「”ひきこもり”」が問題にならなくなる状態とは・・・??
- 2013/07/24
- 23:25
「ひきこもり」が問題にならない状態。名詞の形で「ひきこもり」で扱う限り終わりそうもない予感がする。同性愛という状態像が少しずつ「異性愛と変わらずふつーのこと」と認識されてきた歴史を参照するといいのかも。「ひきこもり」はセクシュアル・マイノリティーで言うところの”クローゼット”に限りなく近いように思う。私はなるべく「ひきこもり状態のヒト」等々という事にしてる。
なんつったって、もはや「ひきこもり」という言葉で不快になる、傷つく状態も、ありえるからね・・・。ひきこもり状態にあるヒト/分類されるヒトが、オープンにカミングアウトするところから、なのかもしれないけど、実はオープンにカミングアウトできる状態像をもってして、すでに「ひきこもり」は消え去ってしまう。「ひきこもり状態でした」というやり方でしか、カミングアウトができない。
人前で「クローゼットです」といっても、その状態はもうオープン。クローゼット、ある種のセクシュアリティーへの偏見への理解を共有してるヒトたちの中で「ここでは打ち明けられますが」という前提や状況があって、「私はクローゼットなんですけども」という言葉がようやっと成立する。
レインボーパレードにいったとき、「ひきこもりのゲイです」とプラカード(厚紙)をもって歩いたことあったが、かなりの割合で「ひきこもりじゃないじゃんwww(外に出られてるじゃないか)」とウケた。ウケたのはよかったが、伝わらないな、と思ったので「今日はがんばって外に出てきたんです~○日ぶりの外出なんです~」と声を出すしかなくなった。しかしその瞬間「ひきこもり」は消えている。
「ひきこもり」が問題でなくなるとき、それって、すでに「ひきこもり」って消えかかってるような気がする。問題じゃなくなる、ってのは、「ひきこもり」がガン無視されてるか、あるいは、「ひきこもり」が社会的に認知されて何かしらの形でソーシャルに携われていて、「ひきこもりって問題じゃないよな」と言われることすら意識されることない状態像なわけで。そうなると、すでに「ひきこもり」って無くなってる。
「ひきこもり」ということを問題にしないためには、という試行錯誤をやってみて、結果的にきらきらした言説(極端になってしまったものだと「不登校する子のほうが普通、不登校にならない方がおかしい」レベル)にたどり着く、というパターンが多かったりしたんではないのか、という気がする。ひきこもり状態蔑視嫌悪にもいかず、ルサンチマンにもいかず、キラキラ差別にもいかず、「ひきこもり」が問題にならない、とは、
どのようにあり得るんだろうか……。1998年の出版の「社会的ひきこもり」を、斎藤環に「社会的ひきこもり状態像」に改題させるためのタイムマシーンを開発するしかないっ(←飛躍
なんつったって、もはや「ひきこもり」という言葉で不快になる、傷つく状態も、ありえるからね・・・。ひきこもり状態にあるヒト/分類されるヒトが、オープンにカミングアウトするところから、なのかもしれないけど、実はオープンにカミングアウトできる状態像をもってして、すでに「ひきこもり」は消え去ってしまう。「ひきこもり状態でした」というやり方でしか、カミングアウトができない。
人前で「クローゼットです」といっても、その状態はもうオープン。クローゼット、ある種のセクシュアリティーへの偏見への理解を共有してるヒトたちの中で「ここでは打ち明けられますが」という前提や状況があって、「私はクローゼットなんですけども」という言葉がようやっと成立する。
レインボーパレードにいったとき、「ひきこもりのゲイです」とプラカード(厚紙)をもって歩いたことあったが、かなりの割合で「ひきこもりじゃないじゃんwww(外に出られてるじゃないか)」とウケた。ウケたのはよかったが、伝わらないな、と思ったので「今日はがんばって外に出てきたんです~○日ぶりの外出なんです~」と声を出すしかなくなった。しかしその瞬間「ひきこもり」は消えている。
「ひきこもり」が問題でなくなるとき、それって、すでに「ひきこもり」って消えかかってるような気がする。問題じゃなくなる、ってのは、「ひきこもり」がガン無視されてるか、あるいは、「ひきこもり」が社会的に認知されて何かしらの形でソーシャルに携われていて、「ひきこもりって問題じゃないよな」と言われることすら意識されることない状態像なわけで。そうなると、すでに「ひきこもり」って無くなってる。
「ひきこもり」ということを問題にしないためには、という試行錯誤をやってみて、結果的にきらきらした言説(極端になってしまったものだと「不登校する子のほうが普通、不登校にならない方がおかしい」レベル)にたどり着く、というパターンが多かったりしたんではないのか、という気がする。ひきこもり状態蔑視嫌悪にもいかず、ルサンチマンにもいかず、キラキラ差別にもいかず、「ひきこもり」が問題にならない、とは、
どのようにあり得るんだろうか……。1998年の出版の「社会的ひきこもり」を、斎藤環に「社会的ひきこもり状態像」に改題させるためのタイムマシーンを開発するしかないっ(←飛躍

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