鍋の中に、ジャガイモが煮てあった。あんまりおいしそうでもなかったので、食べないことにした。
しばらくして母が台所にきて、僕に「ジャガイモ、食べない?」と訊いてきた。僕はすでに食べることはしないと決めていたのでキッパリと「食べない」と答えた。母は言った。
「どうしてそう、キッパリ断るの〜。もっとこう、食べようかな〜、食べないかな〜、って、そういう言い方すればいいのに……」
母は自分は言葉にはまったく気をつけずに思ったことをなんでも口に出すくせに、僕の言い方になると非難をするのだ。僕は基本的に母の料理が好きではない。僕が料理をするようになったのはそのせいなのだが、多分母はそれが気に食わないのだ。だから、母の頭には「毅はおかあさんの料理を積極的に食べてくれない」という思いがある。母はその先入観があるために、僕がキッパリと断ったことを、僕の拒否の意図以上に膨らまして解釈したのだ。それで僕を勝手に非難した。ふざけるな。絶対食べてやるものか、という気分になった。
僕が母の料理が嫌いな理由のひとつには、彼女の作る弁当がただひたすらにヘタクソだったことがある。僕は小学校の行事で母の弁当を広げなければいけない機会が苦痛で苦痛で仕方なかった。母が料理下手、料理嫌いであることを痛感する時である。そして何度訴えても、改善の余地はなかった。母の言い訳は「おにい(兄)が幼稚園入ったときは張り切ってかわいい弁当を作ったのだけど、おにいは質より量で、とにかくでかい弁当にすることだけに専念したから、かわいい弁当を作れない」ということである。だが僕が幼稚園に入ったとき、母は兄のような弁当を作ったのだが僕は「たべきれない」と言ったという。しかしそこで母は弁当を改善することはなかったのだ。兄が弁当に不満をもらしたことで弁当を簡易化することには積極的だったのに、僕が弁当に不満をもらしても、弁当のレベルは下げたままで、量を減らしただけだった。
母はいつでも理由を作って逃げる。彼女がクリスチャンになったのも、何か祖母とのことや友達とのことで、思考停止をしたいというような意識に近いものを得たかったことが(ニセの)信仰につながったのではないか。そう思う。
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しばらくして母が台所にきて、僕に「ジャガイモ、食べない?」と訊いてきた。僕はすでに食べることはしないと決めていたのでキッパリと「食べない」と答えた。母は言った。
「どうしてそう、キッパリ断るの〜。もっとこう、食べようかな〜、食べないかな〜、って、そういう言い方すればいいのに……」
母は自分は言葉にはまったく気をつけずに思ったことをなんでも口に出すくせに、僕の言い方になると非難をするのだ。僕は基本的に母の料理が好きではない。僕が料理をするようになったのはそのせいなのだが、多分母はそれが気に食わないのだ。だから、母の頭には「毅はおかあさんの料理を積極的に食べてくれない」という思いがある。母はその先入観があるために、僕がキッパリと断ったことを、僕の拒否の意図以上に膨らまして解釈したのだ。それで僕を勝手に非難した。ふざけるな。絶対食べてやるものか、という気分になった。
僕が母の料理が嫌いな理由のひとつには、彼女の作る弁当がただひたすらにヘタクソだったことがある。僕は小学校の行事で母の弁当を広げなければいけない機会が苦痛で苦痛で仕方なかった。母が料理下手、料理嫌いであることを痛感する時である。そして何度訴えても、改善の余地はなかった。母の言い訳は「おにい(兄)が幼稚園入ったときは張り切ってかわいい弁当を作ったのだけど、おにいは質より量で、とにかくでかい弁当にすることだけに専念したから、かわいい弁当を作れない」ということである。だが僕が幼稚園に入ったとき、母は兄のような弁当を作ったのだが僕は「たべきれない」と言ったという。しかしそこで母は弁当を改善することはなかったのだ。兄が弁当に不満をもらしたことで弁当を簡易化することには積極的だったのに、僕が弁当に不満をもらしても、弁当のレベルは下げたままで、量を減らしただけだった。
母はいつでも理由を作って逃げる。彼女がクリスチャンになったのも、何か祖母とのことや友達とのことで、思考停止をしたいというような意識に近いものを得たかったことが(ニセの)信仰につながったのではないか。そう思う。
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