塵も積もればヒキコモリ@ひきこもりブログ

となりのトトロを見た

久し振りにとなりのトトロを見た。これまで数度見ているはずなのだけど、そのたびあまりピンとこなかったのだが、今回初めて面白いと感じた。同時に、それまで面白いと感じなかったのも、しょうがなかったかな、と思う。

見ている間中、アタマの中は河合隼雄や五味太郎の本、それから心理学や精神分析や発達心理学、その他子どもの本や「毒になる親」とか、そういう本で得た知識がフル……とまではいかないが、ちらほら回転していた。

その手の本をここ二年でそれなりに読んだから、ようやくとなりのトトロに出てくる色々な人物の”気持ち”と呼ばれるものらしきものが、ある程度推測できるようなアタマになったのである。

かつて見た時に面白く感じなかったのは、人物の”気持ち”が端から端までわからなかったのだ。面白く感じなくて、結局どんな話だったのか自分の中で繋がらず、さっぱりわからなかった。だから文字通り、記憶に残らなかった。今回も見て、そうか、こんなストーリーだったのか、と思った。

引っ越してきたサツキとメイがあんなにはしゃぐのがわからなかった。お父さんがあんなお父さんなのがピンとこなかった。カンタという男の子が最初にサツキにイーッなんてするのは当時からちょっとわかった。なんであんなに姉妹が仲よくくっついてるのかがわからなかった。メイがどうして突然サツキの学校にきてしまったのか。どうしてサツキはいなくなったメイを心底心配してるのか。etc、数え上げればキリがない。過去に見た時にこうして言葉にして疑問を感じてた訳じゃなかったけど、こういう点がすべてハテナマークになることすらないほど、わからなかったのだ。

それがようやく、自分のために各種色んな本を読んだおかげで、「人、大人、子どもの心理に関するマニュアル」がアタマの中にある程度整理整頓されたのだと思う。それが今回となりのトトロを見て役に立った。

しかしこれが「人の気持ちを考える」という行為であるなら、人の気持ちを考えられる過程というのは、随分勉強に近いものなのだなと思うし、正直なところ、一般的な「人の気持ち」というのは、慨して純粋に発生するものではないんだな、と思う。

例えば葬式の場面があるとする。僕の気持ちとしては「ここで僕が柩をいきなりひっくり返したらどうなるのかなあ」とか「骨壷、あれ割れちゃいそうだけど、あの人の足、僕がひっかけたらすっころんで当たり一面に骨がちらばるのかしら」とか、そういうのが沸いてくる。それが僕としては純粋に発生するものである。そういうのは子どもの頃から変わらない。

だがどうやら通常は「謹まなければ」とか「悲しい」とか「遺族が可哀想」という気持ちが沸いてくるらしい。

こういった”通常の人の気持ち”なるちょっとつまらなそうなものを、僕はそれなりに説明書を獲得したのだ。本を色々読んだことで。マニュアルがアタマの中に叩き込まれてきた。

しかし勝手にこれを成長だとか目を細めてようやく大人になったんだね、こっちの世界にきたんだねとかは言ってほしくない。そう言う人達の仲間に勝手にいれないでくれ、とは思う。彼らはあくまで実に自然にそういうことを見る眼がそもそも備わっていたのである。僕はそうではない。どうやらかなりガンバってマニュアルをインプット&インストールしていかないと、ダメ、稼働しないらしい。

ただそうなってしまっている部分については、元もとの自分の要素としてそれが備わっているところが強いという可能性と、普通の子供の体験がまったく出来なかったところが強い可能性、どちらも考えられる。普通の子供の体験がまったく出来なかった、させてもらえなかった、いじめられたり親にそれを気付いてもらえなかったり等で、通常普通に自分で獲得していけるはずの”人の気持ちマニュアル”を、めくったり書きこんだり修正したりする機会が上手い具合に(?)設けられなかった人生だったのかもしれない。両者の掛け合わせもあるかもしれない。もっと別の要素もあるかもしれない。

と、こうして結局トトロについての感想を書かず、あくまで自分の内面的なことに従事してしまうあたり、やっぱりもう少し何か色んなマニュアルを新規保存していかないとダメなのかなぁと感じている。

だから「人の気持ちがわからない、自分の心がわからない」というアスペルガー症候群やひきこもりやニートやその他の色んな人は、本を読みましょう。あなたたちは実体験を通じたところで、何も獲得できない人達なのです。実体験では焦ったり恐がったりおののいたりするぐらいで終わって余裕がなくてどんな考えにも至れません。数年間そのことについて悔やむだけです。さあ本を読みましょう。落ちついて第三者の目線で、色んなパターンを自分の中に産めこんでいきましょう。それが、”そこそこにまともな人”に近づくための第一歩です。そんなところに近づいていってもあんまりいいことも個性もなさそうだけれど。これは実感。

で、トトロの感想も少しは書かないと。本当に少しだけ。

この話の中ではメイが最も存在としてはチビであり、メイは常にチビ扱い。だから自分だって出来るんだ、自分の意見だってきいてほしい、という意識が強くなる。それがどうにもならなくなると、泣いてしまう。お母さんのことでサツキとメイが喧嘩したあと、メイはサツキがおばあちゃんにすがって泣くところを見る。メイはそのサツキの姿を見て、「お姉ちゃんも色々あるんだ」的なことを感じ、一人でお母さんのもとへいこうとする。この心理的な移ろいを自分で勝手に見出したのだけど、それがなんだかウマイナーと感じた。

しかしいちいちこんな風に考えて子供を見ようとする視線を持つ限り、僕は人の親にはなれないしなる素質も資格もないのだろうと思う(なる気もないけど)。これらの見方・まなざしが気化のような過程を経て、親になれる人間になるのかもしれない(なれないんだけど)。


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| | 2008年07月20日(Sun)23:07 [EDIT]


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| | 2008年07月26日(Sat)00:41 [EDIT]


 

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