■幼稚園
登園時に号泣。
いじめられる。
「今日幼稚園休みじゃないの?」と母に訊ねる。
☆幼稚園行きたくない、と言えたらよかった。
■小学校一年生〜二年生
体格のでかい奴にいじめられる。
ドッジボールに恐怖を覚える。
☆ドッジボールが怖いと言えたらよかった。
■小学校三年生〜四年生
クラスの中でも権力のある女子にばい菌扱いのいじめを受ける。
他の女子にも一緒にいじめられた。
どんどん自信を無くしていく。
頭の悪さ、要領の悪さも自覚していく。
このあたりから中三まで男らしくないことでからかわれ続ける、また差別を受け始める。
ピアノを習っていたが、まったく練習をしなかった。ピアノ教室へ行っても一言もしゃべらず、先生が質問をしてきても言葉を発しなかった。
☆いじめられてることを親に告白するべきだった。
■小学校五年生〜六年生。
登校拒否を始める。
体育できない=嫌われるという図式が確立していた。
■中学校一年生〜二年生
頭の悪さや体育の出来なさ、社交性のなさやメタ認知の弱さ(?)から嫌われ孤立する。
吹奏楽部に入る。フルートをやりたかったが「男の子だから」と顧問に言われ仕方なくトランペットを選ぶ。
☆フルートを選ぶ、あるいは自分にあった部活を作るという発想ができたらよかった。
■中学校三年生
それまでと同様の嫌われと孤立に加え、幼稚園の時にいじめられた奴から目をつけられ日々ねちっこく言われる。
まったく勉強していなかったこともあって、進路を考えることができなかった。
結局流れでトランペットで音楽学校に進むことに。
音楽以外の試験勉強は受験日の直前までまったくやっていなかった。
☆音楽学校に行くべきではなかった、もっと進路について調べるべきだった
■高校一年生
まったく知らない人だらけの環境におかれたことでものすごくしゃべり交流的になったが、だんだんクラスメイトとの関係がぎくしゃくしていくような感じを受ける。
ピアノもトランペットも自宅であんまり練習をしない。
学校のトランペット講師が言う奏法の意味がわからず、「おめーバカじゃねーの!?」等ののしられ(もっともこの講師は誰にでもそうだった)思考停止してしまいそうになり固まる。
テストで赤点を取る。まったく勉強もしていなかった。
二学期から体育でバスケが始まることになり、登校拒否を始める。すでに脳裏には学校をやめることがよぎっていた。
休学。
この頃からカウンセリングを受けさせられる。母と同席してカウンセラーに話すため、嘘をついた。「心がもやもやしていて」等当たり障りのないことをいって恥ずかしかった。本当のことは何も言えなかった。
☆親に留年するよりも体育がどうしても弊害だ、やる気がないといい、さっさと退学すればよかった。
■高校一年生、二度目
留年したがもう鼻からやめるつもりだった。
親に無駄な金を出させてしまった、と少しだけ思っていた。
一学期早々登校拒否を始めた。もうやめるのはこの方法しかないと思った。
やめることになって最後に学校に行き最初の一年生のときの子らに告げると「努力が足りない」等言われた。
カウンセリングでフリースクールのようなところをすすめられるが一切拒絶、大検をすすめられる。
☆フリースクールに行っておけばよかった。
■17歳の年の秋から冬
牧師の紹介によって、流れでアルバイトをすることになり3ヶ月アルバイトをした。
ほぼ毎朝腹痛になり大変だった。
仕事がうまくできず、よくミスをし、何度やってみても最後まで出来なかった作業が2つあった。台車のようなものを動かすのがどうしてもうまく出来ず、ものすごく情けなく恥ずかしくみじめになった。
■17歳の年の冬
大検を受けるということで(僕はやる気は鼻からなかった)家庭教師に3ヶ月ほどついていたが、課せられる宿題にまったくやる気がでない。家庭教師がきたときはすべて世間話だけで何とかやり通した。勉強を一切したくなかった。
■18歳の春、高校一年生、三度目〜高校二年生
家庭教師と世間話ももう限界と感じたので、通信高校にいくことにした。
月に2〜4回程度の登校、やることも教科書を丸写しするようなレポートだけだったので楽だった。
登校日はほぼ毎回必ず、学校につく前の駅で腹痛になった。一度も漏らさなかったのは奇跡としか思えない。
体育もあったが通信高校だったためあらゆる年代&性質の人がいたため、運動音痴は恥ずかしかったがさほど目立つことではなかった。
「進路相談、就職相談」についての情報が目に耳についたが、他人事のように感じていた。幼少期から続いている「次の約束を一切作らず、ただもう休息したいだけ」という思いがこの頃から言語化されて意識されはじめる。
友達(が一応できた)はみなアルバイトと通信高校を両立しており、僕は「どうしてそんな器用なことができるんだろう」と感じていた。
親から「運転免許を取れ」といわれるが、交通事故の夢を本当によく見るのと、父が車関係の仕事をしていたことで車にマイナスイメージがあり、拒絶に近い状態で運転免許は取らなかった。心理的にいろいろあって取れなかった。
☆進路相談、就職相談をこまめにするべきだった
■高校三年生
進路も就職も何も考えていなかった。ただ高校が終わったらもうただ休息したかった。が、母経由で父が何もしなければ追い出すというようなことを言っていたと聞き、仕方なくあるカルチャースクールへ1年間通うことにする。
☆ここでもきちんと進路を考えるべきだった
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登園時に号泣。
いじめられる。
「今日幼稚園休みじゃないの?」と母に訊ねる。
☆幼稚園行きたくない、と言えたらよかった。
■小学校一年生〜二年生
体格のでかい奴にいじめられる。
ドッジボールに恐怖を覚える。
☆ドッジボールが怖いと言えたらよかった。
■小学校三年生〜四年生
クラスの中でも権力のある女子にばい菌扱いのいじめを受ける。
他の女子にも一緒にいじめられた。
どんどん自信を無くしていく。
頭の悪さ、要領の悪さも自覚していく。
このあたりから中三まで男らしくないことでからかわれ続ける、また差別を受け始める。
ピアノを習っていたが、まったく練習をしなかった。ピアノ教室へ行っても一言もしゃべらず、先生が質問をしてきても言葉を発しなかった。
☆いじめられてることを親に告白するべきだった。
■小学校五年生〜六年生。
登校拒否を始める。
体育できない=嫌われるという図式が確立していた。
■中学校一年生〜二年生
頭の悪さや体育の出来なさ、社交性のなさやメタ認知の弱さ(?)から嫌われ孤立する。
吹奏楽部に入る。フルートをやりたかったが「男の子だから」と顧問に言われ仕方なくトランペットを選ぶ。
☆フルートを選ぶ、あるいは自分にあった部活を作るという発想ができたらよかった。
■中学校三年生
それまでと同様の嫌われと孤立に加え、幼稚園の時にいじめられた奴から目をつけられ日々ねちっこく言われる。
まったく勉強していなかったこともあって、進路を考えることができなかった。
結局流れでトランペットで音楽学校に進むことに。
音楽以外の試験勉強は受験日の直前までまったくやっていなかった。
☆音楽学校に行くべきではなかった、もっと進路について調べるべきだった
■高校一年生
まったく知らない人だらけの環境におかれたことでものすごくしゃべり交流的になったが、だんだんクラスメイトとの関係がぎくしゃくしていくような感じを受ける。
ピアノもトランペットも自宅であんまり練習をしない。
学校のトランペット講師が言う奏法の意味がわからず、「おめーバカじゃねーの!?」等ののしられ(もっともこの講師は誰にでもそうだった)思考停止してしまいそうになり固まる。
テストで赤点を取る。まったく勉強もしていなかった。
二学期から体育でバスケが始まることになり、登校拒否を始める。すでに脳裏には学校をやめることがよぎっていた。
休学。
この頃からカウンセリングを受けさせられる。母と同席してカウンセラーに話すため、嘘をついた。「心がもやもやしていて」等当たり障りのないことをいって恥ずかしかった。本当のことは何も言えなかった。
☆親に留年するよりも体育がどうしても弊害だ、やる気がないといい、さっさと退学すればよかった。
■高校一年生、二度目
留年したがもう鼻からやめるつもりだった。
親に無駄な金を出させてしまった、と少しだけ思っていた。
一学期早々登校拒否を始めた。もうやめるのはこの方法しかないと思った。
やめることになって最後に学校に行き最初の一年生のときの子らに告げると「努力が足りない」等言われた。
カウンセリングでフリースクールのようなところをすすめられるが一切拒絶、大検をすすめられる。
☆フリースクールに行っておけばよかった。
■17歳の年の秋から冬
牧師の紹介によって、流れでアルバイトをすることになり3ヶ月アルバイトをした。
ほぼ毎朝腹痛になり大変だった。
仕事がうまくできず、よくミスをし、何度やってみても最後まで出来なかった作業が2つあった。台車のようなものを動かすのがどうしてもうまく出来ず、ものすごく情けなく恥ずかしくみじめになった。
■17歳の年の冬
大検を受けるということで(僕はやる気は鼻からなかった)家庭教師に3ヶ月ほどついていたが、課せられる宿題にまったくやる気がでない。家庭教師がきたときはすべて世間話だけで何とかやり通した。勉強を一切したくなかった。
■18歳の春、高校一年生、三度目〜高校二年生
家庭教師と世間話ももう限界と感じたので、通信高校にいくことにした。
月に2〜4回程度の登校、やることも教科書を丸写しするようなレポートだけだったので楽だった。
登校日はほぼ毎回必ず、学校につく前の駅で腹痛になった。一度も漏らさなかったのは奇跡としか思えない。
体育もあったが通信高校だったためあらゆる年代&性質の人がいたため、運動音痴は恥ずかしかったがさほど目立つことではなかった。
「進路相談、就職相談」についての情報が目に耳についたが、他人事のように感じていた。幼少期から続いている「次の約束を一切作らず、ただもう休息したいだけ」という思いがこの頃から言語化されて意識されはじめる。
友達(が一応できた)はみなアルバイトと通信高校を両立しており、僕は「どうしてそんな器用なことができるんだろう」と感じていた。
親から「運転免許を取れ」といわれるが、交通事故の夢を本当によく見るのと、父が車関係の仕事をしていたことで車にマイナスイメージがあり、拒絶に近い状態で運転免許は取らなかった。心理的にいろいろあって取れなかった。
☆進路相談、就職相談をこまめにするべきだった
■高校三年生
進路も就職も何も考えていなかった。ただ高校が終わったらもうただ休息したかった。が、母経由で父が何もしなければ追い出すというようなことを言っていたと聞き、仕方なくあるカルチャースクールへ1年間通うことにする。
☆ここでもきちんと進路を考えるべきだった
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