タイプテスト……。人のタイプというのは内向型か外向型かの2種類に分けることができ、更に思考・感情、直観・感覚の4種類に分かれる、というような事で、自分はどのタイプになるか、そしてどの傾向が弱いか、などを知るためのテスト。なのだけど、これがどうも上手く出来ない。
というよりも、ここのところ最近、インターネット上で出来る「性格分析」等の類のもの全般が、上手く出来なくなっている(まあやるといっても時たまやるぐらいだけど)。
そういう分析テストというのは大抵質問が20項目ぐらい用意されており、それに対して「はい・いいえ」、あるいは「どちらでもない」とかそういう選択肢があってそれをチェックしていくことがほとんど。
この質問に対する回答で、YES/NO、どちらにしようか迷うのである。
分析テストの回答をどちらにしようかで迷ってしまうこと、それは昔から結構あったのだけど、でもそれは多分人並みの迷い方だったのだと思う。「はい・いいえ・どちらでもない、以外に、もう少し曖昧な選択肢があったらよかったんだけど……」のような。
だけど最近は、どうも「あれ、どっちだろう??なんかYESのような気もするし、NOのような気もする」という感じになることがかなり多い。言い換えると「ちょっと前まではYESだったような気がするけど、ここ最近はNOのような気もする。」というような迷い方になる。
たとえばこんな質問があったとする。「あなたは感覚で物事を決める方ですか」というような。それに対して、多分数年前なら「YES」と迷いなく書いていた。しかしここ2年で自分の中ではビッグバン並みに読書をするようになり、そしてこんな風にブログで色々と書いていたりする。とそんなことを考えると、「自分は理論的になりつつあるのではないか?」と思って「NO」なのではないか、と思ったりする。
だがまてよ、そもそも文章を書いたり読んだりすることが理論的とはいえない。難しい本でも、使われてる言葉や文脈のよさが好きで、意味もわからない・何が書いてあるのかわからないけど、字面を目でなぞることはあるなぁ、あたかも音楽を聴くかのように……と思うと、これは感覚的だということになるのではないか、と考えてしまう。
しかしそんな風にYESかNOかどちらになるかの根拠をあれこれ考えている状態がすでに理論的性癖になっているのではないか、と考えたりもする。
デカルトじゃないけど「我思う、ゆえに我理論的」か「我思う、ゆえに我感覚的」か。鶏と卵、どちらが先かというなら、かわいいからヒヨコ、ってことで済むのだけど。
やはり何か過渡期に来ている、あるいは入りかけているのだろうか。それが良い方向なのか悪い方向なのかはわからないが。しかし少なくとも何かマイナスな出来事を他人や周囲のせいにし自分を正当化する、という思考を少しずつでも獲得しようとしつつあることは、大きいことなのだろう。
一言まとめ
「性格分類テストなんかをするのは、しばらくお休みしよう。多分今後どんどん変わる可能性あり。」
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全く関係ない話だが、美輪明宏の「人生ノート」を読んだ。これを読んでつくづく思うのだが、「そんならどうして美輪明宏ともあろうお人が(って、そこまで僕は彼に尊敬の念を抱いてるつもりもないけど)あんな江原啓之なんぞと仕事をしたのか」と思ってしまう。
「オーラの泉」を毎週ではないがちょくちょく見ていた時期があり、江原が美輪に巧妙に助け舟を出し、それを美輪が受けた時のパターンが必ずいっつも一緒で、それを見て僕はテレビの前で苦笑することがよくあったが、「だってそれがア〜タクシのお仕事ですもの、そうじゃございません」などというなら、なるほど、と思えるのだけど。この人は人生相談だけやってればいいなと思う。
ただ「オーラの泉」、あるいはスピリチュアル的世界を懐疑的な視点で見られるようになったのは、僕の今までの感覚からいえば大変異色であり、また有意義のある経験だと感じている。そのおかげでキリスト教と距離を置こうという思いにも至れたのかもしれない。そのための道具としては、江原啓之のインチキパフォーマンスも役に立ったのだ。
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