久しぶりに映画「アメリ」を見た。2002年にDVDが発売した時に紙ケースの方を買ったもの。
買った当時は、ちょうとフランスの音楽にまみれてた時期で、フレンチポップなどのCDを買うだけ買って聴かないということが続いていた。一度に数万円分CDを買ったときもあった。今思うと、当時のアルバイトのストレスを買い物依存症で発散していたのだと思う。あの買い物癖、やめることができて本当によかったと感じている。その頃のCDは今でも聴き切れておらず、スチール本棚ひとつ分持ってるけど、いったいいつ聴き終わるやら。
アメリは最初、ファンタジックな映像を期待して買ったものだった。チェコのシュールレアリスムの映画監督でヤン・シュヴァンクマイエルという人がいるのだけど、フランスかぶれ(?)ついでに、この人の作品のようなものを求めた結果でもあった。ヤン・シュヴァンクマイエルはクレイアニメ(粘土アニメ)やコマ撮りや人形劇などを駆使して映画を作る人で、その世界観はほとんど「夜、眠っている時に見ている不条理な悪夢」に近い。アメリも不思議な映像が多いということ、それからフランスの映画っていうこと、それで買った映画だった。
だから買った当初、見た感想としては「シュヴァンクマイエルに比べるとなぁ」というのが本音だった。思ったほど面白い映像ではなかった。最初の、小さいアメリが怪獣に聴診器を宛てるところや、空に浮かぶ雲が動物に見えているシーンなどが気に入ったが、そんな映像がもっと満載だったらよかったのに、と思った。だから映画の内容自体はよくわからなかったし、あまり気にもとめていなかった。ただ、なんとなくおしゃれでかわいい感じの映画としか受け止めていなかった。
しかし今日、久々に見てびっくりした。こんなにも意味が違って見えてくることがあるのかと。気づいたら感情が胸にあふれ、涙がこぼれた。
このアメリに出てくる人達はみんな見事に神経症っぽかったり精神病っぽかったり、知的障害者、身体障害者、先天性の難病患者、あるいは自閉症、発達障害、アスペルガー症候群、ADHD……そんな感じの人達ばかり。それらの人間たちの間で起こる物語だった。
登場人物たちの気持ちが「わかる」ということかどうかはわからないけれど(パラドックスっぽいな)、それに近い体験を、人生で初めて映画の人物に対して抱いた。よく先人たちが「若い奴にゃわかるめぇ」と自分の好きなものを祀り上げるのだけど、多分こういう感覚なのかな、と思った。「成長ってこういうことなんかなあ」と思った。
だが同時に、あの頃の、ただ感受性に任せて自分の好きなものを混沌とした中から選び出して戸惑っている自分も、決して否定できないと思った。これを否定すると、きっと「毒になる親」のようになってしまうのだ、と思った。
「僕はこの映画をどうしても深く見過ぎてしまう、でも君(過去の僕)は、そうやって感じていこの映画を選んだんだから、それでいいんだ。そこが変わらなくたってちっともいいんだ。」と、自分の中の、過去の自分に対して言えたような気がする。
僕がこれを書いているのはアメリを見た直後であり、妙に興奮しているせいもあってか、あらすじをうまく語れないので筋だった感想は書けないけど、とにかく前半はずっと、次から次に出てくる登場人物に感情移入してしまい、またその人物の過去やトラウマを推測してしまい、その悲しさが胸にあふれ、ただ目がうるむ。これを書いていてもジワッときた。なんなのだろう、人間ってやつは、心ってのは。それがわからなくてもがいて、それでも今日も生きていくのだ。活動的だったり、閉じこもり気味だったりしながら。ただ生きていくのだ。
あー涙が出てきた。貧乏ゆすりも止まらない。
最後にひとつだけ。見た人にしかわからないけど、アメリが世界とつながるために、カメラで雲を撮影したことに言いがかりをつけられたことに対するあの最初の復讐体験は、必要だったのだと思う。あの復讐体験があればこそ、彼女はそれでも人並みに生活が出来たのだと思う。あれがなければ、本当に「世界の出来事は自分のせい」と思い込んでトラウマになったんだろうと思う。
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買った当時は、ちょうとフランスの音楽にまみれてた時期で、フレンチポップなどのCDを買うだけ買って聴かないということが続いていた。一度に数万円分CDを買ったときもあった。今思うと、当時のアルバイトのストレスを買い物依存症で発散していたのだと思う。あの買い物癖、やめることができて本当によかったと感じている。その頃のCDは今でも聴き切れておらず、スチール本棚ひとつ分持ってるけど、いったいいつ聴き終わるやら。
アメリは最初、ファンタジックな映像を期待して買ったものだった。チェコのシュールレアリスムの映画監督でヤン・シュヴァンクマイエルという人がいるのだけど、フランスかぶれ(?)ついでに、この人の作品のようなものを求めた結果でもあった。ヤン・シュヴァンクマイエルはクレイアニメ(粘土アニメ)やコマ撮りや人形劇などを駆使して映画を作る人で、その世界観はほとんど「夜、眠っている時に見ている不条理な悪夢」に近い。アメリも不思議な映像が多いということ、それからフランスの映画っていうこと、それで買った映画だった。
だから買った当初、見た感想としては「シュヴァンクマイエルに比べるとなぁ」というのが本音だった。思ったほど面白い映像ではなかった。最初の、小さいアメリが怪獣に聴診器を宛てるところや、空に浮かぶ雲が動物に見えているシーンなどが気に入ったが、そんな映像がもっと満載だったらよかったのに、と思った。だから映画の内容自体はよくわからなかったし、あまり気にもとめていなかった。ただ、なんとなくおしゃれでかわいい感じの映画としか受け止めていなかった。
しかし今日、久々に見てびっくりした。こんなにも意味が違って見えてくることがあるのかと。気づいたら感情が胸にあふれ、涙がこぼれた。
このアメリに出てくる人達はみんな見事に神経症っぽかったり精神病っぽかったり、知的障害者、身体障害者、先天性の難病患者、あるいは自閉症、発達障害、アスペルガー症候群、ADHD……そんな感じの人達ばかり。それらの人間たちの間で起こる物語だった。
登場人物たちの気持ちが「わかる」ということかどうかはわからないけれど(パラドックスっぽいな)、それに近い体験を、人生で初めて映画の人物に対して抱いた。よく先人たちが「若い奴にゃわかるめぇ」と自分の好きなものを祀り上げるのだけど、多分こういう感覚なのかな、と思った。「成長ってこういうことなんかなあ」と思った。
だが同時に、あの頃の、ただ感受性に任せて自分の好きなものを混沌とした中から選び出して戸惑っている自分も、決して否定できないと思った。これを否定すると、きっと「毒になる親」のようになってしまうのだ、と思った。
「僕はこの映画をどうしても深く見過ぎてしまう、でも君(過去の僕)は、そうやって感じていこの映画を選んだんだから、それでいいんだ。そこが変わらなくたってちっともいいんだ。」と、自分の中の、過去の自分に対して言えたような気がする。
僕がこれを書いているのはアメリを見た直後であり、妙に興奮しているせいもあってか、あらすじをうまく語れないので筋だった感想は書けないけど、とにかく前半はずっと、次から次に出てくる登場人物に感情移入してしまい、またその人物の過去やトラウマを推測してしまい、その悲しさが胸にあふれ、ただ目がうるむ。これを書いていてもジワッときた。なんなのだろう、人間ってやつは、心ってのは。それがわからなくてもがいて、それでも今日も生きていくのだ。活動的だったり、閉じこもり気味だったりしながら。ただ生きていくのだ。
あー涙が出てきた。貧乏ゆすりも止まらない。
最後にひとつだけ。見た人にしかわからないけど、アメリが世界とつながるために、カメラで雲を撮影したことに言いがかりをつけられたことに対するあの最初の復讐体験は、必要だったのだと思う。あの復讐体験があればこそ、彼女はそれでも人並みに生活が出来たのだと思う。あれがなければ、本当に「世界の出来事は自分のせい」と思い込んでトラウマになったんだろうと思う。
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