僕は久本雅美の創価学会ないし池田大作への信仰告白の映像を見たとき、何も感じなかった。
「え、こんなもんでしょう、こんなのがキチガイだというのならこういう人はいくらでも溢れてるぞ……」
それが最初の印象であり、今現在の印象でもある。ネットで(まあ2ちゃんで)不気味だ・気持ち悪い・カルトだ・キチガイだ・狂ってるという声が溢れたのは僕としては意外であった。
「中島みゆきファンだって中島みゆきを語るとき、こんな感じになる人いるしなぁ……」とも思ったような気がする。
(語源を辿るのは意味ないけど、ファンというのは狂信者という意味でもあるのだし、狂わなきゃ一つのことを愛し続けるなんて無理、あるいは愛し続けるとは狂うこととほぼ同義だと僕は思っている。「狂う」というのはマイナスの意味ではなく、あくまで状態のことを言う。ネガティブな人は認知が歪んでいるのであれば、僕は「ポジティブな人も(ある一定の方向にのみ向きやすいという意味で)認知がゆがんでいるのじゃないか」という)。
さらにいうなら(怒られるかなー……)ウソか本当か、中島みゆきは天理教という話もあるが、このことについて誰もが口をつむごうとするのもよくわからなかったりする。「宗教を信じてるかどうか、それはプライバシーの領域だから」という理屈が僕にはイマイチ通らなかったりする。「中島みゆきは天理教らしい。ただそれだけ、これを言うことが何がいけないのだろう?別にそこにうがった偏見の眼を含めてる訳じゃないんだが」と。「ただそれだけなんですよね、だったら別に口にする必要もないですよね」といわれる場合もあるかもしれないが、「うん。だったら別に口にしてもいいよね」と続けたくなる。
自己啓発書にはまっていたとき、読みきれなかったけど「7つの習慣」という本を読んでたときに、ネットで「7つの習慣ってモルモン教の本なんだよな。そう知ったらイヤになった」という他人の文章を目にしたのだが、そのときもやっぱり「どーして??」という思いになった。
これらの僕の感覚は母にキリスト教を与えられたがゆえの作用であるだろう。副作用か。
昨年ついにキリスト教からの離脱を僕ははかった訳だが、僕には普通の人が普通に持つ、アンチ宗教感覚は多分一生培われないものと思われる。だって、生まれる前からキリスト教を信じさせられることは決まっていたんだから。
このことはメリットなのかデメリットなのか、僕にはわからない。だがそのことについて話し合える人はどうやらあんまりいないようだという点においては、デメリットになる。そして話し合える人がいたとしても、その人はその信仰している宗教を僕にすすめてくることだろう。それはご免こうむりたい。僕が言いたいのはもっと、「世界はどうやらそういうシステムになっているらしいね」ということなんだから(よくわかってないけど)。
僕のように、他の宗教を信じさせられて且つ自ら離脱した人たちはどうなのだろう?やはり僕と同じようにあまり何も感じないのか?それとも不気味だという感覚を持てるのだろうか?興味ある。
やっぱ「宗教から離脱した元信者二世」みたいな会があったら、いいのかなぁ。
でもきっと、別にそういう人じゃなくても、あの映像を見て別にこれといった感じを覚えない人、いると思う。別に現役スピリチュアル信者とかじゃなくても。ネットじゃ圧倒的に「絶滅しろ」という空気なだけで。どうなのかな。
まとまらない文章になった。
創価学会の政治的なたくらみのようなものについては、僕自身全然勉強不足なのでなんともいえない。何かその辺はやっぱ悪いことやってそうね。
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