塵も積もればヒキコモリ

結局は男性差別と年齢差別である

ここのところ最近ブログを書いていて、どうも何かがまとまらないなあと感じていたのだけど、なんとなくひきこもりの原因として誰かに訊かれたとしたら、この単語でまとめて言うのが手っ取り早いかな、というのが見つかった。

結局自分がひきこもっているのは、幼少期からすでに始まった男性差別と年齢差別なのだ。

あるとき母が僕に話したこと。「毅が小さい頃、お父さんは『毅はこのまま大きくなったらオカマになってしまうんじゃないか』って心配してたの。そんな訳ないじゃないのねぇ。」

僕が記憶のない頃にはすでに僕はまったく男の子らしくない男の子だったということ。だとすると、物心ついた頃には父にかすかに敵意を抱いていたのも、うなずける話かもしれない。つまり、父は僕の価値観や好き嫌いを見て否定の念を抱いていた。それを僕は小さいながら感じ取っていたのではないだろうか。そしてそれが今もってなお、意識の底で連綿と続いている……。

そして僕もその男性差別を受け止めてしまっている。数年前にやっていたアルバイト先に、3歳年下だけど大学で勉強をしていて、英語も中国語もやっていて、サッカーも部活でやっていて、体格も頭もよく、将来をちゃんと見据えていて堅実で、性格はやや現代っ子な体育会系といった感じ日焼けをした、山口達也風の男の子がいた。僕は今でも自分と彼を比較してしまう。実際にそこの店長には「毅くんの手、綺麗すぎて気持ち悪い。見てごらんS君の手、これが男の手だろう」と言われたりして比べられた。またバイトの女の子でリーダー格の子がいたが、この子は絵に書いたような「女性差別反対&男性差別はします」な子であった。今でもこの子のことを思い出して腹立たしくなることがある。

年齢差別については漠然と感じているだけであり、もしかすると10代20代になら誰でも経験のある「若者叩き」を自分も感じているだけかもしれない。だが面と向かってハッキリと「ねえ、本当は60歳ぐらいじゃない?」と冗談で言われたことがある。趣味嗜好があまりにも年齢に適していない、といわれたのだ。この人は特別そんなにいやな感じの人ではなかったから笑ってしまったけど、嫌悪的に言われていたら、僕はその言葉がトラウマになってしまったかもしれない。

年齢差別を漠然と感じているだけなのは、それでも年齢が趣味にようやく追いついたからかもしれない。中2で中島みゆきを好きな男子というのは本当に珍種だった(友達がいなかったからリサーチしようがなかったためわからないけど)。20歳でシャンソン好きというのもほとんど見つからなかった。でも、今この年齢なら中島みゆきを聴いているといっても別に何も弊害はない。シャンソンは「しぶいね〜」ぐらいで、そこまで珍種としては見られない年齢だ。時が解決するって言うのは、こういうことでもあるのかな、と思うけれど、同時に、やっぱりあの年齢のときに、そのことを好きだっていうことを誰からも認められたかった。そうするだけでも、自分はマイノリティという思い込みから外れることはできたのかもしれない……。でもあの頃は中島みゆきはまだ「暗い」というレッテルが貼られてた頃だったから、土台無理な話だったろう。


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母に、僕と同年代の人の目の前で比較された経験

いつごろのことだったろう。どこでだったかも覚えていないが……。

ある場所に母といる。すると、そこに僕と同じぐらいの年齢の人が働いていたりする。母はその人に訊ねる。「あなた、何歳?」その人は年齢を答える。母は言う。「ねー、ちゃんと働いてるんだねー、このぐらいの年齢でもねー、しっかりしてるんだねぇ」

同じ年代の人の前で、母親に堂々と比べられることがどんなにいやな気分になってむかつくことか、わかるだろうか!?

家で二人になってるときに話してくれるなら、それでもムカムカするだろうが、よりによって何の逃げ場もない状態で言うことないじゃないか!!言われたその人だってそんなこと言われても苦笑いをする他ないだろうが、その苦笑いが僕を余計に苛立たせ……たかどうかは覚えていないが。

こういうことは今までに何度かはあった。多分母は、こうすることで僕がやる気を出すと踏んでいるんだろうと思う。まるで逆だ。僕は全身がげんなりしてクタクタになるだけだ。無気力になっていくだけである。母は自分の言葉がどれだけ僕を追い詰めているかを考えていない。

父が知り合いの牧師のところへ僕を連れて行き、カウンセリングのようなことをしてもらったことがある。僕と父は「30歳ぐらいまではゆっくりすればいい」と言われた。母はそれを父づてに訊いたらしい。母は僕にこういった。「あの人は30歳までゆっくりすればいいって言ったらしいけどねぇ、ちゃんとしっかり働くこと考えなきゃだめなんだよ。30歳までゆっくりのんびりしてちゃだめ。ちゃんとハローワークに行くとかしないとだめ」

せっかくカウンセリングにいって気持ちに余裕ができてあせりなどもいくらか軽減したのに、母のこの攻撃によってすべて僕の中ではオジャンになった。母はしばらくのあいだ、しつこく僕に働くこと、神を信じることを強制するように言ってきた。母の中では「30歳までゆっくりしろ、なんてありえない」という気持ちが働いたのだろう。母がこういうことを言ってくるたびに、僕は硬直した。明らかに硬直している僕を見ても、母はそういうことを言うのをやめない。「どうして黙ってるんだろう……」とまで言ってくる!なんて鈍感なんだ!!

ある日、僕はそんなことを言われて呆然となりながら、散歩に出かけた。しかし頭の中はずっと悶々として、「どうしてあんなことをいうんだ。僕が料理を頻繁にするようになったところとかを見て、どうして進歩したって思わないんだ。散歩だってこんな風にできるようになってるのに。結局なんにも見てないじゃないか。何が神様だ。神様を信じた結果があんな人格かよetc……」などと考えいて、僕は何かが爆発しそうな寸前だった。

その時、イヤホンから谷山浩子の「カタツムリを追いかけて」が流れてきた。

♪カタツムリを追いかけるのは難しい
♪ほんの一足歩いただけで追い抜いてしまう……

僕は泣いた。散歩しながら、涙がとまらなくなった。この歌は「生きるスピードが遅い者を見守りながら、後ろからゆっくりゆっくりついていくよ」という内容で、まさに僕の心境にはぴったりだった。この曲はアルバムを買った当初は特別何も感じない歌だったけど、今となっては本当に細胞に染み入るようだ。

だが、母に聴かせても何も感じず「変な歌」で切り捨てられるんだろうな、と思う。母自身もウツ病なのに、生きるスピードが遅い&遅くなった人たちのことを、彼女自身よくは思ってはいないのだ。そこの価値観が変われば、ウツ病も多少はよくなるんじゃないかと勝手に推測している。


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