時々、Youtubeで中森明菜の動画を見ることがある。中森明菜の鬼気迫る感じを見て、ああいいなぁと感じる。あふれそうな感情を必死におさえて歌うような表情、それが演技なのか本当の緊張からきてるのかはわからないけど、そういう表情で歌っているのを見ると息を呑む。一言でいえば「怖い」ので、とてもいいなあと思う。なんかギリギリでやってる感じがいい。
しかしハッキリとはわからないけど僕はある時期ぐらいまで中森明菜を好きなことはだめなこと、よくないことだと思っていた。いや、もしかすると本当に数日前までそうだったのかもしれない。そうじゃないことを、Youtubeでかつての中森明菜の姿を見て、改めて且つ初めて確認したのかもしれない。それというのも、
母が強烈なアンチ中森明菜だったからである。
母はかつて松田聖子が大好きだった、と書けば、いわゆる「松田聖子ファンでアンチ中森明菜」というあの頃多分多かった典型的なタイプの人だということがわかる。週刊誌やワイドショーにいちいち踊らされ、松田聖子の報道には聖子側につき中森明菜の報道にはテレビ・週刊誌側を信じるタイプであった。(
母は今でも当時のワイドショーの夢の中におり、郷ひろみが離婚したときは「見ててごらん、聖子ちゃんと結婚するよ!」と言い放った)
母はことあるごとに中森明菜をけなしていた。
「自殺未遂なんかしてばかじゃねーの、マッチに大迷惑だよ」(それはそうかなと僕も思いますけど)
「見て、あの痩せてるの!鶏がらみたい、気持ち悪い〜」
「あーあー、声が全然伸びないね、だめだね、シロウトみたい。聴いてられない」
”クリスチャン”の
母による中森明菜への言である。
とはいえ
母はアンチ中森明菜であっても、中森明菜の曲そのものは好きだったから、車の中でもよく流れていた。僕はそれで中森明菜の曲を覚え、好きになった。
ただ自分が中森明菜の歌が好きである、ということは、言いづらかった。というよりそういうことを考えることを意識すらもしていなかった。「本当は好きなんだけど、言えないなぁ」という思いが発生することはなかった。「僕も中森明菜が嫌い、こいつやなやつ」と思い込まされていたため。だがその「嫌い、やなやつ」というのも、今考えると途方もなく根拠のないものであった。
母がアンチだったから。
母がけなすのを繰り返し聞いていたから。少年はそれをスポンジのように吸い込んだ。ただそれだけ。
感性的に中森明菜の歌は好きだが、
母が強烈なアンチのために中森明菜の歌を好きとは決して言う機会のなかった子供。どういったらいいのかわからないが、なんとも歪んだ何かがそこに感じ取れる。決して”のびのび”と音楽を楽しんでいた子供ではないことは確かだと思う。
そして今でも、
母には中森明菜が好きなのだとはちょっと言えない。言ったとしても、「あんたも昔よく聴いてたじゃない、その影響だよ」ぐらいしか言えないと思う。
車の中で流れてくる中森明菜の歌に対して僕が「中森明菜の歌詞って意味わかんないね!中森明菜の歌って全部そうだよね!」と言ったことを思い出した。「LIRA」とかその頃だったろうか。しかしじゃあ僕は他の歌手の歌の歌詞は意味わかってたのかと言えば、わかってるはずもなく、単にそれは
母のアンチテーゼに同調するために言い放ったことであった。
母はその時、確かなんと返事したらいいのかよくわからなかったような感じだった覚えがある。だからこそ、この言葉を言ったことをよく覚えてるのだと思う。
僕は多分、中森明菜がやはりどこか薄幸気味で、自殺未遂の経験があったり、歌っている最中テレビに映ってるのに「チッ!」と舌打ちするような表情をしたりするのが、好きなのだ。そして
母はほぼ同じことを理由として、嫌っているのだと思う。
これは価値観の違いと言っていいのかな。しかし価値観の違いを意外と
母はわからないことが多い。僕は「僕が好きであるその理由と同じ理由であなたがそれを嫌い」というのはよくわかる。だが
母は「
母が嫌いであるその理由と同じ理由で僕がそれを好き」ということはわかってくれないことが多い。
「好き」は、嫌うことの正当性への考慮をも包含しているだけだろうか。「嫌い」は、好くことの正当性への考慮が含まれていないのだろうか。自分に置き換えて考えてみたいけどちょっと思い浮かばない。なぜなら、どこの国だったか忘れたけど、日本のとは種類が違えどゴキブリを飼う国があった。その国には僕は絶対いけないと思ったが、可愛がってるんじゃその気持ちは仕方ないな、と思えるからだ。
そしてこれらのことから、思う。もしかすると、僕は本当は好きだったのに、父と
母、場合によっては兄の好みによって、フタせざるを得ないものが、沢山あったのではないだろうか。特に兄については、結構前にこのブログでも書いたが、兄によって僕の創造性を封じられた感じはかなり実感としてある。
中森明菜の曲の中では「二人静」とか「難破船」とか「月華」とか「原始、女は太陽だった」とかのあたりが好き。「スローモーション」「少女A」「北ウイング」などのアイドルアイドルしているような曲は、さほど好きではない。「SOLITUDE」は眠くなってしまう。最近の歌はわからない。
また、中森明菜には中島みゆきをカバーしてほしい。「ジェラシー・ジェラシー」「十二月」「帰れない者たちへ」「噂」「遠雷」あたりなんか似合うような気がする。
そういえば、僕は松田聖子には一切はまらなかった。どうしてだろう、と考えるが、今答えがわかった。それは僕が小さい頃、「魔法の天使 クリィミーマミ」が大好きだったからである。松田聖子的なものは、多分このクリィミーマミだけで十分だったのだ。
一言まとめ。
「ずっと中森明菜は嫌いだと思い続けてきたけど、それは
母による洗脳に過ぎなかった。しかしそうとわかっても僕は、今後も中森明菜が好きだと
母に言えないだろう。しばらくの間は。」