塵も積もればヒキコモリ@ひきこもりブログ

あの頃の父へ(子供の頃に戻ったつもりで)

#1


何が「子供にストレスがあるわけないだろう(笑)」だ。

子供にだってストレスぐらいあるのじゃ。

ワシゃストレス満タンじゃ。

ふざけるな。

おまえが子供の頃にはアホみたいに生きてたからって一緒にすんな。

えらそうに威張り腐りやがってクソ親め。

ワシのストレスはおまえのせいもめちゃくちゃあるんだぞ。

おまえがストレスじゃ。おまえがワシのガンじゃ。


#2


なんで僕があんなに大切にキレイに保管してたプラモデルの箱、全部捨てちゃったんだよぉお。

「おさんがゴミ全部捨てておいてあげたよ!」「せっかくおさんが捨ててあげたのに」とまで言った。

それで僕が泣き叫んでもどうしてわらって僕のこと見てたんだ。

なんであやまってくれなかったんだ。

僕、誰にも素直にあやまれない人になっちまったよ。


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戦争のドラマを横目でチラ見した感想

さきほど日本テレビで放送していた、戦争のドラマを、耳にイヤホンして音楽聴きながら&PCで絵を描きながら、横目で見ていた。母が見ていたので、目の前のテレビの画面がどうしても目に入る、というぐらいで。

時々イヤホン外して音声をきいてみると、どうやら靖国神社等と関係しているらしい。

僕は戦争の話については、正直よくわからない。小中でまったく勉強してなかったから(教わらなかったということじゃなく、僕は勉強しない子だったという意味)、そもそもの知識がないというのと、戦争を肯定する意見も否定する意見も、どれをきいても「一理あるなあ」と思ってしまうため、立場が取りづらい。これがもし、小さい頃に実のじいさんばあさんに戦争の悲惨さでも伝えられていたなら違ったのかもしれないが、祖父母から戦争の話は一度も訊いたことはない。

そういう訳でドラマの戦争の是非的な部分については、何も考えようがなかった。ま、そうはいってもテレビで流せるぐらいなんだから、所詮ドラマよね、ぐらい。でも、それでも横目で見ていて、ふと思ったことがある。

よくわからないが「このまま生きて帰るなんて生き恥だー!」とか、戦争体験者が今まで生きてきていまだに傷が癒えないとかっていうのって、神経症なのでは?心の病なのでは?現代なら、そうとらえておかしくない精神構造だと思う。

だから、今、(これもよくわからないけど)沖縄の自決がどうのとかいうことで色々語っているおじいさんおばあさんたちも、いまだに癒えない神経症にとらわれている人達、治療法を知らない人達という見方もできるんじゃないだろうか。

しかしもうだいぶ年のいった人達な訳で、今からカウンセリングや精神科で薬を、ということになっても間に合わないんだろうなあ。戦後すぐにカウンセリングや精神科がもし普及して、認知療法なりが一般化されていたなら……とふと想像してみる。

実際、トラウマな過去の記憶って、増幅されたり、なかったことが記憶として定着したり、話が大きくなったりするし。

戦争の問題解決の中に、「戦争体験者の神経症の問題もある」という立場ってないのかな。あるのかしら。あっても「わしらが病気だとでもいうのかえ!!」とかの一喝で終わりかしら。

欧米なんかだと、普通に戦争体験の悲しみをカウンセリングなりで癒す、っていうのがありそう。「だめなんです、どんなに眠ろうとしても、あいつの死んだ顔が浮かんできて……」とか相談して、カウンセラーが瞑想をすすめちゃったりなんかして。

あと、地上波ドラマとしては結構凄惨な映像のつくりだったのが気になる。時間が時間なら、あれぐらいの描写もできるんだなって思うと、テレビの規制ってやっぱ世の親達が絡んでて、テレビをつまらなくしてるんだなと感じる。


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「世界一受けたい授業」を横目で見ててふと思った

パソコンで作業しつつNTVをつけっぱなしにしていたので、世界一受けたい授業を横目でちらちら見ていた(というか、これ書いてる段階でそう)。

で、世界の飢餓についてやっている。子供や女性がまず死んでいく〜とかやっていて、ゲストが「私たちは何気なく食事したりしてるけど、こんな国があるなんて普段考えてませんよね」とか言っている。

これを見てて、あれ、と思った。

彼ら芸能人は、まあこういう現状を知らせるためのスピーカーとしての役割であるからしょうがないのかもしれないが、例えば松居一代なり石黒彩なり石原義純なりヘリョンなりペナルティなりを見ていると、「あれ、おまえらなんだかんだで、こういう特集の番組、何度か出演してない?そんで毎回はじめてこの現状を知った、みたいな顔してない?」と思ってしまった。

視聴者の中には、確かにこういう番組を通じてはじめてその現状を知ってワーッ!となって、実際動き出す人もいるのだと思う(かつて僕は子供の頃、そういう世界の状況を知って、いらない食べ物アフリカに送るにはどうしたらいいのかしら、と一人で考えていた)。それはそれでいいと思う。

だけど彼ら芸能人は、広告塔としてだけの役割になり、「私たちが世界の現状を伝えるから、一般人のみなさん、頑張って意識改革して忙しい生活をいったん休んで世界のために少しは手を尽くしてねー」という立場なんだなぁ、と思った。

つまり、なんというか、テレビの中で仕事していれば、こういう飢餓の国なり貧困の国なりを何度も見る経験をするわけで、そのたびに心がほんとにつらくなっていたとしても、実際に芸能人の仕事をやめてまで、そういう国に何かアクションを個人としてやろう、という芸能人って、ほとんどいない。(そういう活動やってる人は・・・?と考えて、今ふと思い浮かぶのは藤原紀香、黒柳徹子、など。)だって、インディアンウソツカナイみたいな感じで「芸能人、忙しい」ってところでしょ。それとも見えないだけであって、実際には何かやってる人も多いのかしら。募金とか寄付とか。

でも、一般人も一般人でみんな忙しい(ひきこもりニートな僕も”ひきこもりニート”をフルタイムハードワークやっていて忙しいのです)。芸能人がいくら「テレビの前のみなさん、考えてね」っていっても、世界の悲惨な状況を、ドラマ視聴者として忙しく伝える芸能人たちの存在・言葉・立場そのものが、「忙しい日本人にはこういう国への支援は無理ですねなんだかんだいって。」といってるように、見えた&きこえた。事情があれば世界の悲惨な現状にも眼をつぶって、たまに「そんな国があるから、私たちは申し訳ないですよね」という顔をして、そして明日からまた忙しい毎日を過ごしていく。それだけでいいんですよ、というふうに見える&きこえる。

ホワイトバンドが流行ったとき、それを買って腕にはめて、それが募金にもなににもならないと知った人でも「いやでもきっと気持ちは伝わるから」とかいって何も考えずにはめ続けていた人がいた(らしい)。

なんとなく、「メッセージ伝え伝えられでおしまい&それで心地よい症候群」(すごい名前)に陥りすぎ、あるいはテレビマスコミ音楽などに陥らされすぎなのじゃないかな、とふと思った。

僕自身は、そういう飢餓の国で何かやれるならやってみたいなぁという気持ちも子供の頃からあったけど(僕が子供の頃は環境破壊というより、資源はいずれなくなってしまうから大切に使っていかなければ、という教えをうけた・・・ドラえもんで)、実際現実として考えると、そういうことをしようと覚悟するにはかなり腹をくくることになるなぁ、言葉も覚えなきゃ、治安だって悪いところあるだろうし、偽善者っていわれそうだし、目の前で子供がリアルにバタバタ死んでいくの見られるかしら、清潔な日本でぬくぬく育った僕だからたかってくるハエにぎゃあぎゃあ騒いでしまいそうだ、まあすぐに慣れるんだろうけど、第一そうするならパスポート取らなきゃね、日本で現地の病気のための予防注射うたなきゃだな、注射こわいなあ・・・とか色々いま考えてみたら、ちょっと体がこわばってしまった。無力だ、僕は無力すぎる、と。

でも多分「全然そんなことない、どんな人でも現地いって助けてくれるのはすごい立派なことですよ、誰に悪くいわれても、なにも報われなくても」と言ってくる人もいっぱいいるんだろうなぁ。実際ほんとにそんなかんじなんだろうな。あるいは「あほか、何もしてない状態でそれは色々考えすぎ」とか。この考えすぎなところが神経症だったりするかしら。


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pixiaで絵を描いている その3

pixiaも最初は訳がわからなかったけど、機能がそこそこ色々わかってきて、だんだん細かい絵が描けるようになってきた。

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pixiaの機能を色々実験してたら、黒地にtの値を小さくしてこんな風に描くと、ちょっとステンドグラスっぽいと発見、それで描いた絵。

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↑完全にプランもなく、太めにガーッと色を塗ってたら、ふとこんなのっぽい形になったので、描いてみた。色塗りでかなり迷うのだけど、ハイライトと影を思い切って塗るといいと気づいた。

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↑これもノープラで描き始めた。というか、マウスで描くから、そんな細かい絵は描けない訳で、構想構図なしになんとなく描き始めるのが、マウスで描くには合っている。紫のキャンバスに黒を重ねて、消しゴム機能で削るようにしてかいてったらこんなんなった。


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父からの「おかしい!変!」攻撃が始まる季節

夏の暑い日がはじまりそうだ。

また今年もとの体感温度の違いで不快な思いをする日々が始まる。不快といっても、暑い寒いの感覚の違いで冷房のリモコン権を争う、というような普通のことではない。

はわりと体感温度が単純なようで、明らかな熱風でも体に吹き付けてくると「涼しい!」と感じて、体内まで涼しくなるようである。

一方僕は熱をずっと体内に保ち続けるタイプで、さらに僕の部屋は家中のどこよりも熱くなりやすくなっていて、それが僕の熱っぽさに拍車をかける。

だがはそのことを理解できない。毎年そう言っていても一切覚えてくれない、わかってくれない。

冷房をつけていると、「こーんなに涼しいのにクーラーつけてるなんて!」といってクーラーをとめて窓をあけて「ほら!こんなに気持ちいい風が!」という。

そこで僕が暑い、全然気持ちよくない、というと「ちょっとおかしいんじゃないの?」といやな言い方、イントネーションで言う。多分本人はジョークめいたつもりで言ってるのだろうとは思う。別にこの件に関さなくても「ちょっとおかしいんじゃない?」という言い方、表現を彼はよくする。そんなに何度も言うというのは、そもそも別に本気の批判のつもりはないのだろう。

だが言われた方からすれば、イライラのきわみだ。彼のその言い方、人格を攻撃するようなジョークのせいで、いらいらが募り、ますます暑くなる。暑さだけに、湿気だけに気がとらわれる。の言い方のせいで、僕はますます暑がりになるのである。

ちなみには極度の寒がりであり、冬は家中でストーブがたかれ、僕は家の中の暑さのあまり自分の部屋からは出られなくなってしまう。出たくないのだからいいのだけど。


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となりのトトロを見た

久し振りにとなりのトトロを見た。これまで数度見ているはずなのだけど、そのたびあまりピンとこなかったのだが、今回初めて面白いと感じた。同時に、それまで面白いと感じなかったのも、しょうがなかったかな、と思う。

見ている間中、アタマの中は河合隼雄や五味太郎の本、それから心理学や精神分析や発達心理学、その他子どもの本や「毒になる親」とか、そういう本で得た知識がフル……とまではいかないが、ちらほら回転していた。

その手の本をここ二年でそれなりに読んだから、ようやくとなりのトトロに出てくる色々な人物の”気持ち”と呼ばれるものらしきものが、ある程度推測できるようなアタマになったのである。

かつて見た時に面白く感じなかったのは、人物の”気持ち”が端から端までわからなかったのだ。面白く感じなくて、結局どんな話だったのか自分の中で繋がらず、さっぱりわからなかった。だから文字通り、記憶に残らなかった。今回も見て、そうか、こんなストーリーだったのか、と思った。

引っ越してきたサツキとメイがあんなにはしゃぐのがわからなかった。お父さんがあんなお父さんなのがピンとこなかった。カンタという男の子が最初にサツキにイーッなんてするのは当時からちょっとわかった。なんであんなに姉妹が仲よくくっついてるのかがわからなかった。メイがどうして突然サツキの学校にきてしまったのか。どうしてサツキはいなくなったメイを心底心配してるのか。etc、数え上げればキリがない。過去に見た時にこうして言葉にして疑問を感じてた訳じゃなかったけど、こういう点がすべてハテナマークになることすらないほど、わからなかったのだ。

それがようやく、自分のために各種色んな本を読んだおかげで、「人、大人、子どもの心理に関するマニュアル」がアタマの中にある程度整理整頓されたのだと思う。それが今回となりのトトロを見て役に立った。

しかしこれが「人の気持ちを考える」という行為であるなら、人の気持ちを考えられる過程というのは、随分勉強に近いものなのだなと思うし、正直なところ、一般的な「人の気持ち」というのは、慨して純粋に発生するものではないんだな、と思う。

例えば葬式の場面があるとする。僕の気持ちとしては「ここで僕が柩をいきなりひっくり返したらどうなるのかなあ」とか「骨壷、あれ割れちゃいそうだけど、あの人の足、僕がひっかけたらすっころんで当たり一面に骨がちらばるのかしら」とか、そういうのが沸いてくる。それが僕としては純粋に発生するものである。そういうのは子どもの頃から変わらない。

だがどうやら通常は「謹まなければ」とか「悲しい」とか「遺族が可哀想」という気持ちが沸いてくるらしい。

こういった”通常の人の気持ち”なるちょっとつまらなそうなものを、僕はそれなりに説明書を獲得したのだ。本を色々読んだことで。マニュアルがアタマの中に叩き込まれてきた。

しかし勝手にこれを成長だとか目を細めてようやく大人になったんだね、こっちの世界にきたんだねとかは言ってほしくない。そう言う人達の仲間に勝手にいれないでくれ、とは思う。彼らはあくまで実に自然にそういうことを見る眼がそもそも備わっていたのである。僕はそうではない。どうやらかなりガンバってマニュアルをインプット&インストールしていかないと、ダメ、稼働しないらしい。

ただそうなってしまっている部分については、元もとの自分の要素としてそれが備わっているところが強いという可能性と、普通の子供の体験がまったく出来なかったところが強い可能性、どちらも考えられる。普通の子供の体験がまったく出来なかった、させてもらえなかった、いじめられたり親にそれを気付いてもらえなかったり等で、通常普通に自分で獲得していけるはずの”人の気持ちマニュアル”を、めくったり書きこんだり修正したりする機会が上手い具合に(?)設けられなかった人生だったのかもしれない。両者の掛け合わせもあるかもしれない。もっと別の要素もあるかもしれない。

と、こうして結局トトロについての感想を書かず、あくまで自分の内面的なことに従事してしまうあたり、やっぱりもう少し何か色んなマニュアルを新規保存していかないとダメなのかなぁと感じている。

だから「人の気持ちがわからない、自分の心がわからない」というアスペルガー症候群やひきこもりやニートやその他の色んな人は、本を読みましょう。あなたたちは実体験を通じたところで、何も獲得できない人達なのです。実体験では焦ったり恐がったりおののいたりするぐらいで終わって余裕がなくてどんな考えにも至れません。数年間そのことについて悔やむだけです。さあ本を読みましょう。落ちついて第三者の目線で、色んなパターンを自分の中に産めこんでいきましょう。それが、”そこそこにまともな人”に近づくための第一歩です。そんなところに近づいていってもあんまりいいことも個性もなさそうだけれど。これは実感。

で、トトロの感想も少しは書かないと。本当に少しだけ。

この話の中ではメイが最も存在としてはチビであり、メイは常にチビ扱い。だから自分だって出来るんだ、自分の意見だってきいてほしい、という意識が強くなる。それがどうにもならなくなると、泣いてしまう。お母さんのことでサツキとメイが喧嘩したあと、メイはサツキがおばあちゃんにすがって泣くところを見る。メイはそのサツキの姿を見て、「お姉ちゃんも色々あるんだ」的なことを感じ、一人でお母さんのもとへいこうとする。この心理的な移ろいを自分で勝手に見出したのだけど、それがなんだかウマイナーと感じた。

しかしいちいちこんな風に考えて子供を見ようとする視線を持つ限り、僕は人の親にはなれないしなる素質も資格もないのだろうと思う(なる気もないけど)。これらの見方・まなざしが気化のような過程を経て、親になれる人間になるのかもしれない(なれないんだけど)。


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