この動画は、僕がたまに見るブログに貼ってあった動画なのだが、見てみたらラジオの人生相談の音声動画で、僕としては去年の段階ですでに聞いていたものだった。去年放送直後にこの人生相談の内容が話題になったのだ。そしてネット上にあげられた。でも久しぶりだったので聞いてみた。
去年の当時、ネット上にあげられた際の反応を見て意外だったのは、この相談者に対して「いらいらする」「きちがいすぎる」「話が全然進まない」「病気なんじゃないのか」という風にコメントする人が大多数だったということ。そしてその方向でずいぶん盛り上がった(糾弾された)ということ。いまニコニコ動画で見てみても、コメントはそんな感じのものばかりだった。「こんな母親じゃひきこもるわ」とも書いてある。
僕としては当時から「え、こんなもんでしょう。こういう人はいるでしょう。珍しくもない。母親なんてこんなもんじゃないのか?」というのが実感で、何も不自然なことは感じなかった。どうしてみんながそんなにこのおばさんに苛立ちや抵抗を覚えるのかがわからない。わからないというか、わかることはわかるんだけど、みんなが感じたであろうその抵抗を、感覚として僕は共感ができない。今でもそんなにこのおばさんに苛立つことがあるか、という気がする。場合によっちゃデヴィ夫人みたいなものじゃないか。
むしろ僕からすると、大変理路整然とした話をするおばさんだな、きっちり言い返す人だなあ、という印象の方が強い。
かつてやっていたバイト先にだってこんな人はいたし、小中などの経験を思い出してみても女子にこういう人はいくらでもいた。僕は小中と嫌われていじめられて立場がいつでも弱かったから、回りを見渡せばこういう人ばかりだったという印象も今思えばある。
かといって、別にこの女性と面向かって何度も相槌を打ちながら「うんうん、わかる、うんわかる〜」と共感できるという意味じゃあない。「こんな人はいるよ。みんなどうしてそんなに耐性がないんだ?」という意味。
こういう人に「こんなもんだろう」と納得してる僕は、フツーのカンカクから言えば麻痺してしまってるんだろうか?耐性があるとしたら、一体どこでその耐性はできたのだろう?「こんな人に平気でいられるからヒキコモリ」と言える部分もあるんだろうか?そしてこういう人に対して平気じゃなく、耐性がない方がもしかしたら普通の人であれたのだろうか?また、僕が泰葉に対してどこか共感を覚えてしまうこととも、何か通じるのだろうか?
これが逆ギレだというのも、言われてはじめて「あ、そうか、これ逆ギレなんだ」と思う。「逆切れ」とタイトルに書いたのはYoutube版ではそういうタイトルがついていたので、そうしただけで、そちらを見なければ逆ギレだという認識は持てなかったかもしれない。そしてコレが逆ギレだとすれば、僕は相当逆ギレされてきて、その逆ギレをのんできたことになる。
僕の亡くなった祖母も祖父も、母もかつてはこの相談者と同じく、教員であった。
なお、僕は加藤諦三はあまり好きじゃない。本を二冊ほど読んでみたのだけど全体的に、病気の人を責めっぱなしにする論調なのが、どうにも。
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