふと浮かぶ。

見るのに体力を消耗する画集というのが僕としての感想。

スズキコージズキンの大魔法画集スズキコージズキンの大魔法画集
(2007/07)
スズキ コージ

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「たけしの日本教育白書」で熱が冷めない人へのブックガイド

昨日放送されたフジテレビの「たけしの日本教育白書」をチラチラ見た。去年もおととしも見たのかなあ。見たような。

ちらちら見たなりの感想としては、今年もまたずいぶん問題を散らばせるだけだなあ、オッサンが昔を振り返っていい気分になるだけの番組だなあ、無難だなあ、というところ。女子アナが太田やたけしの暴走をあわてて止めるその姿に、何か根本的な問題が見え隠れするような気もしたけど。

それでもたまたまこの番組を見て「大人が変わらなきゃ!!こどものために!!」と熱意がムクムクと沸いてくるお母様お父様は多いのでございましょう、と思った。そしてこの番組を特別見なかった人たちとの温度差が出来るのだろうなあ、と。

熱くなるのはいいけれど、熱くなったままでは他の冷めてる人がただ堕落してるように見えるだけ。だから熱くなった人は、それを熱意に変換しつつも、火照った頭は冷やさねばならない。

問題を提起して熱くなる・熱くしてくれるための本やニュースはいくらでもあふれてる。だけど冷めるための情報は、かきわけかきわけ探さないと出てこない。

という訳で、ひきこもりの僕から、僭越ながらそんな人のためのブックガイドです。

……と、その前にトロッコ問題

この問題、問題そのものに色々とケチつけたくなるのだけど、ここまで縛りがある以上、ごくごくシンプルに考えるべきなのかな、と”理性的”には思う。

そうすると、<残念ながら>僕はポイントを切り替えてしまう気がする。

そう、これはたぶん<残念ながら>の感覚で語るしかない問題なのだ。そして<残念ながら>の先にあるものは、人それぞれの価値観が響いてくるのだろう。生きていく上でたびたび出くわさなければならない<残念ながら>。その後に続く文章はその時々、君にとって何かね、というのを考えて生きるべし、という問題。・・・本当かね。

もう一つ、その瞬間理性が働けばの話として、後の集団心理を期待して5人の方を助けておけば、みんなで「これは事故ということにしておこう」という風に口裏を合わせられるんじゃないかしら。1人が「あれは事故だったんだよ」と言ってくれるより5人が言ってくれる方が心強い……という打算案も追加しておく。

しかし視聴者に問うよりも、この問題を各国100人ずつぐらいアンケートしてきて、その結果みたいの出してくれりゃよかったのに。こういうところが僕の感じるこの番組の散らばり具合なのだ。「あなたは、どう考えますか……?」で終わらせるところが。ある程度の答えを知りつつ、それと自分とのギャップを考えていかなければ、考えなんて煮詰まっていかない。

閑話休題。ぶっくがいど。

ネットいじめ (PHP新書 537)ネットいじめ (PHP新書 537)
(2008/07/16)
荻上 チキ

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学校裏サイトは、ネット業界では「素人が勝手に作る非公式サイト」ということで「学校勝手サイト」と呼ばれている。それら学校勝手サイトが報道ではいじめや犯罪の温床のように強調されるが、実際にはほとんどが牧歌的な雰囲気に満たされており、全然見向きもしない子もいる、ということを検証し、冷静に分析と考察を取った本。ネットはよくわからないの、というママパパには12歳からのインターネットとあわせておすすめ。

反社会学の不埒な研究報告反社会学の不埒な研究報告
(2005/11)
パオロ・マッツァリーノ

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パオロ・マッツァリーノのこれは現在読みかけで、あとは「コドモダマシ」しか読んでいないのだけど、パオロ・マッツァリーノは報道される社会分析とか調査報告みたいなものに「ちょっとまてーい!」とつっこみをいれ、実際はこうだよ、昔だってこうだったよね、というのを小気味いい毒舌調で展開する人。若者は車を買わないとか少年犯罪は増加しているとか、最近の子は現実とゲームの区別がつかないとかそういうのを本気で信じ込んでる人向き。昔は素朴でよかったと思ってるオジサマはその幻影を壊されることを覚悟で。

(※後日追記。最後の章の「コント『あなたにもビジネス書が書ける』は秀逸。ビジネス書、自己啓発書を書く人の実態と人間性、ビジネス書がいかにオカシイことを言ってるかが見えてくるような内容。とは言え僕自身はあのラストにおいて、それでも書き続けようとする情熱は否定されるべきものではない、と読み取った。)

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)
(2006/11)
飯田 泰之

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「若者論」を疑え! (宝島社新書 265)「若者論」を疑え! (宝島社新書 265)
(2008/04/09)
後藤和智

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「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)
(2000/06)
谷岡 一郎

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この辺も上記したパオロ・マッツァリーノ同様な感じでおすすめ。特に「社会調査」のウソはテレビや新聞で報道される社会調査はどれもこれもゴミクズと強く切り捨てている。上記の本だったか忘れたけど、給食費納付率って全国平均98%らしいです。

最後の家族最後の家族
(2001/09)
村上 龍

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これは、「社会的ひきこもり」がテーマの小説。主人公の青年、父親、母親、妹の、それが起こったその時のその場面・状況が、それぞれの視点からの語りが書かれていて、読みやすい。ひきこもりは学校問題の延長上のことなので、ひきこもりを考えることもまた学校や教育を考えるのにつながる……はず。

大人問題 (講談社文庫)大人問題 (講談社文庫)
(2001/05)
五味 太郎

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さらに・大人問題 (講談社文庫)さらに・大人問題 (講談社文庫)
(2005/07)
五味 太郎

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絵本作家、五味太郎のエッセイ。「大人問題」とは、子供に問題があるんじゃなくて、大人に問題があるんです、という意味。

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春新書)孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春新書)
(1998/10)
中島 義道

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哲学者、中島義道の成育史。簡単にいっちまえば、前半は感受性が繊細で敏感な子供の苦労話であるので、表立っては問題がないように見える子供も、その中身はこんなことになっている場合もある、ということの理解のために。後半以降、好き嫌いが別れる本のようだ。

家族の痕跡―いちばん最後に残るもの家族の痕跡―いちばん最後に残るもの
(2006/01)
斎藤 環

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「家族っていいよね」というような紋切り型の内容ではなく、「家族って言っても結局はさあ」というような内容。数ヶ月前に読んだので内容は覚えていないのだけど、わりあいおすすめできる内容だった気がする。そもそも斎藤環はひきこもりの専門、だけど先述したようにひきこもり問題はやはり不登校等から連続する問題であるため、それを考えるのは決して無意義ではないと思う。なお斎藤の著書でひきこもり関連書を読むなら、「社会的ひきこもり」を選ぶよりは「ひきこもり救出マニュアル」の方がよいと思う。

一瞬で信じこませる話術コールドリーディング一瞬で信じこませる話術コールドリーディング
(2005/06/01)
石井 裕之

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ついでにもうひとつだけ。子供に問題が起きたとき、宗教やスピリチュアルにはまりそうになったときのために。何か占いや予言があたったかのように見えても、すべては後だしジャンケンであるということを知るために。コールド・リーディングのための実用書のように見えるけど、実際にはこの本だけでは無理だと思うので、そこの点では期待しないほうがいい。この石井裕之自体、潜在意識系の人でもある。



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ぼやき・呟き・一言/11月13日〜11月22日

FC2のサービスで、ミニブログ「PIYO」なるものがある。このPIYOは「ブログを書きたいけど、そんな文章いっぱい書けないしなあ」という人向けの、255文字までという文字数制限があるブログサービス。

そのPIYOに少し前に登録し、ちょいちょい独り言のようなことを色々書いている→おがたけぴよぴよ

そちらに書いた内容を、以下にまとめてみた。そっちでは「誰かにあてた携帯メール風」でいこうと思っている。まあだからなんだという事もないのだけど。


2008-11-13 03:42 (木)
頭がかいい

2008-11-13 03:43 (木)
眠い。寝ればいいのに、今夜も僕ネット依存んんんん!!

2008-11-13 13:13 (木)
ブログ村、ニート日記だけにしぼってみた。哲学日記は引き寄せの法則や自己啓発なんかの信者が読みにくるみたい。怖い。

2008-11-13 13:17 (木)
筑紫哲也、いつのまに死んだんだ。小室哲哉逮捕といい、次に何か起こるのは武田鉄矢か幹てつやか。

2008-11-14 01:25 (金)
梨を食べている。なんだろう、この甘さのなさは。モシャモシャ。

2008-11-14 01:39 (金)
Youtubeで、中島みゆきが工藤静香にあてたメッセージなる動画を見た。そうか、もうそろそろ夜会もはじまるのか・・・。S席二万円・・・。

2008-11-14 04:49 (金)
携帯を持たなければならない社会が恐ろしい。もはや自宅の電話ですら出んわ。そうして今日も引きこもりでございます。

2008-11-14 04:52 (金)
「世間の目なんか気にすることないぞ!」
そうは言ってもいざ世間に出てみると「おい、世間の目を気にしろよ」という電波はワタクシにバッシンバッシンくるのでございます。しめつけちかんビーーーーム!ガガガッと。

2008-11-14 05:20 (金)
♪もう〜い〜くつ寝〜て〜も〜
♪ひ〜き〜こ〜も〜り〜

2008-11-15 21:13 (土)
考え事してたからたまたまちょっと返事しなかっただけであんな呼び方しやがって。それでこっちがおとなしく話相手したら自分は気が済んでる。ふざけるな。

2008-11-15 21:25 (土)
僕は柿をつい食べ過ぎてしまうのだよ。バクバクモシャモシャ。柿うまー。

2008-11-15 21:26 (土)
今日はブログの方を更新しすぎた。つか今月は書きすぎ。ブログ村のランキング、やっぱひきこもり一本にしようかなあ。

2008-11-16 16:26 (日)
自分と同じ生年の人の本を読もうと思ってそういう作家を調べたら山崎ナオコーラってのと乙一ってのしかいなかった。タレントなんかの自伝とかエッセイとかに頼るしかないのかな。

2008-11-16 16:26 (日)
谷山浩子「七角錐の少女」シビレル〜!!

2008-11-17 03:03 (月)
昼間食べたいと思ったもの。ドーナツ、ベルギーワッフル、イチゴパフェ、チョコレートパフェ。

2008-11-17 03:11 (月)
冷凍ピザ、オーブントースターで焼きすぎて熱々こげこげになったのを食ったら上顎の表面が火傷して少しだけ剥けてしまったみたい。気になって舌でちょいちょいいじくりまわしてしまう。

2008-11-17 03:20 (月)
悲喜こもごもを引き合いに弾き語るひきこもりを率いたヒキガエル

2008-11-17 05:20 (月)
今夜は耳鳴りがちょっと強いな。

2008-11-17 05:44 (月)
やっぱ鳥獣戯画はかわいいなあ。

2008-11-17 15:48 (月)
宗教を信じる親は、経典の言葉や教祖の言葉ばかりに目が行き、子供の言葉を確信的に受け付けなくなる。子供は気持ちの行き場を失う。さらにそうした子供を親は神によってどうにかしようとする。スパイラルである。

2008-11-17 23:26 (月)
母と父が教会を退会したらしい。僕と兄は来年四月に自動的に会員名簿から外れる。ひとまず安心だが……。

2008-11-20 14:12 (木)
最近僕は中島みゆきの「未完成」ばかり口ずさんでるのはナゼ。

2008-11-20 14:12 (木)
米粉パン、おいしくないなあ

2008-11-20 15:43 (木)
FC2ブログのバトン機能でバトンを作ってみた。「もしも自分がカバーアルバム出すならこんな選曲バトン」。

2008-11-22 03:28 (土)
父「明日お兄さんくるよ!!」 その明るい声がイヤだ。「うれしいね!たのしみだね!毅もそう感じるでしょ!?感じなきゃおかしいよ!?」という共感を求めるニュアンスがいやだ。

2008-11-22 23:48 (土)
似顔絵描くの、おもしろいなあ


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好きな事、物がたくさんあるのに自己肯定できない

僕は好きな物や事や人が結構はっきりしてる。そして結構多い。

人は言う、「すきなことが沢山ある人はポジティブで幸せだ」。

ウソだ。そんなのウソだ。

子供の時から「おまえは悪趣味だ」といわれ続ける者の辛さがわかってない。

好きな者・事・人がたくさんあっても、全部隠し通さなきゃいけない。隠しておかないと、冷やかされるから。いじめられるから。否定されるから。

僕は僕の嗜好をさらけ出せば、それだけで結構評価してくれる人、尊敬してくれる人、いそうな気がする。なんだかんだで僕の世界観というのは、ちょっと独特らしい(それが気持ち悪さとしても表出するらしい)。

でも自信がどうしても持てない。割合色々持ってるのに、どうしてもそれを表に出せない。出してもすぐに冷やかされからかわれて、ビクビク怯えてサッと隠してもう二度と出すまいと思ってしまう。99人のほめ言葉より一人のからかいの方がでかい。

ある対象を好きになった瞬間、それは否定される、という風に思ってしまう回路が出来上がってる感じがする。システムが。それは小さい頃から繰り返されすぎた。

嗚呼……。


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「僕でよければあなたをハグします」

「ひきこもりです、無料でハグします」

”FREE HUGS”なんていう運動をさっき知った。

そういう仕事かボランティア、自助サークル・グループみたいの、あってもいいかも。

絶対みんな照れるから、まずギュッとハグを5秒、それから互いに背中をポンポンポンと3回叩いて離れる、っていうルールを決めてやること。恥ずかしければ目隠しとか。ちょっと異様な風景になるが、それでも日本人ならこれぐらいしないと仕方ないかもしれない。

ただ「顔でおことわり」なんていう場合もありそうかな。それに日本人はちょっとした体臭に敏感だし。

でもそういう人はそもそも恋人とそういうことしてるから、来ないのかも。

「オッサン・オバサン・ブサメン・ひきこもり・ニート・無職・チビ・デブ・ハゲなどが勢ぞろいですが、それでもハグを求めてる人、どうぞ。」みたいな感じで。

現実問題としては、切実な難問が男性側にちょっとあるような気はする。身もふたもなく言えばアレが大きくなってしまう可能性がある。ということは、まず同性同士で慣れる訓練からか。ハードル高いかな。

あるいは「宗教じみてる」とか思う人が多いかな?

僕は、その人が僕を個人ということで求めてるんでなければ、身内以外・顔見知りじゃない人であればシンプルに誰とでもハグできる……かもしれない。どきどきはするだろうけれど。僕個人ということでハグしてくれというのは絶対ムリだ。数多くの中の、誰でもよかったけど、一番場所が近かったからきみとハグすることになりました、というぐらいの気持ちでなければ無理だ。

ひきこもり、メンヘラなど、こわばった体・心をちょいとゆるめるには、ハグっていう(内向的な人にとっては)強烈な手段を使って「毒をもって制す」的なやり方もありなのかもしれない。

……考えたらセクハラって騒ぐ女性が出てくるんじゃないかなあというのが一番の難関か、これは。


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関連するタグ 引きこもりエッセイ

ひきこもりの思考回路 〜家庭内暴力は結構ヘビー〜

<洗濯日和だ、洗濯しよう>
<その間に図書館へ>
<お借りしますでいいんだっけ>
<母と父の会話>
<「結婚してもらうように言おう」>
<頭が鈍磨してくる>
<切れたいけど、体力が心配>
<階段ドスドス>
<イライラ思考がぐるぐる>
<無理矢理考えを切り換える>
<「お兄、ざまあ」>
<鬼女のバカさ加減を訴えるか>
<切れないかどうかを実験>
<床にこぼれた水とリンゴの河>
<「ふいてフイテhuitehuite……」>
<母に具体的に処置を指示>
<結婚も神様に頼めよ>



(これを書き終えた現在、13:15 08/11/20。以下は今から多分1時間ぐらい前の話。)

今日は天気がよかったし、洗濯機を覗いても父と母の衣類は一切入っていなかったので、しばらくぶりに自分の分を洗濯できそうで、することにした。

部屋着は適当に洗濯機につっこむ。ズボンと外出用Tシャツ等は裏返して、Tシャツはえりのところをヘアゴムで軽くしばってネットにいれて洗濯機に放り込む。靴下は両手にはめてYシャツえり用石鹸で汚れを落として、さらに裏返してから洗濯機に放り込む。準備完了、水量を「低」にして洗剤を撒き散らし、スタート。水がどぼどぼと出てきて、洗濯機は回り出したが、どうやら水量が足りないような気がしたので、「中」にした。

洗濯する間、図書館に読み終わった本を返しに行く事にした。香山リカの「乱読パラダイス」、荻上チキの「12歳からのインターネット」、”母親の死”をつづった息子達の外国エッセイ「母の魂」、千原ジュニアの「3月30日」。そして(いつものように追加で)ついでに何か借りていこうと思い、「香田証生さんはなぜ殺されたのか」「誰にでも描ける!かんたん似顔絵教室」「スズキコージズキンの大魔法画集」を借りてきた。

余談だが、僕は図書館で本を借りる作業が終わる時、館員の人に「借ります」とひとこと言うようにしているのだが、借りますではちょっとぶっきらぼうかなあ、と図書館を出た時に思った。お借りします、と言ったらいいのかな、と考えていたら、お借りしますってのはちゃんと丁寧な言葉だったっけなあ、と混乱してきた。借りさせていただきますでは長過ぎる、バカ丁寧すぎる。お借りしますでいいんだっけなあ……

自転車をこぎこぎ図書館から帰ってきて、借りてきた本を手にしながら洗濯機をふと見ると、洗濯はすでに終わっていた。洗濯機から衣類を取り出す前に借りてきた本を部屋において、部屋着に着替えた。それから洗濯機から洗濯の終わった衣類を取り出す。

洗濯機の置いてある脱衣所の引き戸は開いてあり、すぐ近くの台所では母と父が食事の用意をしていた。そちらもドアが開いている。母と父が会話していて、それがよく聞こえてくる。洗濯機の中でうずまき状にからまった洗濯物をほぐしほぐし、干す順を考慮しながらカゴに取り込みながら、二人の会話を僕は聞く。

父「〜さんとこ、〜〜なんだって」(聴き取れない)
母「へ〜いいなあ〜うらやましいな〜」
父「ねえ、いいねえ、うらやましい」

なんだろう、ダレソレさんは豪華海外旅行でもいくのだろうか。会話は続く、僕は聴く。

父「(兄の名をあげて)Kにさあ、言おうよ。結婚しろーって。」
母「だって、お金がないじゃない」
父「そんなの、Kがお金いっぱい持ってるでしょう。お見合いしてもらってさあ。」
母「無理よ、お金ないもの」
父「そんなことないよ、あんなに朝から晩まで働いて何もしてないんだから、すごいお金たまってるでしょう。第一Kは給料を全部無駄遣いしちゃうんだから。結婚登録所みたいなのに会員登録してもらってさあ」

僕はこの会話を聴きながら「この二人はなぜそんな会話が堂々と出来るのだろう?」という思考がアタマを巡りはじめた。僕はここにいるのに。僕が洗濯物を取り込んでいる、この物音が聞こえてないのだろうか?さっき玄関を開けて帰ってきて、階段をのぼり、そしておりてきて、スリッパをパタパタ言わせながら、洗濯機をあけてガサゴソやってる様子が、目にも耳にも入っていないのだろうか?それともそれをわかった上でそんな会話をしているのだろうか?

<※脱ひきこもり支援の秘訣:親は当事者に対して結婚の話は絶対にしない。期待をにじませてもいけない。そうするとひきこもりは長期化する。>

頭が鈍磨してくる。ああ、ブチ切れてしまいたい。どうしよう。困った。このままでは何か流れさえ合致すれば、僕はまた(家庭内暴力にしちゃレベルと攻撃性の低い)家庭内暴力をしてしまう。あれは結構体力使うし息切れもするし、結構ヘビーで重労働なんだよなあ。筋力のないひきこもりには大変なんだ。

そんなことを考えながら洗濯物をカゴにいれ終わり、二階にあがる。途中、意識的と無意識のあいだぐらいで、階段をドスドスと強い音を立ててのぼった。普段僕は階段をかなり静かにのぼる方である。いわば言語化しない抗議みたいなものだ。まあこんな訴えが母と父に届くことは決してない。そんなことで敏感に反応して「毅が傷ついちゃったかしら、どうしましょ」となれる親であれば、僕はこんな(それなりに重度の)ひきこもりにはなっていなかっただろう。

(余談的疑問だが、”洗濯物”というのは、洗濯する前のものも洗濯したあとの物もそう言うもんなのだろうか。今この文章を書いていて、文脈で判断するような文章にする以外、区別のつけようがないなと思った)

鈍磨しつつあるアタマをふらふらさせながら、それでもキッチリ自分流の干し方で洗濯物を干しつつ、僕は考えていた。

「無駄遣いとはどういうことだ。マンガを買うことが無駄遣いなのか」
「ということは僕のCDやら本やらも結局は無駄遣いで捨てるべきものだと思ってるのか」
「僕はあんたに小さい頃プラモデルの箱を全部捨てられてあんなに辛かったし今だって引きずってるのに一度も謝ってくれてない」
「おまえらのそのクソみたいなキリスト教信仰のほうがよほど無駄だ」
「おまえら二人をずっとみてきて結婚したいと思うやつはキチガイだ」

そんなことを考えていると、自分の中でそういう感情がどんどん煮詰まってくる(※ここでは誤用の方の”煮詰まる”こうして訂正しないといけないんだから、国は言葉のあやまりなんかヘタに指摘しないでほしい)。

しかし僕はちょっといつもとはイレギュラーな感じでここで思う。

「はあ、切れたくないなあ。つかれるしなあ」
「いやいや、軽くスルーでいこう。なんとかスルーできないものか」
「そうだ、結局結婚の期待はおにい(兄)にだけにしぼられてるのだ。標的は兄だけだ。ざまあ。僕は最初から目標にされてない。諦められてる。気が楽じゃないか。」

本当はこんな思考の切り換え方、したくない。母や父が取ってきたような思考法だ。でも今はこうするしかないのだ。

そう考えつつ、結婚なんていいものじゃないぞ、という風に兄に諭す場面まで想像が走り始める。「どう諭せばいいのだろうか、そうだ、2ちゃんねるに結婚がいかにひどいものであるかのコピペがあったよな、それに鬼女どもの発言コピペとかあわせて渡せば、ネットなんてガチで文字通り知らぬ存ぜぬなおにいなら、一発で結婚が恐ろしくなるだろう……。」くだらないことを考えながら、洗濯物は干し終わった。

切れない切れない。

切れない自分を試したくなって、階下に降り、食事している母と父の前でウーロン茶を飲もうと思った。何かを飲むことで気持ちをさげることができるんじゃないかと思った訳だ。が、過去これで失敗して、(レベルの低い)家庭内暴力がドッカーンしたことは何度かある。

台所に向かう道すがらならぬ廊下すがら、母が言う。

母「洗濯終わったよー。ピーピー鳴ってた」

母はどうやら今僕が脱衣所の前にきたことを知ったらしい。ということはさっき僕が洗濯物を取り込んでいたときも気づいていなかったという訳か。あんなにドスドスと足音を立てていたのに。どれだけ鈍感なのか。それともそれぐらい僕の存在はもはや消し去れる術でも身につけているのか。それがキリスト教のお祈りの効用なのか。他人の存在に鈍感になれる術がそれか。

台所に入って、一番最初に目に入ったのは、床が若干水びたしになっているのと、台所シンクにりんごの皮が散乱しているところだった。僕の中でなにかがカチンとなる。

僕「ちょっと。そこ水びたし。あとリンゴの皮、捨てて」
母「なに?意味がわかんない」
僕「そこ、水びたしになってるから。リンゴの皮もすてて。お茶なんか飲んでないで。早く。ふいて。ふいて。ふいてふいて。フイテフイテフイテ。フイテフイテhuitehuitehuitehuitehuitehuitehuitehuitehuitehuitehuitehuitehuite」

いつもこうなる。僕が(低レベル)家庭内暴力をおこしそうになるときは、短い言葉を繰り返すのだ。もっとも、この時は「僕がいらついてるのがわかんないのか、オイ、さっきのドスドスもきこえなかったのかよ」という抗議も含まれていたように思う。

しかしやはり僕はキレナイキレナイ、なんとか今日は穏かに過ごしたい、ここで切れてもすぐそこにおとうがいるからいつもの正論攻撃で僕が圧倒的に悪者にされてしまう、そんなことを考え、具体的にどうしてほしいかを母に指示した。

僕「ほら、そこの足拭きマット、それを水びたしになってる部分にボテッておけばそれが水を吸ってくれるでしょ。だからそれこっちもってきて。あとリンゴの皮、まとめてこれにいれて」

台所の勝手口の下には、うちの飼い猫が出入りできるようになっている開閉部分があり、そこのまわりに足拭きマットを置いてあるのだ。猫が外から帰ってきたときに、時にそこで足を拭かせたりするためだ。

それから台所にはチラシ広告で折ってつくるゴミ箱をいくつも用意してある。僕はそれを開きながら母にこの中にリンゴの皮をいれてくれ、と示した。リンゴの皮は無事に捨てることができた。

使いっぱなしの包丁とスライサーが放り投げてあったので、これは母には言わず僕が水でざっと洗い、食器カゴ?に置いた。

パイレックスのガラス製計量カップにウーロン茶をどぼどぼと注ぎ込み、それを飲み干し、また二階の自室にあがった。

僕は思った。

「おにいに結婚してもらいたきゃ、キリスト教の神様にお祈りすりゃいいじゃねえか」


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母の生理と僕の腹痛……受苦者特権を手にするため?

※今回はまとまっていない上に、生理とか下痢などの話が出てくる。苦手な人は読まないようお願いしたい。

僕は中学ぐらいから、学校に行く直前、……身もふたもなく言えばウンコが出なくなっていた。そして学校につき、先生が来る5分前になると、猛烈な便意を催し、教室を出てトイレで用を足すということをしていた。

思春期、学校でみんなが見てる前でトイレに抜け出さなければならないのは、複雑な感情だったように思う(今その感覚はちょっと思い出せない)。

トイレに行く道すがら(といっても廊下だが)に職員室から教室へむかう先生とすれ違うこともあり、「先生、おなかいたいんでトイレいってきます」と言って僕はトイレに向かった。

その傾向は以後続き、20歳を越えても、電車で東京へ出かけなければいけないときなど、出かける直前にはフンづまりになり、電車が来る直前ないし乗り込むと途端に腹痛が起きるということが頻繁にあった。

場合によっては家族で遠出する時にもよくありがちだった。今は遠出しないからどうなのかはわからない。

それにより僕は電車に乗ることが怖い部分がある。過敏性腸症候群という名称もあるらしいのだが、その診断がついたことはなく、16歳頃に自律神経失調症のみ診断された。

以前にも書いたが僕はこれを自立する神経がちゃんと育ってない、という風に受け止めてしまい、そんなこといわれても……と考えていた。

最近、平野啓一郎の「顔のない裸体たち」という小説を読んだ。内容はさておいて、登場人物の<吉田希美子>が生理が重い設定であり、その生理の重さゆえに学生時代の頃からまわりの女子たちに偉いと言われたり同情してもらったりして、「男子はこんな苦しみを知らないんだ」という気持ちもかけあわさって無意識のうちに自分を受苦者のように感じ始め(受苦者の本来の定義を僕はわかってないのだけど、字面で大体把握している)……という心理の移ろいが描かれていた。

僕はこの<吉田希美子>の生理とそこから成り立った内面の描写に、母を重ねた。僕の母もまた生理が大変重く、生理のときは布団にずっと寝っぱなしになるという光景をよく見ていた(それはまるで短い鬱病のように)。

母も同じように、重い生理があるために、いつのまにか自分は特別、受苦者なのだ、というような感覚の芽生えはあっただろうか?<吉田希美子>はそういう経緯も絡んで、深く考えることや内省することがない、というような設定があった。ここもまた母と重なった。

内省しない母。受苦者であるような錯覚を覚えた母。もしそうであったなら、そんな母にとって、キリスト教は、なおのことさらに母自身を特別な存在へとのしあげることのできるアイテムだったのではないか。

女の子は、思春期以後生理があるようになる。

僕のフンづまりと腹痛も、思春期以後に始まったのだ。

そして僕は、あの母の姿、ありかたにうらやましさを感じていたのではないだろうか。幼い頃から疲れていた僕は、母の重たい生理を理由に布団で眠り続けられる姿に、うらやましさを感じていたのではないか。それをキリスト教をかけあわせて、自分を特別な存在にのしあげられる、そのあり方に。女で、生理であるということで休めるその姿に。

僕は生理のかわりに腹痛を手に入れたのか。母を無意識に自分の身体に取り込んだのか。母との身体的同一性があらねばならなかったのか。そのために腹痛癖のある身体が始まった。そんな風に無意識に思っていた、と考えることは無理があるだろうか。理屈として可能だろうか。

母は、僕が子供の頃から時々その真っ赤にそまったナプキンを「ほら」といって見せた。僕はこんなに血が出てダイジョウブなのだろうか、と思った。


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