塵も積もればヒキコモリ

母との対決で体重減? ―と、その後―

母と対決をした、とこれの前のエントリーで書いた。母の「神様信じてね」攻撃に、人生で初めて真っ向から否定の言葉を放った、という内容。それを僕はとりあえず「対決」ととらえる。

対決してブログを書き、それからほどなくして父が起きてきたので(二階で本を読んでいたらしい)僕はそのタイミングでPCの電源を落とし、歯磨きをして二階の自室に行った。

それから母が父に何かを言ったかは、わからない。が、何かしらは伝えたのではないかと思う。僕が彼女に、キリスト教の話は今後一切拒絶する、と言ったことについて。ただ彼女が何か言ったとしたら、僕の言動を大げさに父に伝えてる可能性があるので、そこは気をつけなければならない。

自室に戻った僕は、晴れ晴れとした気持ちと、こういう時に湧き上がる罪悪感としては予測しやすいタイプの罪悪感と(ただし少量)が入り混じって、体がずいぶんと熱っぽくなった。例えるなら、体育の授業の後のような(実際学校の体育では逃げてまわるだけだったが)。全身の血液が何かを燃やすような感覚だった。

対決が起こる直前、僕は自室で体重を量っていた。そのときは73.9kgであった。それから下に行き、PCの前でそこそこの量の晩御飯を食べた。それから母と対決。自室に戻り、ちょっと読書をしていたが、あまりにも体に変調がおきているのでふと「もしやエネルギー消費してるのか?」と思って体重を量った。体重は74.2kgだった。

晩御飯は、ご飯いっぱいに、豚肉キムチチーズという自作のおかずを結構な量たいらげた。いちご1パックも食べた。それからトイレは行ってなかった。

僕は一日に何度も何度も体重を量るクセがあるので、何をすれば(食べれば)どのぐらい体重が増えるというのはなんとなくわかっていて、昨日の晩御飯の量は、大体700gぐらいはあったのではないかと思っている。

食事&対決前が73.9kg。その後食事をして、量ってはいないけど、多分74.6kgぐらいになった。その後母と対決&軽く読書して量ったら74.2kg。

軽く読書したぐらいでは、400gも減るなんてことはほとんどない。よほど難解な内容の本を理解しようと努力して読めばありえるかもしれないけど、でも軽く読むだけではありえない。

太っている人の、太った原因に、心理的な障害があるため、というものがある。さびしいと太るとか、傷ついてるのが癒されてないと太るとか。でも実際には太るのは怠けてるだとかたるんでるからとか、そういう理由だけで他者からは見られやすい。

僕の体重がちょっとの間に400g減ったのは、「言いたい事を言った」という行動からくる心理的作用を経て、体内での働きが活発化したことによるのではないかと思う。

何が言いたいかというと、痩せてる人・太っていない人というのは、ちゃんと自分の主張を言えたり自己表現が出来るために、言うなれば「精神&情緒などのエネルギーの流れ」がとどまるようなことがないので、体の働きも活発になり、代謝などが順調。

痩せてない人・太っている人は、そういうところで自己表現ができなくてストレスがたまっているために(病気&太るのはストレスが原因とはよく言う)、「精神&情緒などのエネルギーの流れ」がとどまっていて、体の働きが不活発になり、代謝などが普通の人よりもパイプづまり気味になる。そういうことだろうか、と考えた。

軽く読書をしていたとき、ふと母が包丁をもって部屋に入ってくる妄想にかられて本から頭をあげたり、父と母が下で何を語っているだろうと考えたり、母が寝ようとしてるのか階段をのぼってくるときにずいぶんヨタヨタと歩いている足音がきこえたり、父がまた二階にあがってくるときに僕に何か声をかけるんじゃないかと不安になったりetc……で、ずいぶん心身ともにさらに熱っぽい感じが続いた。このエントリーを書く直前に体重を量ったら、73.4kgであった。ほんの数時間の間にここまで体重変動することはいままで本当になかった。人生を前向きに明るく生きてる人、自己主張をはっきりとする人にスマートな印象があるのは、こういう働きがあるからなのかなぁ、などと考えたりしていた。

話を母との対決にかえる。

僕が母と対決できたのは、ほとんど偶然に近い。なぜかというと、母が「神様を信じてね」という話をし始めたとたんに僕の中で何かスイッチが入った。本当にカチッという音がした訳じゃないが、スイッチが入ったという感覚はあった。それから僕は自分の食べていた食事の食器類を片付けるために立ち上がったが、この立ち上がるのとほぼ同時に声が出た。「ヤダ!」と。ここで立ち上がるキッカケがなかったら、僕の口からこの言葉はでなかったと思う。それと、ここ最近書いていたこのブログ。それから直前に読んでいた本、今までに読んできた本、etc……。いろんな要因が絡み合って今日対決できたのだと思う。本当に偶然。

母がまだそれでも僕にしがみついてそんな話を続けるようであれば、「あんたとおとう(父)と兄が死ぬまで信じない」といおうか、それとも「僕は死んでも信じない」といおうか、それとも「別に見えないものを信じない訳じゃないんだ、ただあんたが今僕に言ってもなんにも説得力がない」といおうか、それとも「散々祈ったりしたけど何にもすくわれなかった!」といおうかetc……考えたけど、とりあえず今までのところ何も言ってはこない。明日以降、何か言われることはあるだろうか。なんとなく父が「毅にはもうキリスト教の話はしない方がいい」みたいに言ってそうな気がしなくもない。多分父はどちらかというとそういうスタンスだと思っている。

このことで母の欝病がひどくなったり、キチガイみたいになったり、自殺したりしても、僕はもうしょうがないとやや覚悟している。でもまだそういうところまでは行かないような気もするけど、十分安心はしていられない。

「安心はしていられない」?何をだろう。何気なくいま書いたけれど……。



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