つまり前回の「泉谷しげる「すべて時代のせいにして」」の記事をアップする直前に書いておいた文章である。
この文章をオフラインで書き上げ、さあオンラインにしてアップしようという段階で、その前に本文中に歌詞をリンクさせるために一応歌詞を検索し、そしてその歌詞の全貌、つまり2番の歌詞を見て「アッ」と思った。結果、この文章をアップするのをやめ、「架空の君へ」というやり方でああいう体裁の文章を記事にした。
だが、その後やはり100歩ゆずってみても、「ひきこもるのも〜」という部分はやはりいただけんなあ、という気持ちが沸いてきた。
あれだけ泉谷のこの歌に対して猛烈に反発感を覚えたのにその後僕の気持ちが瓦解したかのように見えたのは、うたばんにてワンコーラスのみ見、それから怒りにも似た感情を燃やしくすぶり、そしてその後すべての歌詞を見た、という偶然的経緯をたどったからにすぎない。冷静に見れば2番で譲歩があるとは言え、やっぱりなんだかひどさのある歌詞だ。
加藤智大や「働いたら負けかな」の彼によって(彼らはひきこもりではないと言ってるのに!!)ひきこもり害悪説が人たちの頭の中にガッチリと固定され、そしてまたひきこもり当事者はそれを受け止めすぎるというシステムは十分に構築されているように思え、そこへ泉谷のこのような歌が”もしも売れて頻繁に流れる”ようなことになれば、さすがにちょっとまずいなあ、という気がしている。
割りと多くの人達が、その思いを少し過激に言うならやはり「ひきこもりは死ね!」と思っているような中、この歌詞、しかも1番の歌詞のみが悪魔祓いのためのロザリオのように使用されるのではないか、という不安が僕としてはまだ渦巻く。僕も含めて誰でもみんな、自分の思いを正当化してくれるための材料や弁護士を欲してるんだから。
まあそんなこと、気にしすぎなんだろうけれど。これが”第三者効果”というやつ、心理か。最近本で読んだ。なんでもかんでも女性差別だなんだとキーキーやかましいキチガイ女みたいなものか。女性専用車両ならぬひきこもり専用社会を作れってか。
そんな訳で、以下は泉谷しげるの「すべて時代のせいにして」を聴いた直後にワナワナしてた僕が書いた文章である。つまり以下の文章は今この時においてはもはや自虐である。
*****
歯を磨きながら、うたばんをチラッと見ていた(僕はいつも台所で歯を磨き、そこには僕のPCとテレビがある)。
泉谷しげるが出ていて、「すべて時代のせいにして」という歌を歌っていた。
その歌詞を見て、ああなんて最悪な歌詞を書いて歌ってるんだコイツはと思った。
これはまさにひきこもりは全て犯罪者予備軍と言うかのような歌だ。またそういう見方は合ってるというような歌だ。
もちろんハッキリそう書いてある訳じゃない。だが「ひきこもり」という単語は明確に書かれてある。
この歌は、あきらかに秋葉原の無差別連続通り魔事件の加藤智大や、いわゆる「むしゃくしゃしていた。誰でもよかった」と言って事件を起こした連中を意識して作った歌と見ていいだろう。泉谷しげるの感性から言ってもそんなところだ。
泉谷はアウトサイダー、アウトローに見えて、実にマジョリティな感性の持ち主なのだ。
言い方を裏返せばこの歌は「いまのおまえの状態は全部てめえのせいだぞ、人のせいにすんな」という歌である。だが全ての責任をその人に返すというのも、やはり同じく人のせいにしていることと同じである(「自殺するなら勝手にしろ、でも死んだ後に生きた人の手を一切煩わせないやり方でな」)。そういう人は「一人で生きてるんじゃないんだぞ」という言葉と「人間みんな一人で生きてくんだよ」という言葉をひょいひょい翻して使うから油断できない。
泉谷は「ひきこもり」という単語を無邪気に使用しているが、「ひきこもり」というものがどういうものか見ていないからこそ(彼がひきこもりを無責任と歌うがごとく)無責任にもこの言葉を疑うことなく使えるのである。
ここでこの歌に共感して検索、ここに辿り着くという人もあるかどうかは知らないが、若干それを意識し(またそうすればそうするほど見苦しい姿になることを自覚した上で)”弁解”を書く。
引きこもりは、人のせいにする連中というよりも、むしろ「負わなくてもいい責任さえ負おうとしている人たち」と言ってもよい。また甘えることをしなさすぎた人たちでもある。ひきこもりやニートなんて頭の中で何も考えていない連中と思ってる人も多かろうが、「なんでそんなに色んなことを考えすぎてるの!?」というぐらい、考えてる。
普通、人は生きる上で責任の範囲をある程度さだめ、ここからここまでは自分の責任、そっちからあそこまでは自分の管轄じゃない、というのを持っている。その範囲は時によって変わり、保身のために大幅に矛盾しながら変わることもある。
そこから言えば、引きこもりには、ある程度負うべき責任を、親や社会や時代に返さねばならない部分がある(社会や時代に返すことは事実上不可能なので、「くそ、全部社会や時代のせいだ」と決め込む、ということ。そしてこれは普通の人はいくらでもやっていること)。
その段階を踏むとき、確かに引きこもりは「全部他者が悪いんだ、俺は何も悪くない」という意識にとらわれがちになる段階もある(その代表が加藤智大等だ、とするのには抵抗があるが、ここではそうしておく)。
だが「すべてを他者のせいにする」その部分があってこそ、冷静に自分がひきうける部分と、他者に押し返してもいい部分、この2つのバランスが後々に取れてくるのである。ダイエットでいうところの停滞期があってこそ、そのあとガクッと体重が減る、というようなものと例えるのはちょっと浅すぎだろうか。
健全(?)な成長をとげる思春期の男子女子を考えてみればよい。彼らは一度両親に憎しみや苛立ちや嫌悪を覚える時期を経て、それからある程度の通過儀礼などをすませ、両親に対するかつての思いが解き解されていくのである。まあそういった彼らが後々「親の気持ちも考えないひきこもりなど死ね」というようなマジョリティになっていくのであるが、そういう気持ちになれるのもある程度両親やまわりの支えといった環境が揃っていたからこそなのだ。「環境なんかなくても自分次第でしょ!?」と思うにしても、それもまた自分では意識できないほどに透明な環境が揃っていた部分がまた大きいからである(もっとも、本人の素質というのももちろんある)。
マジョリティ側からはマイノリティがブレーキをかけてしまう働きは見えないため「どうしてブレーキを?」と不思議がる。だがマイノリティ側からは、マジョリティがアクセルをかけられるための仕組みがよく見えているのである。(ブサイクだからと整形を考える人は大勢いても、イケメンだからと整形でブサイクになろうとする人がいないようなもの。もっとも、醜形恐怖に陥ればそればかりが真実とも言えないのだが)
また、場合によっては「すべて時代のせいだ」「親のせいだ」と思うことで、生きていける人も多いのである。というよりそういう方が社会や時代を泳ぎ渡る人達には多いのではなかろうか。誰もが知っているからこそ誰も問えないことというのは、まさに”世間”というヴェールに覆い覆われているからこそ、生まれつつも見ぬふりされるものなのである。
親が、子のひきこもりの原因を全て子に還元したいのも、結局は「自分のせいではない」というところに終始しているのである(そしてひきこもりはそれを受け取りすぎる。責任感が強すぎるため、限界値を高く設定しすぎているため)。
話を泉谷しげるに戻す。
泉谷しげるの「すべて時代のせいにして」に共感できる人があるならば、それは加藤智大といったひきこもりとしては特殊な事例の人間を念頭に置きすぎているからである。彼らは(定義上ひきこもりでは全くないのだけど、あえてひきこもりだとするならば)ひきこもり推定人口の100万分の1にすぎない人間である。彼らをひきこもり代表者として一般化し「甘えた負け組犯罪者予備軍」と一辺倒に断罪するのは、ひきこもり100万人をなおのこと追い詰め(ひきこもりを害悪だとするのであれば)増殖させるだけに過ぎない。
はっきり言おう。
「泉谷しげるよ、あんたひきこもりを自殺に追い込む気か?」
そこで「自殺すんのも、てめえに負けたんだよ、時代のせいにするな」と言うのなら、もう何も言わないが……。
ただし上記したようなことだからといって、この歌が即刻発禁にすべきだとか、団体がクレームをいれるとか、そういうのは全く持ってお門違いであり、僕とてそうは全くおもわない。
なお、これと似たような感性の歌で山崎ハコに「ブリキのマーチ」という曲があるのを今ふと思い出した。これは宮崎勤をモチーフにした歌なのであるが、現在もし流行るような事があれば、多くのオタクたちが反発感を覚えるか自虐のために使用するに違いない内容の歌詞になっている。「あなたのみている青空や女の子は二次元のアニメの中の絵にすぎないんだよ、三次元では絶対に出会えないんだよ」というような内容からはじまり、そこにオタクの独白が「決めたんだ。もう大人にはならない、ともだちもいるから淋しくない」と入る歌詞である。
そういえば、中島みゆきにも「4.2.3.」という在ペルー日本大使公邸占拠事件をモチーフにした12分にも及ぶ歌があるが、これもまたファンの間では評判が若干悪い。「なぜ日本人が助かった事ばかりを報道して、日本人もそれだけを喜んでいるのだろう。日本と名のつかないものにはいくらでも冷たくなれるこの本性こそが日本人の正体なのだ。この国は危ない。」という内容。まあこの歌、僕は大好きなのだけど。
具体的な時事と音楽というのは、かけあわせるにはもともと相性が悪いものなのかもしれない。川柳などに任せておくべきか。
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