#こども時代に大人にしてほしかったこと
- 2018/06/26
- 20:06
いじめを見抜いて欲しかった
わたしが「大丈夫」という一言だけで安心しないで欲しかった
キリスト教やめてもいいと言って欲しかった
安心して本当のことを言っていい環境作りをしてほしかった
わたしが嫌と、恥ずかしいと感じることをわかってほしかった
◇
プラモデルの外箱を何も言わず捨てないでほしかった。あれのトラウマはものすごい影響してるし、お父さんへの不信感や恐怖感はそこから始まったようにも思う……
◇
両親二人して酒飲んでてほしくなかった。お父さんはベロベロになって会社から帰ってくるし、母親は夜に抜けだしてスナック行って帰ってくるからこっちが秘密を守らなきゃいけなかったし。
◇
体操着に名札をもっとちゃんと作って縫い付けてほしかった、、、体育の先生にさえ「お前もうちょっとちゃんと作ってもらえよ」って言われた…
◇
わたしの大事なものを軽視しないでほしかった。捨てないでほしかった。
◇
わたしが何かやってるときに、明からさまに嫌らしくニヤ~ッとしたりしないでほしかった。それはわたしに「お前のやってるそれは恥ずかしいこと」と認識させることにつながったから。
◇
わたしが好きなことや楽しいことを、一緒に楽しんだり共感したり尊重したりしてほしかったかも。馬鹿にしないでほしかった。
◇
セクマイかもしれないと想像してほしかった。想像した上で、守ってほしかった。
◇
ストレスがある、といったら、「こどもにストレスなんかあるわけない」と一蹴された。受け止めてほしかった。「何か辛いことがあるのかい」と聞いてほしかった。
◇
体育、球技は、不得意な子にとってはとにかくハッキリと差が目に見えてしまうもので、体育授業は恥さらし劇場になるだけなので、体育の授業にもっと工夫や選択があってほしかった…。特にドッジボールは恐ろしいだけだった。ボールは未だに怖い。
◇
母「芸能人はすぐに離婚する。我慢が足りないんだねぇー」
ガマンしてるってことだよね。それを聞かされて、わたしはどうしたらよかったやら。
◇
母が夜中抜け出してスナックに行ってること、父に言ったら、ベルトをムチみたいに鳴らして脅されながら、母に部屋の隅に「何で言ったんだ!」と追い詰められて問い詰められた。わたしは母の秘密を父に対して抱えなければならなくなった。
◇
お母さん、ヒステリックに理不尽にわたしのことを追い詰めたのに、その後しばらくして急に満面の笑みで「お母さんが一番あなたを愛してるのよ、大事」などと抱きしめられても、チグハグすぎです。混乱するようなことばかりしないでほしかったです。
◇
母のじぶんの性格ゆえに恥じらいもなくなんでもゴリ押しできてしまってただけのところを、イエス様のめぐみ、とか言うの、やめたほうがよかったと思う。
◇
母「お前は男のくせに、なんでそうなんだろうねぇ、フッシッギ~~!」
何か事あるごとにそう言われてた。やめてほしかった。
◇
学校でみんなからバカだと言われている、と打ち明けたら、両親から「バカと言われておけばいい。言い返すんじゃない」とアドバイス。やられっぱなし精神を培われてしまったような……。話を、気持ちを聞いてほしかったように思う。
◇
子供は傷ついたりしない、ストレスなどない、などと、見くびらないでほしかった。たかをくくらないでほしかった。
◇
キリスト教を物心つかないうちから信じさせないでほしかった。親の宗教信仰と子のそれは別物としてほしかった。
◇
母親の言動行動は、わたしにとっては、恥ずかしかった。兄や他の子ども達には大受けだったんだけども。でもわたしのような子どももいたのも事実なんだよ。
◇
自己肯定感も自己効力感も自尊心も、奪われてしまった気がする。奪わないでほしかった。
◇
「神経質は大人になれば治る」と放っておかないでほしかった。親として出来る手立ては色々あったんじゃないのか。放置したからこじれてしまった。
◇
わたしが怖がることを理解してほしかったし、わたしが好くものに共感してほしかった。笑わないでほしかった。
◇
兄。わたしの創作をいちいち馬鹿にして冷やかすの、やめてほしかった。ノートを取り上げて読み上げて「これ意味わかってて書いてんの??」とかやらないでほしかった。わたしはじぶんの様々なことを恥ずかしく感じ隠すようになってった。
わたしが「大丈夫」という一言だけで安心しないで欲しかった
キリスト教やめてもいいと言って欲しかった
安心して本当のことを言っていい環境作りをしてほしかった
わたしが嫌と、恥ずかしいと感じることをわかってほしかった
◇
プラモデルの外箱を何も言わず捨てないでほしかった。あれのトラウマはものすごい影響してるし、お父さんへの不信感や恐怖感はそこから始まったようにも思う……
◇
両親二人して酒飲んでてほしくなかった。お父さんはベロベロになって会社から帰ってくるし、母親は夜に抜けだしてスナック行って帰ってくるからこっちが秘密を守らなきゃいけなかったし。
◇
体操着に名札をもっとちゃんと作って縫い付けてほしかった、、、体育の先生にさえ「お前もうちょっとちゃんと作ってもらえよ」って言われた…
◇
わたしの大事なものを軽視しないでほしかった。捨てないでほしかった。
◇
わたしが何かやってるときに、明からさまに嫌らしくニヤ~ッとしたりしないでほしかった。それはわたしに「お前のやってるそれは恥ずかしいこと」と認識させることにつながったから。
◇
わたしが好きなことや楽しいことを、一緒に楽しんだり共感したり尊重したりしてほしかったかも。馬鹿にしないでほしかった。
◇
セクマイかもしれないと想像してほしかった。想像した上で、守ってほしかった。
◇
ストレスがある、といったら、「こどもにストレスなんかあるわけない」と一蹴された。受け止めてほしかった。「何か辛いことがあるのかい」と聞いてほしかった。
◇
体育、球技は、不得意な子にとってはとにかくハッキリと差が目に見えてしまうもので、体育授業は恥さらし劇場になるだけなので、体育の授業にもっと工夫や選択があってほしかった…。特にドッジボールは恐ろしいだけだった。ボールは未だに怖い。
◇
母「芸能人はすぐに離婚する。我慢が足りないんだねぇー」
ガマンしてるってことだよね。それを聞かされて、わたしはどうしたらよかったやら。
◇
母が夜中抜け出してスナックに行ってること、父に言ったら、ベルトをムチみたいに鳴らして脅されながら、母に部屋の隅に「何で言ったんだ!」と追い詰められて問い詰められた。わたしは母の秘密を父に対して抱えなければならなくなった。
◇
お母さん、ヒステリックに理不尽にわたしのことを追い詰めたのに、その後しばらくして急に満面の笑みで「お母さんが一番あなたを愛してるのよ、大事」などと抱きしめられても、チグハグすぎです。混乱するようなことばかりしないでほしかったです。
◇
母のじぶんの性格ゆえに恥じらいもなくなんでもゴリ押しできてしまってただけのところを、イエス様のめぐみ、とか言うの、やめたほうがよかったと思う。
◇
母「お前は男のくせに、なんでそうなんだろうねぇ、フッシッギ~~!」
何か事あるごとにそう言われてた。やめてほしかった。
◇
学校でみんなからバカだと言われている、と打ち明けたら、両親から「バカと言われておけばいい。言い返すんじゃない」とアドバイス。やられっぱなし精神を培われてしまったような……。話を、気持ちを聞いてほしかったように思う。
◇
子供は傷ついたりしない、ストレスなどない、などと、見くびらないでほしかった。たかをくくらないでほしかった。
◇
キリスト教を物心つかないうちから信じさせないでほしかった。親の宗教信仰と子のそれは別物としてほしかった。
◇
母親の言動行動は、わたしにとっては、恥ずかしかった。兄や他の子ども達には大受けだったんだけども。でもわたしのような子どももいたのも事実なんだよ。
◇
自己肯定感も自己効力感も自尊心も、奪われてしまった気がする。奪わないでほしかった。
◇
「神経質は大人になれば治る」と放っておかないでほしかった。親として出来る手立ては色々あったんじゃないのか。放置したからこじれてしまった。
◇
わたしが怖がることを理解してほしかったし、わたしが好くものに共感してほしかった。笑わないでほしかった。
◇
兄。わたしの創作をいちいち馬鹿にして冷やかすの、やめてほしかった。ノートを取り上げて読み上げて「これ意味わかってて書いてんの??」とかやらないでほしかった。わたしはじぶんの様々なことを恥ずかしく感じ隠すようになってった。
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- テーマ:ひきこもり
- ジャンル:心と身体
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