パソコンで作業しつつNTVをつけっぱなしにしていたので、世界一受けたい授業を横目でちらちら見ていた(というか、これ書いてる段階でそう)。
で、世界の飢餓についてやっている。子供や女性がまず死んでいく〜とかやっていて、ゲストが「私たちは何気なく食事したりしてるけど、こんな国があるなんて普段考えてませんよね」とか言っている。
これを見てて、あれ、と思った。
彼ら芸能人は、まあこういう現状を知らせるためのスピーカーとしての役割であるからしょうがないのかもしれないが、例えば松居一代なり石黒彩なり石原義純なりヘリョンなりペナルティなりを見ていると、「あれ、おまえらなんだかんだで、こういう特集の番組、何度か出演してない?そんで毎回はじめてこの現状を知った、みたいな顔してない?」と思ってしまった。
視聴者の中には、確かにこういう番組を通じてはじめてその現状を知ってワーッ!となって、実際動き出す人もいるのだと思う(かつて僕は子供の頃、そういう世界の状況を知って、いらない食べ物アフリカに送るにはどうしたらいいのかしら、と一人で考えていた)。それはそれでいいと思う。
だけど彼ら芸能人は、広告塔としてだけの役割になり、「私たちが世界の現状を伝えるから、一般人のみなさん、頑張って意識改革して忙しい生活をいったん休んで世界のために少しは手を尽くしてねー」という立場なんだなぁ、と思った。
つまり、なんというか、テレビの中で仕事していれば、こういう飢餓の国なり貧困の国なりを何度も見る経験をするわけで、そのたびに心がほんとにつらくなっていたとしても、実際に芸能人の仕事をやめてまで、そういう国に何かアクションを個人としてやろう、という芸能人って、ほとんどいない。(そういう活動やってる人は・・・?と考えて、今ふと思い浮かぶのは藤原紀香、黒柳徹子、など。)だって、インディアンウソツカナイみたいな感じで「芸能人、忙しい」ってところでしょ。それとも見えないだけであって、実際には何かやってる人も多いのかしら。募金とか寄付とか。
でも、一般人も一般人でみんな忙しい(ひきこもりニートな僕も”ひきこもりニート”をフルタイムハードワークやっていて忙しいのです)。芸能人がいくら「テレビの前のみなさん、考えてね」っていっても、世界の悲惨な状況を、ドラマ視聴者として忙しく伝える芸能人たちの存在・言葉・立場そのものが、「忙しい日本人にはこういう国への支援は無理ですねなんだかんだいって。」といってるように、見えた&きこえた。事情があれば世界の悲惨な現状にも眼をつぶって、たまに「そんな国があるから、私たちは申し訳ないですよね」という顔をして、そして明日からまた忙しい毎日を過ごしていく。それだけでいいんですよ、というふうに見える&きこえる。
ホワイトバンドが流行ったとき、それを買って腕にはめて、それが募金にもなににもならないと知った人でも「いやでもきっと気持ちは伝わるから」とかいって何も考えずにはめ続けていた人がいた(らしい)。
なんとなく、「メッセージ伝え伝えられでおしまい&それで心地よい症候群」(すごい名前)に陥りすぎ、あるいはテレビマスコミ音楽などに陥らされすぎなのじゃないかな、とふと思った。
僕自身は、そういう飢餓の国で何かやれるならやってみたいなぁという気持ちも子供の頃からあったけど(僕が子供の頃は環境破壊というより、資源はいずれなくなってしまうから大切に使っていかなければ、という教えをうけた・・・ドラえもんで)、実際現実として考えると、そういうことをしようと覚悟するにはかなり腹をくくることになるなぁ、言葉も覚えなきゃ、治安だって悪いところあるだろうし、偽善者っていわれそうだし、目の前で子供がリアルにバタバタ死んでいくの見られるかしら、清潔な日本でぬくぬく育った僕だからたかってくるハエにぎゃあぎゃあ騒いでしまいそうだ、まあすぐに慣れるんだろうけど、第一そうするならパスポート取らなきゃね、日本で現地の病気のための予防注射うたなきゃだな、注射こわいなあ・・・とか色々いま考えてみたら、ちょっと体がこわばってしまった。無力だ、僕は無力すぎる、と。
でも多分「全然そんなことない、どんな人でも現地いって助けてくれるのはすごい立派なことですよ、誰に悪くいわれても、なにも報われなくても」と言ってくる人もいっぱいいるんだろうなぁ。実際ほんとにそんなかんじなんだろうな。あるいは「あほか、何もしてない状態でそれは色々考えすぎ」とか。この考えすぎなところが神経症だったりするかしら。
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で、世界の飢餓についてやっている。子供や女性がまず死んでいく〜とかやっていて、ゲストが「私たちは何気なく食事したりしてるけど、こんな国があるなんて普段考えてませんよね」とか言っている。
これを見てて、あれ、と思った。
彼ら芸能人は、まあこういう現状を知らせるためのスピーカーとしての役割であるからしょうがないのかもしれないが、例えば松居一代なり石黒彩なり石原義純なりヘリョンなりペナルティなりを見ていると、「あれ、おまえらなんだかんだで、こういう特集の番組、何度か出演してない?そんで毎回はじめてこの現状を知った、みたいな顔してない?」と思ってしまった。
視聴者の中には、確かにこういう番組を通じてはじめてその現状を知ってワーッ!となって、実際動き出す人もいるのだと思う(かつて僕は子供の頃、そういう世界の状況を知って、いらない食べ物アフリカに送るにはどうしたらいいのかしら、と一人で考えていた)。それはそれでいいと思う。
だけど彼ら芸能人は、広告塔としてだけの役割になり、「私たちが世界の現状を伝えるから、一般人のみなさん、頑張って意識改革して忙しい生活をいったん休んで世界のために少しは手を尽くしてねー」という立場なんだなぁ、と思った。
つまり、なんというか、テレビの中で仕事していれば、こういう飢餓の国なり貧困の国なりを何度も見る経験をするわけで、そのたびに心がほんとにつらくなっていたとしても、実際に芸能人の仕事をやめてまで、そういう国に何かアクションを個人としてやろう、という芸能人って、ほとんどいない。(そういう活動やってる人は・・・?と考えて、今ふと思い浮かぶのは藤原紀香、黒柳徹子、など。)だって、インディアンウソツカナイみたいな感じで「芸能人、忙しい」ってところでしょ。それとも見えないだけであって、実際には何かやってる人も多いのかしら。募金とか寄付とか。
でも、一般人も一般人でみんな忙しい(ひきこもりニートな僕も”ひきこもりニート”をフルタイムハードワークやっていて忙しいのです)。芸能人がいくら「テレビの前のみなさん、考えてね」っていっても、世界の悲惨な状況を、ドラマ視聴者として忙しく伝える芸能人たちの存在・言葉・立場そのものが、「忙しい日本人にはこういう国への支援は無理ですねなんだかんだいって。」といってるように、見えた&きこえた。事情があれば世界の悲惨な現状にも眼をつぶって、たまに「そんな国があるから、私たちは申し訳ないですよね」という顔をして、そして明日からまた忙しい毎日を過ごしていく。それだけでいいんですよ、というふうに見える&きこえる。
ホワイトバンドが流行ったとき、それを買って腕にはめて、それが募金にもなににもならないと知った人でも「いやでもきっと気持ちは伝わるから」とかいって何も考えずにはめ続けていた人がいた(らしい)。
なんとなく、「メッセージ伝え伝えられでおしまい&それで心地よい症候群」(すごい名前)に陥りすぎ、あるいはテレビマスコミ音楽などに陥らされすぎなのじゃないかな、とふと思った。
僕自身は、そういう飢餓の国で何かやれるならやってみたいなぁという気持ちも子供の頃からあったけど(僕が子供の頃は環境破壊というより、資源はいずれなくなってしまうから大切に使っていかなければ、という教えをうけた・・・ドラえもんで)、実際現実として考えると、そういうことをしようと覚悟するにはかなり腹をくくることになるなぁ、言葉も覚えなきゃ、治安だって悪いところあるだろうし、偽善者っていわれそうだし、目の前で子供がリアルにバタバタ死んでいくの見られるかしら、清潔な日本でぬくぬく育った僕だからたかってくるハエにぎゃあぎゃあ騒いでしまいそうだ、まあすぐに慣れるんだろうけど、第一そうするならパスポート取らなきゃね、日本で現地の病気のための予防注射うたなきゃだな、注射こわいなあ・・・とか色々いま考えてみたら、ちょっと体がこわばってしまった。無力だ、僕は無力すぎる、と。
でも多分「全然そんなことない、どんな人でも現地いって助けてくれるのはすごい立派なことですよ、誰に悪くいわれても、なにも報われなくても」と言ってくる人もいっぱいいるんだろうなぁ。実際ほんとにそんなかんじなんだろうな。あるいは「あほか、何もしてない状態でそれは色々考えすぎ」とか。この考えすぎなところが神経症だったりするかしら。
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