塵も積もればヒキコモリ@お知らせ:山田花子展(仮) 7/21〜7/26 下北沢アートスペース

引きこもり男による「ひきこもり当事者ブログ」です。

スティッカムライブ配信テストやってます

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親がおきてきたりすると、一時中止になったりします。マイクもぼろいのでブーブーいいます。

あとでこの記事は消します。



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ぶつくさ同性愛精神分析

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ある種の男性同性愛者(以下ゲイ)は、思春期に男性異性愛者(以下文脈によりヘテロないしノンケ)への思いから、葛藤と挫折と罪悪感を感じた経緯を持っている。

ゲイの彼は、クラスメイトでヘテロの彼と友達になる。最初はどんなつもりでもなく、ただ単に友達であった。が、男友達として側にい続けたために、次第にゲイの彼はヘテロの彼を好きになり始めてしまう。だがヘテロの彼は当然ヘテロであり、ゲイの彼が思いを寄せている事など気づかず、常に普通に友達同士として、なんの下心もなく(当たり前だ!)普通に日々付き合っている。次第にゲイの彼はそれが辛くなってくる。また同時に罪悪感も覚えるようになる。「自分はあいつが好きで側にいるのに、あいつは僕を友達だと思って仲良くしてくれている」

これがゲイにおける思春期の葛藤・罪悪感・挫折のもっとも典型的なケースである。

ゲイの彼においては、ここで去勢がなされなければならない。ゲイの彼におけるなされなければならない去勢とは、「どんなに頑張っても、ヘテロはあくまでヘテロであり、同性に性愛感情を向けることは天地がひっくり返ってもない」ということである(もちろん絶対に有り得ないことではないが)。

しかしながら、(今の時代の風潮はわからないが、まあそれでもあえて言いきらせてもらう上で)今の日本の子ども達、若い人達に向けられるメッセージは「なりたいものになれる、みんな個性そのままありのまま、そのままでいい」というものであり、去勢否認の風潮である。それはゲイであっても浴びるメッセージである(しかしゲイの子供は、それが嘘であると小さい頃から体感的に知る経験をし続けたのだが)。

なので、ゲイが思春期にヘテロへの思いで葛藤と罪悪感を覚えても、挫折=去勢のきっかけにまではなり得ず、「どうして?なぜ恋が叶わないのか?みんなは普通に恋愛しているのに?ゲイだからか?」というように表現されるようなトラウマ、「ノンケ失恋トラウマ」とでも言うようなものを抱えるように至る。挫折し切れないのである。

実際には、中学ぐらいではみんな普通に失恋も恋愛も性交渉も行っており、互いにそんな秘密を交換しあうようにやり取りをする。が、ゲイの彼の場合、ゲイである事を悟られないようにしなければならないため、取り得る選択としてはおおむね二つ。一つは「大嘘ぶっこいてノンケぶる」か、「ゲイだとばれないように話から一切去る」の二つ。前者は去勢的であり、後者は非去勢的である。去勢的なそれは「ある程度(なんてものじゃないが!)のウソも必要」という事を会得してゆき、非去勢的なそれは「なぜなのか?どうしてなのか?」に呪縛される事になる。しかしいずれにしても、ヘテロのクラスメイト達も実は状況によっては必要なウソをついていたり自分を出さないようにしていたり、あるいは失恋して隠れて泣いている事があるにも関わらず、ゲイの彼(ら)は、それが見えにくい目を持ってしまっている。ゲイであるがゆえに多かれ少なかれ存在的に孤立しているため、ヘテロのクラスメイトのそういった状況があるという事実、コミュニケーションにヘテロほどには接続できない。自覚なき「自分で精一杯」モード、自覚なき「自問自答」モード、自覚なき「自己隠蔽」モードに突入しているからである。

思春期の「ノンケ失恋トラウマ」を抱えた去勢されていないゲイ(以下非去勢ゲイ)は、ストレートで建設的(と思しき)形式を取るならば、成長して以後はLGBT問題啓蒙の立場を取るように、あるいはそれらの言説に魅了されるようになる(ひとまずこれを1型とする)。また、セクシュアリティそのものはホモセクシャルでありながら、実際の貞操観念は思春期以後保ち続けてきたある程度保守的なものになる。保守的な貞操観念とは、「好きな人以外とはキスをしない」「日常生活の出会いの中からパートナーを見つけ出し、友人関係から恋愛に発展し、結ばれるのが普通」等々。そのため彼(ら)は、mixi等であからさまにセックスアピールをするハッテンゲイを非常に迷惑に感じている(「ああいうゲイがいるから、普通のゲイが勘違いされる!」)。現在ネットやメディアで可視化されるゲイのうち、建設的な言説をしているように見えるゲイのおそらく多くは、この非去勢ゲイ1型である。ノンケ失恋トラウマが知らず知らずのうちにノンケに対しての自覚なき怨恨感情に変容したものを抱えた者達である。そのため彼らは「ノンケは性愛についての疑問が一切ない愚かしい魂である」と一気に正しい位置まで立って裁く態勢を取れてしまえる。その態勢に彼ら自身は疑問を一切持たない。(「だってこれまで散々こっちが被害者だったんだモン」)

非去勢ゲイ2型は、思春期におけるノンケ失恋トラウマによりヘテロのクラスメイトコミュニティへの接続失敗が尾を引き、以後ゲイコミュニティにおいても接続の仕方において迷走することになる。結果としては学校時代からは不登校、ひきこもりになる。自殺する。精神病になる。神経症になる。そのありようが擬似的にアスペルガー症候群や人格障害のようにも見え、そういった診断が下され薬漬けにされる。



難しい。ややこしい。

非去勢ゲイ1型・2型ってなんだそりゃって感じ。

去勢ゲイにしても辿る道はほとんど同じで、ただその精神性に微妙な違いがあるだけで、その違いを書き切るのは不可能だと思った。性的な倒錯にしてもそうなんだけど。ノンケ失恋を通って去勢されようが去勢されまいが、性倒錯にはやっぱり陥るし。そのためのメディアはすでにいろとりどり用意されてしまっている。倒錯に陥らないゲイなんているのか。いそうだなあ。保守的なセクシュアリティ観念をゲイにも適用してんのがさ。つかそれ僕だな。保守的なセクシュアリティ観念をゲイに適用してなかったら、今頃セックス狂いになってエイズでコロッと死んでたのでしょう。

ま、僕は「去勢」って言葉も概念が曖昧なまま使ってるし、とにかくここまで。こっから考え抜けるのが、才能のありなし、力のありなしなんだろうなあ。所詮僕はトンデモレベルであっても「考察体力」が低い。

上記した文章はあくまで僕の妄想なので、同性愛について知りたくて検索して辿り着いて読んだ、みたいな方は、一切参考にしないように。僕のクソ文章に過ぎませんから。

「セクシャル・マイノリティ」(なるトライブとコミュニティ)について知りたきゃとっととすこたん企画のサイトにでもいってQ&Aでも読んでればいいと思います。

後はNHKの「ハートをつなごう」の再放送を心待ちにでもしてやがれ。ほっこり感たっぷりで癒されますよ。24時間テレビを見た後みたいにね。

嗚呼、何書いてんでしょうね、僕は。非去勢ゲイ2型はこういう文章をぶつくさ書く人間になるって事です。タスケテ。

引きこもり自分自身駄文精神分析フロイト

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mixiでここんとこ最近書いた日記、まとめ

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僕のmixiはこちらです。



2009年06月25日15:32

伝言板&足あと板

なにか一言残したい人があれば、ここに書けばいいんじゃないかな、うん。

よほどじゃないかぎり返事はしないけれど読むよ。とかいって、よほどじゃなくてもするかもね。わからんです。

2009年06月25日15:37

ブログの小笠原毅とこっちのたあ、完全接続。って、それほど大げさなことでもないか。でもすごい今ドキドキしてる。不安。

2009年06月26日15:23

コミュ書き込み記録ひきこもりとニートを考える会 トピック ひきこもりとニートの連帯 2009年06月26日 15:20

うわああああん、なんか頭よさそうな人に返事されて僕不安に陥ってるぜええええええ!!!!それでも強がって返事したぜえええええええええ!!!!!

なんでもいいからなぐさめて!!!なんでもおk!!!!

ゼーゼーハーハーゼーゼーハーハーゼーゼーハーハーゼーゼーハーハー

2009年06月26日16:37

うう、忙しい・・・ひきこもりで無職なのに、忙しい・・・

ブログ、コメント、メッセージ、メール・・・。

ここ数日で、なんかもう、単行本一冊分ぐらい文章書いたんじゃないかって気がする・・・。

「文章やりとり燃え尽き症候群」みたいにならなきゃいいけど。

昔もそうだったんだ。文通してたことあってさあ。

一日に1通、2通手紙がくるのがあたりまえだった時期があったよ。

そういうのあつめて、書簡集でもだそうか(どこが出版してくれるよ)。

2009年06月27日14:34

うう・・・・「はんにゃ金田」が怖い……

「mixi 吉本男前芸人トップ3がmixiに登場!」って広告表示されてるんだけど・・・

はんにゃ金田って人の顔が、すごくこわい orz 

・゚・(ノД`)・゚・。 この広告、はやくなくならないかなあ……。

ライセンスは井本の方がちょっと好きだったんだけど、藤原もかわいいね。ちょっと韓流スターっぽい感じもするけど。

ノンスタイルって誰だ??



すごーい、はんにゃ金田って書いただけで、足あとがついた。人気あるんだね。

僕はあんま知らないんだけど。

2009年06月27日20:07

オーラの泉をすっげひさびさにみてんだけどー

これ、内容のほとんどはスピリチュアルかんけーねーのでわ。

なんか数年前はもっと濃厚な話してたような。これじゃただの美輪劇場じゃないか。

美輪の適当に話あわせる芸はすごいな。

2009年06月29日15:03

絵を描いたのだー

タイトル別にないけど、一応のタイトルは<あんたが「長い髪が好きだ」って言ったから、あんたのために伸ばしたこの髪の毛に絡まって、あんたの目の前でもがき苦しんで死にたい>

2009年06月30日03:33

失恋なのか片思いだったのか恋だったのかわかんねーぞー

なんだろう、これ。

まあ、失恋は「ホモきめえ!!絶交!!」であっても「恋愛感情はもてないが、ありがとう、うれしいです」であっても、なかなかしんどいものなのかもしれないという気がしてきたような風に思わなくもないというのは本当のところどうなのよって話なのだが。

僕、あれ本当に恋だったのかなあ???

誰かの声「去年のあの夏は、本当に夏だったのかなあ、なんて思わないでしょ?」

うーん、それと同じかねえ?違う気がするなあ。なんかだまされてる。

ううううううう。

2009年07月01日04:33

コミュのトピックがこわくてみにいけない

ひきこもりとニートの連帯 (11) (ひきこもりとニートを考える会)

(゚д゚)・・・あれから4つもコメントがついてる・・・

何がかきこまれたんだろう・・・(((((;゚Д゚)))))

見に行く勇気ナッシング。こわいこわいこわいこわい。

2009年07月04日00:38

ビビる大木、かわいいなー。タモリ倶楽部見てんだけど。昔つきあった元彼にもちと似てるわ。

引きこもり自分自身日記mixiコミュニケーション

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「同性愛は生まれつき&本能ではない」

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先ほど、スティッカムライブ配信を探索していたところ、一人、男性が酒を飲みながら配信しており、「閲覧してる方、どうぞ入ってきてください」とおっしゃったので、入ってみた。

自己紹介を促されたので、ゲイで、ひきこもりで、30歳で……と書いてみたところ、彼が管を巻き始めてしまった。

「同性愛とか、いいと思うんですよね。僕偏見も差別もないです。勉強してみたんですけど、あれって生まれつきみたいじゃないですか。だったらねーウンヌンカンヌン」

ちょっと待って、タイムタイムといいたいところだが、彼の弁舌はとまらず、社会の理不尽さや自分のだめさ加減、経済やニュースの話をすさまじい勢いで話すだけ話して、どっか行ってしまった。話の内容から年齢は20代前半らしかったが、話す雰囲気、内容は「居酒屋のオッサン」を彷彿とさせる姿で、ゾッとした(ゾッとしたのはその姿が不気味だったとかではなく、結局時代が変わり形が変わっても、まったく変わらない部分はまったく変わることなく、テコでも動かないのだという感じでゾッとした。僕もまたその世界の中でテコでも動かない)。

ああ、スティッカムとかいったネットラジオ配信ってのは現代の酒飲みくだ巻きのための機能も果たしてるんだな、と思いつつ……。

一番最初の「同性愛は生まれつき」のところでいきなり僕はひっかかったまま、でも放置されてしまった。僕が書き込むべきだったんだろうか。ま、ライブ配信なんてそんなもんだろうという気もするが。(僕のこのブログもね)

僕はゲイだと言った瞬間にゲイに配属され、所詮「正常な健常者&異性愛者様から勉強されるための対象なのか」というか。

僕は、同性愛が生まれつきだと言い切れる部分は、ないように思う。それは仮説の域に過ぎないように思っている。当事者が「生まれつきとしか思えない」、「本能としか思えない」というだけであって。

ただしそれは、異性愛すらも、所詮インストールされたものでしょう、という事からくるのだけれど。

「人類皆ビョーキ」という僕のスタンスは相変わらずです。もう少し性的な方面を強調するなら「人類皆フェティシズム/性的倒錯」。

■想像上の誰か:「小笠原さんもノンケになった可能性もあるってことですか?」

僕自身、小6までは女子も好きでしたからね。それまでは女子で勃起も自慰行為もしてました。小6まではバイだったんですよ。

いま現在ゲイなのは、僕は中1からは初恋の男性をずっと追いかけ続けてるがゆえの、倒錯的な無意識の選択をずっと続けてるだけのような気も、しなくもない。

そう、僕がゲイなのは、ある部分では失恋トラウマをずっと更新してるからなのかもしれないようにも思う。男が男であることはともかくとして、女性が女性であることは、案外要素や道具によってただ維持されてるだけの場合も多い気がするし。

ただ、生まれつき、本能と思しきものとして存在するものがあるとするなら、女性的あるいは女性系としか表現のしようがない自閉傾向は、存在するのかもしれない。その自閉傾向が、女性的な感性、同性愛に親和性が実にあった、と。そういう解釈もできるような。

「同性愛は生まれつきですから」という言葉、これは、「私の身におきている一切は前世のカルマ」というのと、あまり変わらないような気がする。

「生まれつき」っていってしまえば、もう考えなくて済むしね……。でも「生まれつきではない」っていって分析するほうが面白くない?まあその立ち位置はいつだってしんどいし、ウンウンうなってもいつまでたっても頭はすっきりしないだろうし、それにそれで自分の身を「同性愛は是か非か」の裁判の場に提示するのはイヤだけれど。

アダルトチルドレンの人の性質を「生まれつき」とするなら突如その人はアスペルガー症候群や境界性人格障害へ変化する。そういう感じだと思うけどなあ。

ひとまずの結論、「同性愛は生まれつきや本能なんかじゃない。ただし異性愛もね」。付け加えるなら、「無性愛のみ、生まれつき&本能のような気がする」。

■想像上の誰か:「小笠原さんは勉強不足ですよ。すこたん企画などのすぐれたページを見てみてください。それでわかります」

ゲイ当事者がそうなんじゃないかって言ってんのに。個人的にはすこたん企画の解説ページは半分優良、半分極悪だと感じてる。まさに「僕はゲイかもしれないけど、ここに書かれてるゲイは僕じゃない」というか。



たとえば、目の前にLGBTについてヘタに啓蒙してる、あるいはすこたん企画などに影響されてるセクシャルマイノリティの人がいて、その人に僕が「同性愛ってこれこれこうなんじゃないか」といったとする。途端にその人は「でもそれはこれこれこうだからですよね、ドレソレドウだからですよね」って答えをポンポン出してきてくれちまいそうな気がする。それでこちらは「なんだか違うような……」というようなすごくもどかしい思いをしながらも、何も言い返せない。そして「言い返せないってことは、そうだってことですよね」といわれておしまい。そんな風になってしまいそうなので、結局僕はLGBTコミュニティに入りたいとは思わない部分もあるのであった。彼らは実にどこまでものびのびと「フツーのゲイ」。

「目からウロコがはがれる」って、案外「目にウロコ貼り付ける」のと紙一重だからね。



「ノンケはどうして自分は女が好きなんだろうって考えたりしないですよね。性の多様性について考える気がそもそもないよね。」って平気で言うゲイがいるが、まあそれがある部分では仕方ないとはいえ、中にはやっぱそういう自問自答をするノンケだっているんじゃないかとは思うんだけど。



以前にも書いたような気がするけれど、ある日電話がかかってきて、それは牧師や教会によらないキリスト教信者による集会へのお誘いの電話だった。

それで「うちは父が牧師でしてねぇ」と言ったら、その電話口の方は「あら、どうりで、先ほどから話し方も丁寧だなーと感じていたんですが、やっぱり」とか言ってきた。

ふざけんなと思った。



「いまの時代、不登校にならない子の方がおかしい」なんていう人とかもね。同じにおいがする。



ふう、結局誰かとかかわると、何か言いたくなる欲望が出てくるな。これが「メディアが目の前に出現するとともにそれにあわせて発せられる欲望」ってやつですかー。その欲望は本能か?あやしいね。

ああ、何が言いたいんだ僕は……。

要は僕は、シラフでくだを巻いてるようなものなんだな、きっと。そしてきっとこのシラフくだ巻きブログを読んだ人の中にはやっぱりネットラジオやブログやmixiなんかやってる人がいて、この記事をネタにシラフか酒を飲んでかでくだを巻くようなことをするのだろう。くだ巻き連鎖。

スティッカムでの彼も、僕も、おんなじ。こぼれた言葉が進行方向を見失ってさまよっている。闇の中漂う言葉はただ不安に陥るだけ。それでも言葉は絶命しない。



stickam、一応登録だけはしてみました→こちら

ライブ配信はやりません。ズタボロマイクしかないので。



「同性愛は生まれつき。発達障害は生まれつき。そんならひきこもりも生まれつきってことで。というか、そもそも『人類皆生まれつき無職』ですから。」

嗚呼、くっだらねえ事ばっか考えてるわな、僕も……。



たぶん、僕は「生まれつき」そのものを信じてないんだな、ウン。納得の地点がそこじゃない。そういうことだろう。多分。で、この感性もまた生まれつきじゃあない。

キリスト教的な「運命ということはない」という概念の残り滓かもしれないが。もう考えるのイヤんなってきた。でも多分まだまだ遠回りで迂回しながらしちめんどくさい七転八倒言葉遊びを繰り返すんだろう。くそ。

5:54 2009/07/04

そうだよなあ。「ゾッとする」読者を増やしてんか、僕も……。

考えたら(スティッカムでくだをまいた)彼も彼で、あんな姿がなんだかいとおしい感じがするって言えばそうだしな……。ただちょっとその迫力に僕がびびっちゃっただけで……。ハァ。

引きこもり自分自身エッセイ自虐駄文日記毒になる親精神分析

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ひとり妄想カウンセリングのようなもの

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(※このエントリーに使っている動物画像は::: みーたんの素材屋 :::さんでお借りしたものです。)


パンダ=妄想カウンセラー半田さん
ヒヨコ=小笠原毅


カウンセラー半田 どうですか、その後調子は。


毅 よくわかりません。でもブログでカミングアウトした事で、多少軽くなった部分と、重くなった部分、それぞれあるかなって気がしてます。


カウンセラー半田 軽くなった部分?


毅 ええ。まあ単純に言えばずっとブログで同性愛をカミングアウトしちまいたかったって事ですから、その分は単純に軽くなった、悩みや迷いが一つ消えたことになるかな、と。


カウンセラー半田 そうですか、一つ重いものが消えた、と。では、重くなった部分とは?


毅 一つには、他人の秘密を抱え込み始めた事ですね。


カウンセラー半田 他人の秘密を抱え込み始めた?


毅 ええ。僕に秘密をカミングアウトしてくる人がちらほら出てきてしまいました。


カウンセラー半田 カミングアウト。


毅 はい。まあ僕が同性愛をカミングアウトしたわけですから、単純に「私もゲイ、バイ、ビアンなんです」とか。後はレイプ被害にあったこととか、幼少期に親戚に性的虐待受けたとか、他には単純に「実は僕も生きにくいんです」とかそういうのもありますけど、とにかくそんな感じで僕にカミングアウトしてくる人がちらほら出てきました。


カウンセラー半田 なるほど。それが、重い部分にもなってきた?


毅 セクマイであるとか、レイプ被害とか性的虐待とか、そういう事自体は特別珍しいことじゃないし、これまでにも知り合いにいました。けど、結局僕がカミングアウトしたことでその人達は僕に告白してくれた訳で。結局僕との秘密になってるんです。もちろん、僕がその人たちに「それカミングアウトする内容でブログでも開設したらどう?」と言う訳でもないし、無計画にそんなことするのは賢いことじゃないから全くおすすめできないんですけど、なんていうか……僕がこんなに秘密を持ってしまうこと、それに耐えられるのかなあ、っていうか。僕が自分のことをカミングアウトすることで「告白ホイホイ」になってしまってるような気がして。で、告白ホイホイでつかまえた告白の量的な重さに耐えられなくなりそうというか。質的なことではなく。


カウンセラー半田 「他人に喋ってはいけないこと」「口を滑らせてはいけないこと」を抱えてしまった、ということでしょうか?


毅 そうですね……簡単にいうとそんな感じです。うっかりどこかに書いてしまったり、まあ今は誰とも話す機会ないですけど、うっかり誰かと話してしまったり……。


カウンセラー半田 でも、ブログでも結構過去出会ってきた色んな人について書いてしまってる記事もあるけれど、そういうのとは違うのかな。


毅 ブログで書けるのは、本当に”過去”になったものばかりですね。まあ実際書き連ねてる以上、いまだ僕の中では”過去”でもなんでもないのかもしれないけど。でもトラウマとしていつまでも更新されていても、そのことの時間の経過自体は認識してるので、一応”過去”だと思えてるというか。だから書ける。結局終わってしまった人間関係のことばかりだったりするし。でもいま現在のことは、本当に書きにくい。


カウンセラー半田 だけどいま現在の人間関係のことでも、書いてるには書いてるじゃない?チャットで話した人にこんなの教えてもらったとか、次郎さんの影響で紙粘土に興味が沸いてきたとか、Fさんに会ってきたとか、不登校経験者オフにいって話してきたとか……。


毅 それらはどこか「建設的な方向な気がする事」だからですよ。あたりさわりがないとも言えるかもしれない。


カウンセラー半田 ああ、それでも明るい事というかね。希望的なことだから書ける、ってことかな。


毅 そうですね。今現在、ネットのみでだけど、関わってる人を絡めて、上山和樹のいう「暗い情念の取り組み」は、なかなか書きづらいというか。


カウンセラー半田 先日、好きになった人のこと書いてたじゃないですか。あれはどうなんですか?あれって、Fさんのことですか?


毅 ちょっ……まあいいか。そう、です、ね……Fさんです。


カウンセラー半田 Fさん。イギリスの?


毅 ええ。


カウンセラー半田 そうでしたか。それで、なんで彼を好きになったんですか。それは本当に恋愛感情だったんですか。


毅 「本当に」って……まあいいか。それが、まあ結局Fさんにも自分の気持ちっていうんですかね、それは一応そのように伝えたんですけど。でも実際には僕自身いまだに混沌としていて、よくわかってない状態なんです。それに、分析的態勢に入ってしまってる部分があって。

カウンセラー半田 混沌?分析的態勢?


毅 ええ。僕がFさんに会ったというのは、もう5年ぶりに他人と会って話すことをする、っていうすさまじい事態だった訳なんです。それも電車に乗って池袋にまで行って。その段階ですでに異常事態で、気分が妙な方向に行ってる訳ですよ。


カウンセラー半田 妙な方向?


毅 別に変な意味じゃないんですけど、いつもとは違うテンションとでもいうか。自分としてもどう心構えしていいかわからない、曖昧な状態というか。Fさんに会う前の不安感、不信感って言い換えてしまってもいいかもしれないけど。うん、そうですね、不安だったのかな。


カウンセラー半田 なるほど。久々に人と会うので不安だった。それで。


毅 で、Fさんはひきこもりを調査してらして、そんでついでに僕のブログのファンだと言ってくださってたんです。なので、実際会って話す時でも、結局Fさんは小笠原の話をすごくよく訊いてくれるポーズでい続けてくださいましてね。なんにも話を否定されなかったです。話を中断されることもなかったし。


カウンセラー半田 ああ、すごい受けとめてくれる態勢だったわけですね、Fさんは。『小笠原の話』を。


毅 そうなんです。まあ話す内容、題材が題材なだけに、言葉すくなになったり、話がとまったり、そういう感じもありましたけど……。


カウンセラー半田 「けど」?


毅 いえ、別に。


カウンセラー半田 何か、おっしゃりたいことがある?


毅 ……。


カウンセラー半田 そういう感じもあった、「けど」?


毅 ……。


カウンセラー半田 ・ ・ ・ 。 ・ ・ ・ 。


毅 いえ、特に何も。話したいことはありません。


カウンセラー半田 そうでしたか。


毅 すいません、もう他にも話したいような事はないので、今日はもうこれぐらいでやめたいのですが。


カウンセラー半田 そうですか、もう話すことはありませんか。私としてはもう少しお聞きしたいのですが……じゃあ今日はこれで終わりにしましょう。では、今度、また。




■想像上のノンケ「おまえさー、だからこないだも言ったけど、こういう事言われる身、書かれる身にもなれよ。Fさんはおまえのブログ読んでる人なんだろう??Fさんドン引きだぞ多分。それわかってて書いてるおまえがなんかすげーわ。図々しいというかなんというか……。おまえなんか所詮ただの気持ちの悪いひきこもりオッサンに過ぎないんだぜ?いいか、いっとくけど俺がいってんのはホモに限らないぞ。いい年した人間がいつまでも恋愛沙汰で片思いだのなんだの言ってること、それがきっついっつうの。みんなそんなのとっくの昔に済ませてんだから。それをおまえは、グチグチねちねちと……。吐き気がする。おまえのそういうところに一部の女性は共感してくれっかもしんないけど、ほとんどの連中はおまえみたいのなんかお断り、面倒見きれねーって感じだからな。しかもよりによってホモ。有り得ないわ。いいか、これは強調しとく。おまえはただのおっさん。オッサン。それもクソを製造するだけの、なんの役にも立たない欠陥品のオッサン。たち悪い。始末におえん。それよくわかっとけ。ボケが。」



「分析的態勢」について。

三日ほど前だったろうか、頭の中が完全にFさんのことしかなくなった一日があった。髪の先から爪の先まそれしかない、というのはあの状態のことを言うのだろうか、などと思う。

だが一応その状態は切り抜けることができた。一体あの状態はなんだったのだろうと思う。

恋情において、よく人を盲目にさせると言うが、恋情はどこかアディクションな機制があるのではないかと思う。

僕の意識は恋情を持つことで、ひきこもりとしての現状、親への怨恨の念、同性愛葛藤一般を含んだ他一切のトラウマ、これらから一時的に逃れようとしたのではないかと思われる。(ただ、もしそうだとした場合、当然、同性愛葛藤一般から逃れながらも、再度すぐに同性愛葛藤一般に舞い戻り、そしてまた離れる、また戻る、というのを繰り返していたことにはなるように思う。)

その結果が、三日前の恋情にまみれた心身だったのではないだろうか。

それとも何か心理機制における、変化の過程の一つなのだろうか。

あるいは、僕は何か去勢を一つ行ったのだろうか。だとすれば、僕がFさんへ送信したメールにおいて「実らない恋情、性愛感情を乗り切って、みんな空気を読む能力なり距離・感覚をはかるものさしなりを得るんじゃないか」といったことも、あながち間違いではないかもしれない。

だが、そう書いたことで自分をそのように誘導したとも言える。今のこの考えがあまりにも当てはまりすぎているから。設定したとおり、僕がなぞっただけなのかもしれない。そのやり方にもまたACトラウマ的な文法でのアディクションのにおいがする。

とにかくこれらを単純な恋情で捉えて突っ走ってしまうと、僕はまた数年前までは繰り返していた恋愛依存症に陥り、そこを経て再びひきこもり的10年を繰り返してしまう気がする。それだけは避けたい。

避けたい、その思いもあるのかな、こういう記事を書いてしまうのは……。

まあ、まだぜんぜんわからないけど。相変わらずひきこもりであることには変わりない訳で。

「繭の中で繭から孵った卵」のようなもの。卵のからにまだヒビは入っていない気がする。無性卵じゃないとは思ってるけど。



ブログランキングについて。ランキングには参加しないけれど一応またひきこもりカテゴリーの新着記事に表示されるようにはしてみました。アクセス解析を見てると、ずいぶん検索で探した上で来てくださってる方がいるみたいで。

またそのせいなのか、「ひきこもり ブログ」で検索したら、僕のこのブログが直接ではないけれど、ブログ村の僕のページがまた3番目に出てくるようになってしまいました。でもこれもまた外されるかな。それとも一時的にあがってるだけかも。ぶっちゃけそうであってくれる方がいいんだけど。

なんか、そんな検索してまでして探していただいて、ありがとうございました。すいません。

引きこもり自分自身対話篇

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【お知らせ】故・山田花子展が下北沢にて開催されるようです

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(記事作成:20:26 2009/06/21)
(最終更新:3:52 2009/07/02)

mixiにて山田花子展のお知らせを見つけたのでここに転載します。

まだ予定の段階のようで、最新情報が入り次第随時更新するつもりですが、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか。詳細は問い合わせ先にて。

なお僕はこの展示会にはまったく関わっていません。ただ見つけたので掲載しているだけです。僕は行くかどうかわかりません。出来れば行ってみたいけれど。

あと、個人的に若い方のアート活動はとても応援したいところがあるので、これを見たひきこもり系ブロガーのみなさん、よければブログで宣伝してくれませんか。これはちょっと広めたいところ。



「山田花子展」(仮)

故マンガ家・山田花子の復刻本「魂のアソコ」(青林工藝社刊)の発売を記念した個展。マンガ原画の他に幼少の頃より書き残した絵画等も展示予定。また限定版「魂のアソコ」に付属した山田花子の音源CD「花と子供」等を聴く企画も予定している。

会期/7月21日(火)〜7月26日(日)
10時〜20時(予定)
会場/下北アートスペースギャラリー spaceB
東京都世田谷区北沢2-9-3 久富ビルB1F
TEL:03-5433-4502
http://www.shimokita-art.com/index.htm

公式ブログ→山田花子プロジェクト

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自殺直前日記 完全版 (QJブックス) からっぽの世界 花咲ける孤独 定本神の悪フザケ



このイベントとは別に、お知らせです。

6/24現在、若干パソコンの調子が悪いです。去年もこの時期パソコンがおかしくなって使えなくなったのですが、もしかすると今年もそうなって、一ヶ月以上ネットから離れるかもしれません。

もし突然ブログ更新がすっかりパッタリ途絶えたときは、そういうことです。

引きこもり山田花子マンガ

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もっと知りたいエミール・ガレ―生涯と作品/鈴木 潔

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ひきこもりチャットで、ある方に陶磁器やガラス工芸の人物を教えてもらった。マイセン、ルネ・ラリック、エミール・ガレ。それで画像検索したら興味が出てきたので、図書館に早速予約、借りてきて眺め始めたのが一週間前ぐらいだろうか。

「欧州陶磁紀行―マイセン|ウェッジウッド|セーヴル」
「マイセンのばら」
「もっと知りたいエミール・ガレ」

の三冊。ルネ・ラリックだけは借りられなかった。

で、これらのうち、エミール・ガレが気に入った。文章は読まずに、写真だけ眺めてる。

なんていうか、どう言い表していいのかわかんないんだけど、「ドロッとしてる」というか、「ボトッとしてる、ボットリとしている」というか。「ぬめぬめしている」ような感じも。

誤用だけど、「肉々しい」という言葉でもいいかも。肉厚な感じという意味でもいいけど、本来の「憎々しい」(憎らしい)という言葉の意味と少しばかり掛け合わせての「肉々しい」でもいい。

なんとなく、松井冬子の画集を思い出したりもした。

「……素敵!眺めてて『ホーッ』となるわぁ……」というような感じじゃないのは確か。「欧州陶磁紀行」などでのマイセンやウェッジウッドなどは、確かに優雅で高貴で素敵なのだけど。

エミール・ガレ、見ようによっては「グロテスク」なのかもしれない。でも、それはほめ言葉だな、と思う。

エミール・ガレをよく知ってる人からしたら「げらげら」って思うような感想かもしれないけど、そんな言い方ほんとは違うかもだけど、でも僕としてはそんな風に感じた。

もっと知りたいエミール・ガレ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

引きこもりアート読書レビュー

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言葉が死ねばいいんです

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言葉が死ねばいいんです。

そしたら万事解決。

でも言葉は頑丈っぽいです。

なんだろう。悪の権化は大脳でしょうか。大脳をぶっ壊せば言葉は死ぬんでしょうか。

うー、大脳ぶっ壊す、それは怖いなー。

サンシャインって60階建てでしたっけ。あのぐらいから飛び降りれば大脳ぶっ壊れるのかな。

(※大丈夫です、死んだりしません、自殺したりしません。今ちょっと不安なだけです。その辺、理性的だと僕は自分で信じてます。自殺のサインでもなんでもないと思う)

引きこもり自分自身

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僕、頭良くないです

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タイトル通り。僕、頭良くないです。

小学校も中学校もぜんぜん勉強しなかったから通信簿は1とか2とかばっかりだったし、高校も通信高校で教科書丸写しすればよかっただけ。不勉強が身にしみます。

読書だってここ3年ぐらいでようやくやりはじめて、でも読み方も稚拙だろうし、読み終わってもなんのことかちんぷんかんぷんな本ばかりだった。

「ファーストラベル」とか「文脈」とか「フレーム」とか「可塑性」とか「享受」とか「カスケード」とか「他者」とか「主体」とか「倒錯」とか「去勢」とか「象徴」とか「関係性」とか言葉は使ってますけど、そういうのは本を読んでなんとなくの感じで覚えて使ってるだけなんです。

ときどき、お世辞だと思いたいんだけど、「頭いいですね、お話したいです」みたいに言ってきてくださる人がいるんだけど、言われるたびにプレッシャーなんです。「バカがばれる!!ボロがでる!!本当は頭悪いんだってわかってしまう!!」っていうプレッシャー。

でも、僕はああいう言葉がなんか好きで。きちんと定義とかわかってないのに、なんか使いたくて。使ってしまうんです。使わないと、文章がやたら長くなってしまうし……。

はてなダイアリーやってて、はてな論壇(?またこういう言葉を使う!)にあがってる人がこのブログ見たら、「こいつアホだ!!」って思ってるに違いない……。そう思ってます。(想像上の誰か:「たかだかブログで自意識過剰!」)

はてなで、なんかすごーいブログをすらすら書いてる感じのブログに、憧れる。メタがうんたらどうたらとか。でもメタってなんなのか今いち良くわからない。感覚つかめない。図書館でメタで検索しても、それっぽい本ない。

僕、頭、良くないです。知ったかぶりばかりしてるだけです。

(アスペルガー症候群の判断材料として、「アスペルガー症候群の人は難しい言葉を好んで使うが、実際には言葉の意味をきちんとわかってて使ってるわけじゃない」とかいう特徴項目があるのが恐ろしい。それって単なる子供の特徴じゃんか……。)

でも、だからって直球で「そうか、バカだったんですね、じゃあ今後はバカだと思って読みます」っていわれても、いやなんだけど……。見栄っ張りなんですネ。嗚呼恥ずかしい。(でも恥ずかしいとかそういうのいえば、誰か慰めてくれるの、僕知ってるの)。

ぼ・く・の・こ・と・ば・は・ど・こ・に・あ・る?(詩的っぽい表現に走る浅はかさ!←というふうに自己分析できてるんだぜ!という一人ツッコミでの主張←というふうに自己分析できてるんだぜ・・・∞)

勝山さんみたいなブログにしよう、って思って、そんなのばっか考えて書いたりしてたときもありました。でもやっぱ勝山さんのああいう雰囲気は、才能ですね……。もちろん日々色々と考えて書かれてるんだろうけれど。簡単に目指せるもんじゃないし、向き不向きがある。僕には向いてない。根暗なんです。根暗で悪いか。うん、ラスボス・世間様からすると根暗はやっぱ悪いみたい……。(っていえば誰か慰めてくれるのを「あたい知ってるの〜♪」……)

引きこもり自分自身エッセイ自虐駄文

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吉田戦車「伝染るんです。」から、「相合男」について

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最近、吉田戦車の「伝染るんです。」の内容が、なんだか昔とは違って見えてきてしまっている。昔というのは、購入した中学時代から半年前ぐらいのことをさす。

何がどう違って見えているか。例をあげるのが一番早い。たとえばこんなネタ。

(1コマ目)雨の中、カップルが相合傘をしながら楽しそうにしており、それを体育大の男子が見て「男女二人で一つの傘をさすのが相合傘……」と呟いている。
(2コマ目)突然体育大男子は二つの傘を広げ自分の上にさし、「なら傘二本が一人の男をさすのは相合男だろう!」と閃いたように叫ぶ。
(3コマ目)降りしきる雨。
(4コマ目)前方に先ほどの相合傘をした楽しそうなカップルがいて、そのはるか後ろに真っ黒に塗られた体育大男子が「相合男」をしたまま、一人ポツンとたっている。雨は降りしきっている。

僕はここから、そうだなあ、「欲望の流れに乗れないアイディア・発見の一切は、全くもって意味と価値のないものとして消えていく」というようなことを思う。

カップルで相合傘をするのは「楽しい」。その一方、一人で嬉々として「相合男!(女!子ども!大人!)」とやって、「何が『楽しい』のか?」。実用性も低い、手荷物が増えるだけで、面倒くさいだけの「相合男」。「欲望の流れ」は常にその時代の意味と価値において「楽しい」ものへの求めであり、実用性への求めである。だから、彼の「相合男」は、発見とともに葬られる。

そんなことを思う。

また同時に、「欲望の流れに乗れないアイディア・発見の一切は、提唱者に与えられてしまったファーストラベルによっても決定される」というようなことも思う。

ここで「相合男」を提唱しているのは、いかにもモテなさそうでバカっぽく脳まで筋肉になってそうな体育会系の男性である。吉田戦車は自身のマンガで、この体育会系男子モチーフを「バカで単純で肉と白米さえあればそれだけでいい動物」のようにわりと頻繁に繰り返し使う。

吉田が彼らに与えている絶対的ファーストラベル、「バカで単純で肉と飯さえあればそれだけでいい動物」。それゆえ、この「相合男」は全くもって「取るに足らないと評価することさえ損した気分になるようなアイディア・発見」に落とし込まれている。

ただしこの「相合男」を発見した彼は、別にそのことで悩みはしないだろう。彼の目線が(半分無意識で)追う先は常に「幸せそうなカップル」であり、「恋愛主義に乗っかれているリア充」である。彼の目線は(かつてはそうだったかもしれないが)嫉妬や羨望ではなく、そこから自分のためのネタへと転化するまなざしを持っているのである。なぜか?「体育大男子」というラベルであるがために。また「体育大の文脈」の中にのみ、彼の言葉は属しているからである。「相合男」。彼は普段からそういう事を仲間内でも語り合い発想しあい、(メシと酒とエロ本を媒介にしつつ)バカネタで接続している。



まとまりそうにないので、ここでおしまい。

「伝染るんです。」では「バイバイ」を「売買」にしてネタにしたり、「子どもは風の子!そして風は子どもの親!」とかいうネタがあったり、「吹き矢」ではなく「吸い矢」なるものを作りだしそのリスクを描いたり、という言葉をねじった内容が多いので、一個一個ネタに突っ込んでいたらキリがない。

(そのキリのなさが、「不条理」っていう評価なのかな。わかんないや。)

単純に〆切りに追われてた結果、ネタが浮かばない結果、言葉をいじるしかなかったのかもしれないし。「オバタリアン」の堀田かつひこも苦肉の策としてことわざやダジャレをもじってオバタリアンネタに転化していたし。



ああ、だから、

『ひきこもりの言葉も、どんなに問題提起として力があるように――そう見てくれる人が存在した上で――一見みえても、欲望の流れに乗らなかったり実用性がなかったりするものであるなら、体育大男子の彼のように葬られるだけの言葉になるのである。

だが彼は体育大文脈によってはぐくまれた自覚なき強さがあるので、それを意図せず乗り越えられる。

一方、ひきこもりのそれらの言葉は真っ先に葬られるがゆえに、なおのことひきこもりへと強化され、ひきこもりの言葉はますます流れに乗せてもらえないものへ、発した途端即死と自爆への道をたどらされるものへとされるのである。

また体育大男子のあの乗り越えは、後々にひきこもりの言葉を葬るための力として、かなり確実に作用する。』

みたいなことを言いたかったかな。

引きこもり読書マンガレビュー伝染るんです。吉田戦車

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メモ・山田花子的なものについて

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■※よしもとの芸人ではなく、十数年前に自殺した特殊マンガ家の方の山田花子について。

■山田花子的なものの統合をはかること、山田花子的なものの繋がりは不可能であり、繋げさせること、それをはかることは暴力である。

■「ああ、山田花子、山田花子的なものはデリケートで繊細な世界だからね」と言うなら、それこそがまったくもって無自覚の暴力であることを理解していない。

■山田花子的なものは(統合失調症的な意味合いではなく)分裂していなければ存在が不可能である。統合したものを良しとして外側から眺めている輩はまったくもって悪趣味な覗き見趣味のスケベオヤジと同じである。

■他者として山田花子、山田花子的な者に触れるとき、その他者は山田花子が徹底して批判した人間側であることを徹頭徹尾自覚し、罪悪感に苛まれながらでなければ、まぎれもなく(山田花子が命がけのレベルで嫌い続けた)偽善である。

■山田花子的主体は、その傲慢さと欺瞞を全身で見抜き、一気にしんどさへと身を投じることになる。

■山田花子の死以降の山田花子の扱われ方は、多分あの世で再度自殺したくなるようなレベルではないだろうか。(この記事もまた同じ!)

■それはご両親の思いすらも、同等である。いや、むしろ「自殺直前日記」の出版は、山田花子を永遠の親子フレームの中に閉じ込めることをしただけである。

■はっきり書く。親が悪い。しかも、母親が徹底的に悪い。ここを踏まえない山田花子語りはすべてむなしい。

■もちろん山田本人のパーソナリティもあろうが、「自殺直前日記」を読める限りで、流れの中に見出せるものとしては、徹底的に母親が悪い。

■AC的文脈の中で語れない山田花子は、まったくもって意味をなさない。

■「山田は単にアスペルガーなんじゃないの?」→立つ位置が違うだけで、ACとアスペルガーは表裏一体である。ACっ子の可塑性がアスペルガーを擬似的に発生させている。

■安易なメッセージ化は山田花子を再度自殺に追い込むだけの暴力である。

■山田花子がクスリになる効能そのものはまったく否定しないが、そう言って処方しようとしてくる人に対しては僕は、マスクと手袋をさせていただく。こちらが大火傷してしまう。

■山田花子を、山田花子的なものを媒介につながりが出来るとき&出来ようとするとき、それは連帯されたナルシストなだけであり、そのとき山田花子・山田花子的なものは一切無視されている。

■(と、このように僕が書き連ねることをも、山田花子的なものとして回収されてしまうのだが。それについては、アート的な解釈だけはよしとし、それ以外はすべて断固拒絶したい。……が、無理だわな)



7月に下北沢にて、山田花子展が開催されるようです。

詳細は山田花子プロジェクト、あるいはmixiの山田花子コミュニティなどでご確認ください。



業務連絡(?)。

思うところがあって、リンクを整理しました。今回の整理は「同性愛カミングアウトの影響を考慮して」のことではなく、別の感覚によるものです。「あわせて読みたい」も外しました。

引きこもり山田花子自分自身エッセイ毒になる親自虐マンガマイノリティ

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ゲイだから、殺される

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「ゲイだから、殺される」
「ゲイ=殺される」

このイメージ、具体的な描写をもって僕の中にある訳じゃないけれど、それでもかなり内面に大きく座している。

個人的なトラウマか。
それとも社会的な、ヘイトクライムと呼ばれるものに覆われてしまってるのか(あんま知らないんだけどなあ)。
それとも「男性は一度つまずいたら終わり」な取り決めの中か。
母から与えられたキリスト教のせいか。
父に「男なんだから!」とかつて言われたことか。
学校でオカマオカマといじられ続けたことか。
僕の分裂的パーソナリティのせいか。
犯人はあるのか。犯人探しは役に立たないことか。

イニス・デルマーのあの恐怖は、決して大げさじゃない。誇張じゃない。

■想像上のゲイ:「だから、ゲイってことは隠してゲイ同士で遊んでればいいじゃない?日本はそれが大きく享受できる国だよ?それをしないのは、あなたの中に凝り固まったプライドがあるからじゃないの?そんなクソみたいなものドブに投げ捨てちまいなさいよ。」

■想像上のヘテロ:「誰もあなたを殺したりなんかしません。それにそう思ってるのは、ヘテロに対してものすごく失礼、無礼なことですよ。」

引きこもり自分自身

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デザインをはてなダイアリー風に変更した

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ずいぶん前から、ブログデザイン、象テンプレートを変更しよう変更しようとは思っていたんだけど、テンプレートを色々試してみたもののこれといってシックリ来る物もなく、結局象のままだった。

でも今から、はてなダイアリー風にしてみることにした。

僕自身ここ二週間は「あちらにぶれたりこちらにぶれたり」が本当にひどくなってるので、何かいったんそれを止めるものがほしかった。

で、hatena風デザインにすることに落ち着いた。ほんのちょっとだけ、カスタマイズもしていじった。

ただこれによって、読む側のうち、いくらかの人は読む時のポーズが「はてな的」になってしまうこともあるのかな、と思う。

そう思うと、少し怖い。ある意味じゃネクタイしめたようなものかも。

ま、杞憂かな……。

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セクマイ畑における、右的なもの、左的なもの。左的なものを訴える人たちの根底にあり彼らを突き動かしている、右的なもの。いつの間にか囲まれてる枠。問いのカスケード。

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右翼とか左翼とかぜんぜんわからないけれど、なんとなく右的なもの、左的なもの、っていう感じではつかめ始めている。

最近考えていたのは、たとえばLGBTの問題を啓蒙してる人たちは、一見すると左的に見える。

しかし、個人的なブログやサイトなどを回って話をよくよく読んでみると、「同性愛者(etc)も差別に受けずに普通の暮らしがしたいだけ」ということであり、突き詰めていくと「同性愛者として”日本”を、”日本人”を享受したい」ということのようである。というか、そういう人が多いように見える(俗流若者論者的まなざし!)。

彼氏とほっこりしたいだけ。温泉とか行きたいだけ。他の男女と同じく、恋愛を楽しみたいだけ。

その精神にあるのは、非常に日本的なものであり、日本的概念、関係性、それへの親和性を堂々とさせてほしい、そういうこと。

左的なことを言いながら、実はその根底にあるのは右的感覚に突き動かされているもの。

同性愛差別さえなくなってしまえば、日本は日本的でまったくかまわない、まったくもってそれだけで日本で日本人として暮らせる<セクマイ・マジョリティ>(セクシャルマイノリティの中でのマジョリティ)。

なんかそんな風に見えてしまう。

「あんた、性愛が同性愛だからマイノリティに振り分けられてしまうだけで、その他の部分は思い切りマジョリティじゃないか」

なんかそんな風に言いたくなってしまう人も、ある(多い……)。

同性愛が、LGBTがまったくもって普通に生きられる日本になっても、相変わらずみんな「空気読め」と言い続けるだろう。ただその「空気読め」の範疇から「ゲイだってことを明かすな、ヘテロが驚くだろう、空気読んでゲイだっていうことがわかるようなことをわざわざ言うな」が外れただけで。

まあ実際にはLGBTがまったくもって存在が普通とされる日本になったら、だいぶその辺りもマッサージされるのだろうけど……。でもそういう日本になることがあるとしたなら、あと50年ぐらいはかかるんじゃないかな。今のネット世代(?)が爺さん婆さんになって、ようやくそんな日本が訪れるんじゃないかと。

■想像上のLGBT:「なんでそんなことをわざわざ言うんだ!せっかくみんながひとつになってがんばろうっていうのに!そういう気持ちをあんたみたいのがぶち壊すんだ!空気読め!」

そういう風に言われると、やっぱ僕は単に「ACなんじゃないか?」って思ってしまうけどなあ。日本はAC概念につながるものがすべて流行として終わらされてしまう。「そんなものは存在しない」と。AC抜きではLGBT問題は語りえない、そうとまで思ってしまう。なのに現状はパーソナリティ障害とアスペルガーの方が優勢でね。

■想像上の僕:「僕は右か左か、どっちなんでしょうね?」

わからないー。でもわからない時点で、左に配されそうだね。右か左かの枠をはずそうとしても、それだけでそのポーズが左の枠にはまってしまうようで。語ろうとすることそれ自体がもはや問いのカスケードに巻き込まれてる。

■想像上の僕:「この記事、ありとある対象を敵に回してる感じになってるね」

ひきこもりにありがちなことさ……。



「カミングアウトレターズ」なんかを読んでるとゾワゾワしてくる。結局こういう語り口、やり口でしか理解や共感は得られないのか。本当は親へのうらみつらみの方がもっと集まりやすかったんじゃないのか。

そしてこれがひとつのセクマイ・イメージとして形作るための力として機能しようとしてるっぽくって、僕はこの本を焚書したくなる。砂川さんには少しお世話になったのに……。

「ハートをつなごう」を見てもゾワゾワする。「それはノンケの文脈の中で飼い馴らされてるからですよ」と言われたとしてそう考えて見ても、何か違う気がする。そういわれると、「言葉の力が弱いひきこもり」の自分へとまた還っていく感じがしてしまって、ショボーンとなる。僕がゲイコミュニティに入ろうとしても、やはりハードルが高いと感じるのが、そのあたり。かな。



ま、右、左、やっぱいまだわからないけど、背伸び(?)してひとまずそんな言葉を使ってみたくなってこんな記事を書いた。という言い訳。

引きこもり自分自身エッセイマイノリティマジョリティ毒になる親

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書ける事、書けない事の判断、距離・感覚の戸惑い。これは恋愛感情か否か。書くべきか、書かざるべきか。

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現在も、僕は現役ひきこもり当事者である。

それであるがゆえに、現在僕に起こる出来事もまた、すべて僕という”ひきこもり当事者の身の上”に起きている事だ。”ひきこもりとしての僕への出来事”だ。

これまでは、主に過去の事について掘り返して火力最強にして蒸し返して、書いてきた。

しかし、現在僕はネット上だけではあるけれども、(普通の人にしたら屁でもないのだろうが、僕の感覚でいうと)やや濃密に関わってる人達が、少しばかり増えてきた。いや、増えてきて”しまった”。

どうしたものだろうか。

過去は過去として叩きのめすようにして扱うことで、なんとか「地固まる」のための道具とできた。

(建設的イメージ目標という価値づけでもなんでもないものとしての)未来に繋がっている現在が自分に振りかかってくると、そのことは途端に書けなくなる。ここからは、”僕にふりかかっている現在”を書くにはかなりのフィクション化か事例の組み合わせが必要だし、しかしそれではひきこもり当事者として、またゲイ当事者etcとしての事も、語りえないものとなってしまう。

真実なるものが一体どういうことかはわからないが、”僕が真実ととらえた、真実とおぼしきもの”は、書けそうにない。カミングアウト前以上に、曖昧にぼかしたものになりそうな気がする。

昨日、「Pixiaで惑星を描くやり方」というような記事と「ケイト・ブッシュの嵐が丘の歌い方・動画バージョン」というような記事をアップしようとしたのだが、そうしようとした瞬間「くっだらねえええええ」と思い、しかし作ってしまったのが勿体なかったので下書き状態で保存したのだが、なんだかブログが汚れるような気がして、すぐさま削除した。

何をどこまで書いて、話せばいいか?その距離、感覚を僕は「これから掴めていけるんだろうなあ」と思っていた。なんとなく、”脱ひきこもり”なるものへの予感――信頼と期待が違うように、願いであることを勘違いした予感――もあった。そうして”空気を読む能力”なるものを獲得していくんだろう、と。

しかし僕は、その距離、感覚を全く掴めそうにない。なぜか?ひきこもりだからである。現役ひきこもり当事者である以上、その”距離、感覚を掴むための体験”は――インターネットでのやりとりだけでは――もどかしい。

ここから「現役ひきこもり当事者から、ひきこもりだった人に、あるいはニートか無職へと昇格(?)する事が必要かもしれない」という風に考え至っている(思い至ってはいない。あくまで考え至っている)。

だが、僕はその距離、感覚を全く掴めない世界に放り出され続けたからこそ、いつのまにか”冤罪を言い渡された挙句に失語症に陥り死刑宣告され後は刑が執行されるのを待つだけの者”のようになり、ひきこもりになってしまったんじゃなかったのか。

ここで中島義道の言ってる事がようやく感覚的に――わかったつもりに過ぎないのかもしれないが――わかる。僕の大意では「”対人義務”ってのはどうかって話だけど、対人していかないと自分については一生わかんない」というようなこと。それは決して「建設的意思における取り組み」じゃなくて、あくまで「絶望と諦念において、それでも分析のためにせざるを得ない取り組み」というか。まあ全然違うのかもしれないけど。

「”暗い情念の取り組み”として、現在のことが書けなくなる」。ひきこもりがひきこもりから抜け出した時にひきこもりを叩くようになること、あるいは多くのブロガーが「今日のゴハン」や「道端で見つけた花」や「ニュースでこんなんありました!うーん、むつかしいですねえ」等々でしかブログを書き連ねられないのは、そう言う事なのかもしれない。mixiがある種の人たちの心性にやたら合いすぎてmixi依存症などの人があるのもそういうことなのかもしれない(やや乱暴な結論?)。



現在かかわってる人を巻き込んでブログに書くこと、それの限界。しかし書かなければひきこもり当事者、ゲイ当事者の僕はここにあらわれない。しかし書く訳にいかない事実の大量さときたら。



しかし、書くしかない。「書く事を許してくださるだろう」「感性的なネタへと転化していただくしかない」というような、その方へのよっかかりをなんとかゼロの位置とさせていただいて、なんとか今この瞬間、何を書いて書かざるべきかの距離、感覚のはかり方の定規とさせていただく。(まあ、考えてみればいつもそうだったんだけれど……その辺、元々僕を「ひきこもり当事者」として捉えていただいて扱ってもらえてたんだから)

これは、恋愛感情なのだろうか。それとも恋愛感情”だった”のだろうか。

言葉にしたとたん、そのようになり世界を”滑っていってしまう”気がする。

だが、僕はひきこもりであり、ゲイであり、そのことに大きく関連する混沌としたものが僕の中にずっと渦巻いていた訳で、それが”現在の人の関係性”の中に放り出された瞬間、「恋愛感情かもしれない、と思しきもの、のようなもの」というものに形作られようとしている。

僕の現在は、いまだに数年前に終わったはずの”恋愛依存症”が根強く尾を引いているのかもしれない。

「これはなんなのか?」

もしや、中学や高校ぐらいで済ませる問題に、いま突入してしまっているのではないか。あるいは、その頃に本来処理しなければならなかった取り組みが、再度浮上してきているのか。

(いまこうして書いているけれども、言葉をどう選んでいいのかわからない!!その選びようのむずかしさに、身体感覚として腕がとても重たくなっている)

しかしながら、見事なまでに手本がない。ただ今僕はこれを――僕の中でいまだもって現在進行形か、現在処理中段階に入ってるのかはわからない、またそもそも”片思い”なる喉が焼け焦げそうで吐き出してしまいたくなるような甘ったるい言葉に集約していいのかわからないが――普通のゲイからしたら「おそろしく羨ましい片思い」と「その失恋」として、またその処理の青さ・甘美さをいま経験しているんじゃないか。

■想像上で僕がその事について打ち明け相談した、想像上のゲイの反応:「えええ!!ノンケにそんな風に相手に伝えて、それでそんな風に対応してもらったっていうの!?有り得ない!!え、そういうこと有り得るの!?聞いた事ないわ!!あんた、恵まれてるわぁ〜。まあ先方さんも実際にどう思ってるかわかんないけどね?実際にはもう距離置こうって思ってるかもしんないわよ。でもそれでもあんた、それいいわぁ〜。はあ、あたしもそんなん言われてみたいわ」



なぜだろう。

これは罪悪感か?罪悪感だとしたら、なんで?

■想像上の僕:「その人がこのブログを後で見る事、わかってるっていうのもあるからね。わかってて書いてるからね。それに僕はゲイ、相手はストレートなんだから。あと30年間キリスト教の中にいなきゃいけなかったからだべ。」

■想像上の僕:「で、結局好きなんか?好きじゃないんか」

恥ずかしくて書けない。でも恥ずかしい、そうであることはつまりそうなんだろうな、うん。言葉濁してるし。だけど、なんかその二分法ではあまりに着地点がシンプルすぎて、なんだかつまらないんだよ。

■想像上の僕:「ひきこもりとして関わらせてもらってた人をいつのまにか好きになっちゃった、でも相手は『ゲイだのビアンだの偏見があるとかないとかそういう概念がもはや存在しないほどに偏見がないストレート』だった、だからいずれにせよこれはかなわぬ恋、失恋、片思い……それでいいんじゃないの?」

だめなんだよ。それが。僕は結局、「一人で言葉をこねくり回して一人で七転八倒して遠回りして迂回してややこしく立ちまわる、一人道場」での師範と弟子をやってないと、だめなんだよ。あんたがそう言う着地点も、なんか、こう。違うってことじゃないんだけど、なんか違う。結局”サイコロトーク的「恋バナ」”に終わるじゃないか。

■想像上の僕:「でもおまえ、今***がくるのすごい待ってるじゃんか」

それ書くなよバカ!!!!さすがに伏字にした。こっぱずかしすぎる。

■想像上の僕:「こっぱずかしいって、最近このブログで何書いてきたよ(笑)。露出狂になりたいだのザーメンフェチだの男達にレイプされたいだの書いてんじゃんか。ほら、今だってモノがでっかくなってんじゃん。反応早いなあ」

……ああ、わかったぞ。多分僕の中に、”男性一般”への蔑視のまなざしがあるんだ。男性一般蔑視を行うことで、僕は男性をフェティシズム的性倒錯でとらえて求めてる部分も大きいように思えてきた。だとしたら、同性愛もやっぱり可塑性の結果なんじゃないか。もちろん異性愛もだけど。で、その辺もまたひきこもり状態に繋がってる。

■想像上の僕:「お、なんかのってきたね。結局哲学とか精神分析とかで自分のモヤモヤしたものをそういう方向へ転化していくしか方法ないんじゃないの?人によってはそれが数式だったりもする訳で」

ああああああ。哲学者に同性愛志向が多かったのって、そういう事なのかなあ。違うだろ。いやそうかも。いややっぱ違う。その中には同性愛の人もいた、ちょっと確率高かった、ってだけだろう。



何書いてるのかわかってる、でもわかってない。そのボーダーラインの平均台の上をふらふら歩いている。そんな感じ。ひきこもりなのに(一日中家にいて外からは刺激が何もない生活のはずなのに)なんでこんな状態に陥っているのか!?



■想像上の僕:「日本独特の、男女をやたら煽ってくる恋愛至上主義、恋愛経済、その観念に巻き込まれてる&とらわれすぎなんじゃないか?」



石壁に頭をガンガン打ち付けたい。痛いし血が出るからやんないけど。



■想像上の誰か:「てか、ひきこもりなんだから、いーからとっとと家から出て働け!!くだらねーことで悩んでんじゃねー!!!甘えんな!!!おまえなんか社会で叩きのめされちまえばいいんだ!!それが出来なきゃ自殺しろ!!今すぐしね!!」



■想像上のゲイ:「でも、素敵なノンケに紳士的に対応してもらった、そのことだけでハッピーじゃない?そういうことでいいんじゃないの?」

それだけでどうしても済ませたくないんですよ。いや、別にこっから相手にアプローチしたいとかそういうことじゃなくてね(そういうことが一切できないひきこもりでよかった!(?))。それはあまりに”建設を停止した建設的捉え方”というか。結局それも接続できないコミュニティ、トライブなんですよ。うん、最終的にはやはり「どこにも接続できない」というところで監獄に自ら入ってるのかも。で、それが受動的排除の結果なのか、それとも能動的選択なのか。

■想像上の斎藤環:「”欲望キター”ってことで」

出たなタマキンめ!!蹴り上げてくれる!!

■想像上のカウンセラー:「ほら、自主制作映画の撮影もお断りしちゃったでしょう?それにアクセスランキングも降りちゃったし。mixiのトピックに書き込んだけど、その後そのトピックにアクセスするのも怖いっていってたじゃない。なんか単純にネガティブな思いにとらわれてて、ちょっと今はへこんでるとか、そういうぐらいじゃないかな?」

そんな気もしてきた。

■想像上の僕:「でもさ、やっぱその人がみるってわかってて書いてんだから、すごいずうずうしいことだし、そんで『想像上の僕』とかいうのまで出しちゃってさ、その人によく思われたい、すごいって思われたい欲望がふつふつと沸いてるんだろうな?小笠原、結局浅はかな奴だな。っていう風にこの『想像上の僕』に言わせること、それさえも自己分析が出来てる人、みたいに思われたいことの証明だしな」

言葉が死んでくれたら一番いいんだよ。結局。言葉が死ねば神も死ぬしね。でも人間も死ぬかも。

■想像上の他人:「秘密だけを書き連ねる匿名ブログ、こことは別にやってみれば?」

このブログだって、結局6/15まではゲイってことを秘密にして、自分を書き連ねるブログだったんだよ。「小笠原毅」だって本名じゃないし。だからそういうブログをやっても、またふりだしに戻るだけで、いずれ僕はきっと爆発したくなるんだと思う。精神的危機に陥ると思う。

■想像上の僕:「なあ、もしかしてこれが”正直になりたすぎて不器用”ってやつなんじゃないか?」

そうなのかもね。でもなんか自分としてはマッチしない言葉だけど、一番わかりやすい言葉を選べっていうなら、それになるかもしんない。

■想像上のゲイ:「でもねえアンタ、ゲイもそりゃそうだけど、ノンケだってそんなに正直に生きていられてる人なんて、いないわよ〜?日本人なら特にね。でも外国人だってどうかしらね?正直に生きてる人なんてほんと人口の数%いるかいないかってところじゃないかしら。だって、生き延びるために本当に必要なものなんてめったにないもの。好きなものやほしいものは次から次へとそりゃあるわよ??でも必要なものは、ねえ。」

■想像上のノンケ:「おまえなあ、一個ふつーの発想が抜け落ちてんだよ。散々書いてるくせに。普通の野郎からしたら、ホモなんておっかなくってしょうがねーっつうの。その好きな奴に一体何言われたのかは知らないけど、あんま舞い上がってっと痛い目見っぞ。」

引きこもり自分自身自虐駄文

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<あんたが「長い髪が好きだ」って言ったから、あんたのために伸ばしたこの髪の毛に絡まって、あんたの目の前でもがき苦しんで死にたい>

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鉛筆で絵を描いたので、アップ。

<あんたが「長い髪が好きだ」って言ったから、あんたのために伸ばしたこの髪の毛に絡まって、あんたの目の前でもがき苦しんで死にたい>

鉛筆絵をアップするのはこれで3回目。

ノープラン。行き当たりばったり。計画などなし。描いては消して、描いては消して、ふう、やっぱ何も描けないなー、と思いながら鉛筆をシャーコ、シャーコと動かしてた。

そしたら、「そうだ、髪の毛描こうっと」という気分になり、ルーズリーフの真ん中に髪の毛ようなものを描き始める。昔から髪の毛描くのは好きだった。髪の毛だけ描いてたような気がする。

でも髪の毛だけ描いててもらちがあかなくて、でもいつのまにか髪の毛をそれなりに描いてしまったので、さてどうしよう、となった。こっからどうにかするには、んー。

どうしようか悩みながら、手足を生やしてみた。髪の中ほどから腕を伸ばしたり脚を伸ばしたりするので、ちょっと失敗できない。だって、失敗したら消さなきゃだから、髪の毛も消してしまうことになる。髪の毛消したら、消した部分の髪の毛を再度描き直してうまく繋ぐことはほぼ無理だから、またイチから描き直すはめになる。本当は、手足を描いてから髪の毛をその上から描くべきだったね。でもノープランだから。行き当たりばったりだから。しょうがない。トホホ。

そんなこんなで出来あがった一枚。微妙。

別に、描きたいイメージなんてないもんなー。なんとなく何か描こうかなって思っただけで。なんのひねりもない、手抜きの絵って訳だ。

でもあんまりリキいれると、一枚描くのだけでグッタリしちゃうしね。創作するための体力、芸術するための体力、”芸術体力”があんましないんだ。「体力もだよ、才能は」。

いずれにせよ、自分の描いた絵に見事なほどガッカリする。自己嫌悪に陥るための創作。それでもこうしてアップする。誰か”それっぽさ”に騙されて、上手いって思ってくれるかもね、ってさ。でも自分でだめなのわかってんだから、それで人に誉められて一体何が嬉しいの?

想像上の誰か:「タイトルは?」

ああ、そうか。タイトルつけなきゃなのか、絵は。うーん、そうだねえ。じゃあ、

<あんたが「長い髪が好きだ」って言ったから、あんたのために伸ばしたこの髪の毛に絡まって、あんたの目の前でもがき苦しんで死にたい>

で、どうでしょう。絵のタイトルにしちゃ長いかね。でも後付けなんだからしょうがないだろ。





本日、ブログ村のランキング、FC2のニートランキングから降りました。

引きこもりエッセイ自分自身アート創作

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僕における男性への愛のありようを演劇的イメージで書くならこう

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僕は、その男性と雑踏の中を歩いている。新宿ぐらいの雑踏がいいだろうか。

僕は、彼に声をかける。「ねえ」

彼は振り向く。「ん?」

瞬間、僕はナイフで自分の喉をかききる。同時に、彼の体に倒れ込むようにして彼の肩を手で掴む。

僕、絶叫する。

「忘れないで。あんたの記憶に、留めさせて、覚えられ続けさせて。お願い、死んでも忘れないで。絶対に残りたいの、あんたの記憶に残りたいの。」

僕の指の爪が、彼の肩の肉に食い込んでいく。血がどばどば出る、彼も返り血を浴びている、あたり一面、血の海。

「お願い、この僕の血も、あんたが浴びたこの返り血の感じも、絶対覚えつづけていて。どこにいても誰といても何をしていてもずっと忘れないで。一瞬も忘れないで。この僕の最後の姿をずっと脳裏に焼き付けておいて。それで僕を思い出してオナニーして。お願い。お願いだから。」

彼、恐ろしさのあまりに発狂しそうになっているが、僕は絶叫を続ける。

指は彼の肩に食い込んで、絶対離れない。

僕、絶命。彼、呆然としている。


僕が男性を愛していだくイメージは、こんな感じが強いです。ちょっと重いかな、という気がする。でも僕はこういう感じを本当は表に出したいんだけど、日々それを抑圧しながら暮らしています。


もしも私に勇気があれば ここで貴方を殺したかった
あの娘にあげる心はあげる せめて私に命をほしい

(それ以上言わないで/中島みゆき)

あー

引きこもり自分自身エッセイMasque

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小笠原毅個人の同性愛起源考察・精神分析

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15:31 09/06/28

お知らせ。危惧していた通り、パソコンの調子がおかしいです。まだわからないですが、今後パソコンがきちんと起動しなくなる可能性は凄く高いです。つまり、現在連絡取ってる方とは、スムーズに連絡できなくなると思います。何か用がある方は早急に連絡してほしいのですが、だからといってスムーズに返事できるかどうかというと、その保証はできないです。パソコンの不調と、僕の精神的な事の掛け合わせによって。

15:34 09/06/28

フロイトのエディプス・コンプレックスは、セクシュアル・マイノリティ畑においては非常に評判が悪い。まあそれだけじゃなくとも、普通の人でもどこか「フロイト(笑)」という空気はあるんだけれど。

僕としては、エディプス・コンプレックスの概念は、なんとなく直感的に自分にあってるような気がしている。だからといって「父を殺して母とSEXしたかったです」とそういう即物的な実感があるとかそういうんじゃない。

ただ、エディプス・コンプレックスの解消、つまり「父を殺して母とSEXすることを諦める」で終わらせるのでは、僕としてはちょっと物足りない。僕の場合、エディプス・コンプレックスの解消を試みた時、そこから更に新たな<万能感の再獲得の試み>と新たな<○○・コンプレックスの葛藤>を取りこんでしまったのではないか、と考えている。いや、考え始めた。なお、「○○」がなにかっていうのは、別にまだ今これ書いてる最中はわからないので、今後書きながら決まるかもね、というところ。

なお、この文章においてエディプス・コンプレックスについてはいわゆる「精神分析雑学」程度のものとして扱い、読む人もすでにその程度では知っているものとして書き進める。エディプス・コンプレックスを知らない人は、里中満知子の「悲劇の王オイディプス」を読めばいいんじゃないかな、とりあえずは。僕もフロイトの著作読んだ訳じゃないし、エディプス・コンプレックスちゃんと知ってる訳じゃないし誤解も間違いもあるだろうし、僕が今から書く事ももうすでにとっくに議論され尽くしたことかもしれないし。という前提。「おらバカだけどエディプスコンプレックスについて書くどー!」という程度、ということ。

以下、相当駄文。万が一まかり間違って「なんて文章を書きやがる……」などと思ってくださるかた(いないだろ)、それは錯覚です。すべては後出しジャンケンにすぎない。僕は後出しでも負けちゃうんだけど。



僕は多分、エディプス・コンプレックスを他の人と同じく、通常通りに通過したと思う。なんでかというと、4歳か5歳以下の記憶がないから。

もっとも最古の記憶は、母に連れられて幼稚園の入園申し込みに行った時の記憶。いや、実際にはそれが幼稚園入園申し込みなのかはわからない。ただ状況から考えても、多分そうだったんだろう、というぐらい。

なぜこの記憶が僕の中で最古のものとして強く残っているか?それは、「母と二人きりで何だか知らないところに連れていかれ、外で僕一人待たされ、母は建物の中で何かしてきたらしい」という状況がゆえじゃないかと思う。母が建物の中で一体どんな秘密をなしてきたのかは知らないが、その秘密をなしてきたことそれ自体は僕は母と秘密を共有したといえる。ここに父はいない。父を疎外した上での母との秘密。そういう部分があるんじゃないかと思う。エディプス・コンプレックスによる父への怨みから、いや、忘れ去ったそれまでの記憶が圧縮され抑圧となり怨みと変わり果てた結果、この記憶がもっとも最古の鮮烈な記憶として残されてるんじゃないかと思う。

(自分でもヤヤコシイ。でもかきたいので、とにかく思いついた通り書いていく)

僕が母を取り返すには、父を殺すには、一体どうすればよいだろうか?それを実行しようとすれば僕は去勢されてしまう。去勢されずに、僕自身の望みを貫き通すには?

僕は、自分で自ら去勢をしたのではないか。「こんなもんがあるからいけないんだ。こんなもん、捨て去ってしまえ」。僕は自らペニスを切り取った。

女であればいい。女であれば、母を独り占めし、父を殺す事ができる。

僕は幼稚園の頃、こう言ったらしい。「大人になったら、パン屋さんになるの。それでおかあさんには甘くておいしいパンを作ってあげる。おとうさんにはビールの味の苦いパンを食べさせてやる」。これが笑い話としてなっていた。ところで母は今は抑えているようだが、欲求が噴出すると菓子パン中毒になる。僕が大昔に語った夢、そうなるはずだった僕の姿を、母は菓子パン中毒になることで取り返しているのではないかと思う。

何歳ぐらいの頃かは知らないが、父は僕に対して以下のような心配をしていたらしい。「毅はオカマになってしまうんじゃないだろうか」。そのことに対して母は「そんな人間になる訳ないでしょう、そんな心配は不要」と言っていたらしい。

僕は幼少期、近所の2歳上の女の子二人と遊んでいた。というか、遊べる相手がその二人しかいなかったっていうのもあるし、その二人に可愛がられていたっていうのもあると思うけれど。だから遊ぶことは女の子の遊びばかりだった。それが自分にはよくあっていた。

リカちゃん人形も欲しかったように思うし、小学生になったらやはり女の子のおもちゃが好きだった。編み物が出来るおもちゃが欲しかったのは祖母の影響もあるだろうけれど。でもあのおもちゃ、ぐるぐる回しても、すぐに糸がひっかかっちまう。あと、ケーキを作るおもちゃがあった。スイーツデコ&フェイクスイーツの起源的おもちゃ。そう、昔からそういうおもちゃや手芸は存在してたのさ。

母を取り返す。父を殺す。文字通りではあるが二つの意味で<『女を取り返す』>。自らの去勢スタイル、完成。

父「オカマになってしまうんじゃないだろうか」「男なんだから!!」「そんなんで将来結婚したとき奥さんをどう守るんだ!!」
友達「オカマー!オカマー!」「キンタマついてねーの!?」

僕は母を取り返すための策として、去勢した。しかし、今度は<自ら去勢した手術跡>を責められ始めることになった。

去勢されるのが怖い

ならばいっそ取ってしまえ

「何取ってんだよ!!ちゃんと元の位置にくっつけとけ!!そしてそれがあるがための義務を遂行しろ!!」

去勢してもしなくても訪れる恐怖

僕がどこか自虐的だったり(中学の時の担任の言葉を借りるなら)「いいよいいよ、僕はここにいるから、みんな先に行って、僕はみんなが行ったの見てから行くから」という部分が強かったりするのは、「それなら自ら去勢してしまえ」という心性に幼子のうちに至ってしまった事から来るのではないかと思う。その選択を、あまりにも小さいうちに取ってしまったのではないか、と。

(あまりにも中二病風の屁理屈的すぎるだろうか。でも、精神分析ってこんなもんじゃないの。)



もし、僕がその時に「去勢なんかするものか!!」という選択をしていたなら、ヘテロか、倒錯的なSEXを繰り返すゲイになっていたのではないかと思う。(僕はセクシャアリティってのはある程度生まれた時点でプリセットされてるものだろうとは思ってるけど、成長して以後のそれらはほとんどは学習によるものとフェティシズムの傾向が強いのではないかと思う。ほとんどの人に「好きなタイプ」があるのもそうだろうと思うし)



エディプス・コンプレックスを通過しながらも、再度新たな<万能感の再獲得の試み>をしようとしたんじゃないかと思う根拠に、幼少期からずっと自慰をしつづけてきた事を僕は自ら提示する。これこそが<万能感の再獲得の試み>のあらわれじゃないか、と。もっと単純にいうと「僕はそれを我慢できなかった、父から止められても我慢できなかった」ということでもあるのか。そして、僕が自慰を続けることが出来たと言うのは、父も母もそのことを咎めなかったという事でもあろう。つまり、<禁じられたはずの自慰>、<忘れ去ったはずの自慰>を、僕は早々と取り返し、取り返し続けられたのである。その事が、僕の中で<自分自身で自分自身に行う去勢の成功>となり得たんじゃないか、と(ああ、ややこしい。自分でもまったく訳がわからなくなってきた。まったくすっきりしない説明だ)。

(=『自分の中だけで自己満足でオナニーを展開することができるなら、もうそれでいい』≒諦念、挫折、ひきこもり、回避人格性障害、アスペルガー症候群、終わらない中二病、精神病、etc……)



しかし、なぜ僕は自ら去勢するなどという方法を、思考回路を得られたのか?普通なら単純に諦めるか、守りとおそうとするのではないか。

ここに、母から与えられたキリスト教の観念、概念、空気、風潮が大きく絡んでいるような気がする。自ら、自らの部分を切り落とすという選択。そういう選択を取れるための思考回路生成成分があるとするなら、僕はそこしか考えられない。生まれる前から決定されていたキリスト教、自己犠牲の倫理。



想像上の誰か:「チョット待ってください、これって小笠原さんが5歳ぐらいまでの事を書かれてるんですよね?子どもがそんなややこしいことわかる訳ないんじゃないんですか?」

なんだよその「ガキンチョは動物なんだから」みたいな言い方は(あるいは「子どもは純粋無垢な魂」とかいう方向かしら)。でも、動物的であるがゆえに、直感的に感覚的にすり込みをどんどんしていってしまうことは、想像できるでしょ。言語化されないから、それはあくまで抽象的な心的イメージにしかならない。言葉で説明できないだけで、動物的ガキンチョの中には(大人の言葉の世界からすれば)恐ろしく複雑でややこしい混沌としたものが渦巻いているように思うけれど。



もちろん、「母を殺し、父とSEXする」という、エディプス・コンプレックスの逆を捩じりをかけ合わせて経験した可能性も高い。だが、僕の肉体は”男”である以上、そちらは僕でもあまりにも想像が及ばない。考えられない。本当はそこにこそ何かありそうな気もしてるんだけど……。



想像上のヘテロ:「えー。でも俺も幼少期からずっとオナニーしてるけどなあー。やっぱ最初はうつぶせオナニーでね。小5ぐらいの時から普通のやり方になったんだけどさ」

みんなそう言うね、小5、小6、中学でオナニーを教えてもらって覚えたとか、勉強してたら下半身がムズムズしてきていじってたら膿が出てきたと思った、とか。でもそうじゃなくてもう記憶のはじまりの頃から自慰をしていた人の話ってあんまりきかないんだよねえ。案外当事者は「普通じゃないのかもしれない、幼児期からオナニーしてたことは隠しておこう」って思ってたりするのかも。だとすると、それってどこか根源的な罪悪感にも繋がるように思うんだけど。さらにいうと、エディプスコンプレックスを通過しながらも、結局再度自慰行為を獲得した人は、その後みんな性的倒錯に陥ってる人ばかりなんじゃないかな、と思う。

想像上の誰か:「じゃあ、ゲイやバイやビアンや無性愛や非性愛、その他のセクマイも、倒錯って言う事になっちゃいません?」

そういうことになるね。僕の理屈からいうとね。

想像上のセクマイ解放活動家:「ちょっと!!あんた何いってんですか!!セクシュアリティは生まれつき変わらないものだろうが!!それが常識でしょう!?何いってるんだ!!セクマイを追い詰めるだけだぞ!!せっかくみんなで一つになってやってるっていうのに、あんたみたいのがいるとぶち壊しになってしまう!!」

しょうがないだろう、僕にとってはいま上にかいたような事のほうがリアリティがあるんだから。むしろセクマイっていうだけで「当事者同士なんだからわかりあえずはず」って言う事の方が物凄く暴力的に感じる。結局新たなマジョリティを作り出してるだけじゃんか。「ハートをつなごう」を見てるとフルボッコされた気分になる。だから僕もボコボコにしてやんよ、っていう気分にもなるんだが、っていうのウソ。いやホント。どっちでしょうね。

想像上の2ちゃんねらー:「おまww見えない敵と戦いすぎだおwww」

サーセンww でも見えないモノを30年ものあいだ信じさせられ続けてきたからね、習性はいまだ僕の内側にべっとりとしつこくこびりついてる感じ。



いや、でも考えてみると、母のキリスト教に取り込まれたのは、エディプス的欲望においては最高の環境でもあったわけだ。父を阻害し、母とだけ混沌のスープの中にいられる。「信じてさえいればいい」というメッセージは、自分が自分に施した去勢の跡をやさしく撫でてくれる。そういう機能があった。

しかしそれも結局間違いだったのだ。言わないから、誰もそんなこと思いもしなかったから、まるで撫ぜられてるような混沌の中にいられただけに過ぎない。



まとまらなさすぎ。

引きこもり自分自身精神分析駄文フロイトラカン

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「美しければそれでいい」/石川智晶

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最近、二ヶ月前ぐらいから僕は、不登校やひきこもりクローズド、そういった事で苦悩してる人(ま、自分もそうだけど)、そういった姿、ありようが「もう、それだけで美しいんじゃないか、それだけでもう超OKじゃないか。ちょっと儚すぎる花たちではあるけれど。不本意でしおれさせられてる花たちではあるけれど。」とか思ってる。なんて無責任な思い方、ってところだけど。あるいは現実逃避かもね。

ひきこもりが泣く時 −生き難さが織り成すモザイク− (2009/05/17)
登校拒否経験者オフ会 in 池袋 から帰ってきた (2009/05/17)

で、先日、それとは関係なしに久々に石川智晶の「美しければそれでいい」の動画を見た。

見ながら、聴きながら……あれ、っと思った。

もしかして、僕のその「不登校やひきこもりクローズド、青年たちのその惑いの姿が美しい、それで超OK」って思った感性、その言語化は、この歌によってなされちゃったのかな、という気がしてきた。(まあ、こういうのは後だしジャンケンな分析なんですけれども。科学の限界、とかいってみる)

ちなみにこの歌をしったキッカケは、二年前ぐらいかな、mixiでマイミクだった男の子が、「ローゼンメイデンっていうアニメの蒼星石っていうキャラに萌えてる」っていうのを教えてもらって、そっからなんかいろいろつながって、この歌を知ることになったのだった。蒼星石は、ショートボブ?みたいな感じのヘアスタイルで、目の色がそれぞれ違ってて、スカートはいてなくて、帽子かぶってて、でっかいハサミを持ってるキャラクター。

蒼星石 - Google 画像検索

「美しければそれでいい」は、スリリングで壮大で優雅で耽美で、いい歌だなーと思う。歌声もアレンジもいいんだけど、特にいいのはサビでキャッチーにわざとらしく盛り上がるのじゃなく、基本的に抑えたようなメロディーなのが、淡々とした感じと情念の感じとでいい感じにまざってて、すごくいい。アニメの主題歌ってだけでバカにされるなんて有り得ない(この辺、”ゲイvsノンケ”とかと同じ構造かなあ。ってことは、やっぱノンケの人もゲイに対してその程度の認識でいてくれてんのかなあ。)



ちなみにこれ系の曲で他をあげるなら、これも好き。「くちづけは永遠に終わらない」/辛島美登里。ちょっと「魂のルフラン」っぽくもある。こういうジャンルは何ていうんだろう?





「美しければそれでいい」はこれまで職人が作ったようなMADとかしか知らなかった。なので、本当のPVを見たのは今こうして記事に貼ってみてからが初めて。いまはじめてPV見た。これ、素材がビアン仕立てじゃないか。

なんなんだ。結局僕はそういうものを嗅ぎ付けるのか。何なんだ、一体。食指の精度、高いのか、僕は。自分の食指の確かさに自信持つべきなのか。

それとも……。

引きこもり音楽動画Youtube自分自身エッセイ日記

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僕、小笠原毅は同性愛者なんです Part5

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僕、小笠原毅は同性愛者なんです (2009/06/16)
僕、小笠原毅は同性愛者なんです Part2 (2009/06/17)
僕、小笠原毅は同性愛者なんです Part3 (2009/06/18)
僕、小笠原毅は同性愛者なんです Part4 (2009/06/18)



12:09 2009/06/27

いつごろだろう。高校生とか、そんぐらいかな。母が言った。

「まだたけが小さい頃さあ、おとう(父)がたけを見て『この子は将来オカマになってしまうんじゃないんだろうか』って、深刻に心配してたのよ〜。だからあたしは『やだね、そんなことある訳ないでしょう』って言ってやったのよ。ある訳ないじゃない、ねえ?」

僕はどんな表情したのだったろうか。

それとも、あのセリフは母なりに何か気づいていて、僕にかまをかけたのだろうか。

僕は、小さい頃から父にそんな否定での想定のまなざしを注がれ続けたということか。そして母からは想定など一切なされないというまなざしを注がれ続けたということか。

「こうなっちゃうんじゃないか、なってもらっちゃ困る」と「そんな人間になる予定は一切ないから配慮しなくて大丈夫」のあいだに置かれた幼い子供

僕があたまの中でどこか、「セクシャリティがすべてがすべて本能から来る生まれつきのものだとは思えない」(、「異性愛は生まれつき自然ですよね、だから同性愛も自然なんです」という言説に抵抗がある)のは、そういう部分もある。

父に、母に対して精神分析的な心理的な抵抗を続けていった結果、僕の趣味嗜好や性愛は形成されていった部分も大きいのではないか。先天性とおぼしきセクシュアリティ=同性愛自体はさほど大きいものではなく(小6までは女の子で勃起することも可能だった)、男性への性的欲求のほとんどは、単なるフェティシズムなのではないか。僕はそこさえ満たされたら、多分好きな男性と一緒にいるだけでいい、という境地(?)へ達するように思う。

12:16 2009/06/27

LGBTの解放運動をしてる人たちはすごいと思うけれど、単にあれは機能不全家族に育ったことを自覚していないACのトラウマがそうさせてるだけなんじゃないか、という気もする。多分、ああいう運動をしながらも、実は一番の問題は自分の親・家族に繋がっていることを自覚しているLGBTは、多分いる。

12:36 2009/06/27

お風呂あがり、シャワーあがり、あるいは何かしら服を脱いだままの途中で、父に「おっ、お風呂はいったんか」といわれながら、背中のあたりに手のひらをポシャッと置かれる。

この嫌悪感、わかるだろうか。父に身体を触られる果て無き嫌悪感。何か汚れるような嫌悪感。強迫神経症的な感覚でもあるだろうけれど、それだけじゃなく。「ちょっと!許可もなく勝手にさわんないで!!」といいたくなるような、その感覚。

シャワーをしたい、けれども、その作業の途中で父とすれ違いたくないという恐怖。

僕は10代のうちに、脱衣所に鍵を取り付けた。この鍵を使用するのは、僕だけである。

13:08 09/06/27

昔付き合ってた彼との話。

僕「ねえ、なんで僕の身体がいい訳?こんな身体が好きな訳?」

元彼「んー?(僕のふとももをパンパン叩いたりつかんだりしながら)かわいいじゃん、こう、むくむくしてんのが。むっちむちなのが。」

僕「僕は痩せたいの。僕はコンプレックス。」

元彼「なんでぇー。これでいいじゃん。痩せちゃだめ。もっと太って」

僕「えー絶対やだ!」

この人はどうしてそんな事言うんだろう、と思った。こいつに好かれてる僕の身体、でも僕は嫌いな僕の身体。でもその身体をダイエットでもして変えてしまったら、こいつは僕を好きじゃなくなる。そう思った。

でも僕は、10代からずっと抱えていた包茎コンプレックスについては、もはやすっかりなくなった。コンプレックスがなくなったのは、今まで付き合ってきた彼氏全員が、僕が包茎であることを気にしなかったこと、小さいペニスであることを全然何も指摘しなかったこと、むしろ包茎で小さい方が可愛いと言われた経験が、ほとんどだから。

体型の方はそれで好かれても自分では嫌い。ペニスについては「これでいいんだ」と思えた。その差は、ペニスは結局普段は隠れてるから、かな。

13:16 09/06/27

小さい頃、父にたびたび包茎手術についてきかされた。

「男はね、大人になってもちんちんの皮が剥けてない場合は、手術で皮を切るんだよ。たけも大きくなってもしそうだったら、手術するんだぞ」

恐ろしかった。

陰毛が生えてきたあたりから、僕は父の前でも母の前でも下着をつけてない真っ裸を晒すこと、性器を晒すことをしなくなってきた。いつのまにか僕は、脱衣所にはホームセンターで買ってきた鍵を取りつけていた。多分、この包茎手術への恐怖があったんだと思う。「見られたら手術を受けにいかされてしまう!」

ちなみに、包茎を矯正するためのなんか塗る糊みたいのとか、ゴム製のリングみたいの、ありますね。あれ、ちっとも効きません。みなさん、広告にだまされないように。

チンチン・ペニス・包茎とひきこもりのおはなし (2009/03/18)

13:19 09/06/27

僕の中に、どこか露出魔的願望があるのは、包茎手術への恐怖に絡んでる部分もあるのかな……。だとしたら、実際の露出狂も、実はエディプス・コンプレックスでいまだにひっかかってる結果だったりしないのかな。でももっと単純なものかな。女の子が驚くその様を見たい、っていうだけか?

13:20 09/06/27

小学校三年生ぐらいの時、クラスメイトの女子が公園で露出狂に性器を見せられたことを教えてくれた。

「友達はきゃーっていって逃げたんだけど、私はなんか面白くてずーっと見ちゃった。なんかきらきら光ってた」

その話をきいて、僕も露出狂に出くわしたい、大人のちんちんを思いきり見たいと思った。

ちなみにその女子は、クリスチャンだったのだけど、すごいサバサバしてて面白い子だった。給食の準備、みんなの配膳がほぼがすんで、同じ班だったのでみんなで机をくっつけて「さあ、あとはいただきますを言うだけ」という状態のとき、ふとその女子の方をみたら、ハナクソをほじっていた。目があって、思わず二人で噴出した。その後昼休み、バッタリとあって思わず僕が笑ってしまうと、その子も笑ったけど、すぐさま「なんだこのはなくそ野郎!」と言い返してきた。ギョッとしたけど、面白いなあと思った。

13:25 09/06/27

僕は物心ついた時には、すでに自慰行為をしていた。いわゆる「うつぶせオナニー」とかいう奴。

幼稚園から帰ってくると、母親に(多分、1時ぐらいから4時ぐらいまで?)一緒に昼寝をさせられた。僕はそんな時間に眠いはずもないのだが、習慣になってたので一緒に寝なければならない。しかし眠れない。

でも、布団にうつぶせになって、おちんちんのところに手をもっていて、こう「コマネチ」みたいな状態になるかんじで手を置き、布団にこすりつけながらその辺を刺激すると、すごく気持ちいい状態がずっと長く続いて、しかもなんとなく一番気持ちいい瞬間が訪れても、そのあともなんだか身体がジンジンしてた。それでようやくぐったりして、心地よく眠れる。

小さい頃から16歳ぐらいまでずっとうつぶせオナニーはしていたので、多分親に止められたことはなかったんだと思う。通常、親から「いじっちゃだめ!」とか言われるらしいんだけど、どうやら僕は放ったらかされたみたい。それがオナニーだと知らなかった訳もあるまいに。

うつぶせオナニーしている写真も残ってる。

どうみても激ショタです、ありがとうございました。

親はこれをそうだと思って面白がって撮影したのだろうか?それとも?どんな”親心”で撮影したのだろうか。

小さい頃にうつぶせオナニーをやめなくてもよかった子の場合のエディプスコンプレックスはどうなってるのか、気になる。それとも僕の場合、包茎手術への恐怖がそれとして機能していたのかな。

13:38 09/06/27

想像上の誰か:「どうしてこんなに性癖とか性体験を洗いざらい書くんですか?こういうのって、人に言うべきことじゃないと思うんですけど……」

やっぱり根底には、罪悪感があるんだと思う。

いまから書くことは本当はとてもデリケートな話だから僕のことなんかと一緒にしちゃいけないんだけど、でもわかりやすいので書く。よく訊く話で、子どもを中絶した経験がある女性は、その後付き合う男性に罪悪感を覚える、後ろめたさを覚える、っていう話がありますよね。「そんなことをした女だって彼に知れたら……」みたいに。大体おおむねそれと似たような感じかと思います。

想像上の誰か:「でも、やっぱ普通はこういう事言わないし書かないですよ……。そういう性体験ができれば、それで満足、別にあけっぴろげに書くことじゃないんじゃないんですか?」

それは、ヘテロの性愛を享受できてるからでしょう。「フェティシズムは性愛における二次的な密かで淫靡な楽しみ」と至って割りきれるのは、もともと根本にある性愛に疑問や後ろめたさや不安を覚えてないからですよ。

想像上の誰か:「はあ??ノーマルな人間に悩みがないとでもいう訳??ホモのクソニートにそんなこといわれたくないなあ」

そうじゃなくて……。

13:48 09/06/27

僕の徹底的な罪悪感。

ストーカー。

したことあるんだ。

まだ「ストーカー」っていう言葉が知られる少し前。規正法が出来る前。社会問題化する前。15年前。僕、15歳でストーカーでした。

ひどかったよ。本当にもう。あんなことしなければ、今もまだずっといい友達関係だったはずなのに。最悪だ。一生悔やまれる。被害者の男の子も恐ろしかったに違いない。あの状態は人格障害を言い渡されても、何一つ文句言えなかった気がする。

でも僕の中にはいまだストーカー体質があって、それを抑えようとするので必死。

「ストーカーは相手の事なんか考えてない、自分が悪いだなんて一切考えてない」とかいうけど、大嘘。やってしまうたびに、これ以上ないほどの罪悪感を抱えてる。もう二度とやるまいと悶えてる。自分のバカさ加減に泣く。それでもまたやってしまう。信じられない。なんでこんなことしてるんだろう??でもやらずにはおれない。自罰パラノイア?違う気がする。あえていうなら「満たされなさからくるアディクション」。

想像上の誰か:「ストーカーって、主に何やったんですか?」

さすがに書けない。それでも一つだけ言うなら、自転車でその人の家の周囲をぐるぐる回り続けてたら、近所の人が不審者がいると思ったらしく、懐中電灯で僕の顔を照らして「ちょっと!あんたさっきから何やってるの!なんなの!?名前を言いなさい!名前を!」といわれたことがあって、猛スピードで逃げたことはある。でもそれがきっかけで、その人へのストーカー行為は少しおさまったんだっけな?

こうしてブログでストーカー行為を自白して、後悔と反省を覚えてることを書く人なんて、いるんだろうか。

ある意味じゃ、こういうブログ更新頻度も、そういうストーカー気質に関係してるかもね。それとも気質が先だっていて、ストーカーっていうのは結果=状態像なのかな。

ひきこもりになるかストーカーになるか。どっちかだったりして。ああ、いやだ。どっちも。

14:07 2009/06/27

ああ、わかったぞ。僕がこんだけ洗いざらい書いてしまうのは、やっぱどこかに懺悔の概念があるからなんだろう。

結局キリスト教がまだ体内にベットリとこびりついてるんだよ、僕は

でも、その罪悪感はキリスト教とか父の身勝手な立法とか、現実の父とキリストの父性的権威によって作られたんじゃないの……。なんか理不尽。

14:38 2009/06/27

終わらない思春期。絶望の思春期。終わらない懺悔。絶望の懺悔。

15:50 09/06/27

男性の前でフライドチキンとかピザとか食べるの恥ずかしい。いかにも「肉にがっつく男」とか「腹減った!ガッツリしたもん食いてえ!」みたいなノリの感じで、恥ずかしい。でも、別に相手の男性は気にしてない事も知っている。むしろそういうポーズを取る方が相手に変に思わせてしまうことを知っている。でもできない。ま、結局食べるけどね……。

それと、僕は女性がモリモリ食べるのが全然気にならない。むしろ「あれ、もしかして食べるのセーブしてるのかな」と思うと、「食え食え、どんどん食え、ダイエットなんか気にすんな」とか思ってしまう。

そういう女性はみんな、夏目祭子の「ダイエットやめたらヤセちゃった」を読めばいい。ちょっとボリュームのある本だし、いかにも「スイーツ(笑)」「ほっこり(笑)」「スピリチュアル(笑)」な雰囲気の本なんだけど、「過食を超OKと認めてしまうこと、まずはそこから」という内容は僕も(今となっては)頷ける。ダイエット業界の煽りが女性の心身をぶっ壊してる。

想像上の女性:「そんな、食べたいだけ食べろだなんて……太っちゃったら、男の人に嫌われるじゃないですか。それとも小笠原さん、太った私を愛してくれますか?」

ごめんなさい、女性に恋愛感情、性愛欲求は抱けない。気づく事さえもできない。

で、ああ、そうだよなぁ、やっぱそこなんだよなあ。痩せたい願望って、そこだよね。そんで、「細いね!素敵だね!」って、言われたいよね……。結局僕も、ピザ脳。

16:13 09/06/27

パパラギを以前批判的にレビューしたのだけど、そこで書けなかったことが一つあるので、この際書く。

パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (2009/05/22)

ちょっとうろ覚えなので僕の中でのバイアスがかかってる部分もあろうが、ツイアビがパパラギを批判する時に、「彼らはわざわざむしろを着込んでいるので、本当の幸せを知らない。」等々言う場面があって。それでその話の中で「パパラギは美しい少女の裸を見ることもできないのだ」などと書いていた。

僕はこの部分で「アレッ?」と引っかかった。この部分に何か父権的なもの、男性理論的なものを一気に感じとってしまった。「え、まるで美しい原生的な自然を見てるように書いてるけど、結局そこなの??」と。「可愛らしくそして美しく、しなやかではつらつとした少年少女、子どもたちのからだを見ることもできないのだ」ではだめなのか、と。

その後、聖書の話が出てきたので、「ああ、そうか、やっぱりね」と僕は感覚的に半分納得してしまうのだが。

16:26 09/06/27

ブロークバックマウンテン(略してBBM)について、トンデモ持論を色々書きたいなー。

たとえばアギーレも実はゲイだったんじゃないか、だからあんな仕事してるんじゃないかとか。
コヨーテに食われた羊のイメージが喚起するイニスの中のトラウマとか。
イニスが娘の彼氏のことをよく覚えていたことについてとか。
トラウマを語るイニスの耳をジャックが触れることの伏線らしきものとか。

BBMって映画評的には「純愛映画」か「気色の悪いホモ映画」、あるいは「こんなゲイ映画撮られちゃノンケに誤解される!」っていうものしかないっぽい。この映画で見出すべきことは、それのいずれでもないと思うんだけど。

僕の中での持論はシンプル。「ヘテロの男性はBBMが好きだとは言いづらい部分がある」ってこと。それってどうなの、ってこと。

なんでそれが見出すべきことかって?BBMが好きだってヘテロの人が言ってみても、「へ?BBM好きとかいって、おまえあんな映画好きなのか!?おまえ、もしかしてコッチか?(笑)」って突っ込む人がいるからさ。

16:33 09/06/27

昨日かおとといか、明石家さんまの「さんま御殿」をちらっとだけ見た。

何て言ったか忘れたけど、さんまがゲイだかなんだかについてちょっとだけ語っているのを聞いて、「ちがわいアホンダラ!!」と思った。でもみんなそのさんまの解説にうんうん頷いてた。

ついでにその放送じゃないけど、「人間は年取ると忘れるよう、神様がそうして創ってくれたんやー」って語ってるのも聞いて、はっ倒したくなった事もあった。

これか。こいつか。僕の敵は。そうなのか。さんまか。

商売道具の出っ歯をへし折ってやる!ゲイパンチ!ホモキック!オカマバックドロップ!男色ラリアット!うー!やー!たー!

20:18 2009/06/27

いただいた質問に回答する。

■とある人からの質問1「小笠原さんが女性に襲われたらどう思いますか?」

うーん……すごい書くのためらわれるんだけど、やっぱり正直に書いてしまいますと、この質問を読んで真っ先に思いついた対応は、「本気で殴る」でした。僕は自分の中にそういう男性的暴力の部分はないと思ってたのでちょっとびっくりしたのだけど、でもどうやらとっさの判断はやっぱりそうなってしまうみたい。

ただ、これは防犯という意識や倫理的な観念よりも、「自分の身体が汚される」という思いの方が先立ってるような気がします。それにこの質問で想定してるのは、杉本彩みたいな女性なので。

そうじゃなくて、(絶対ありえないと思うけど)もしも「毅くん!すきなの!だめ?どうしても男の人じゃないとだめなの??私じゃだめなの??」というかんじで抱き疲れたとしたら、それなりにフォローせないかんのかな、とは思います。でもどうしたらいいのか、まったく見当がつかない。でも天地がひっくりかえってもそういうことはないだろうと思うので、杞憂かな。

■とある人からの質問2「完全に女性は性的な対象には入ってこないんでしょうか。」

ないですね。

「男性の不可抗力の生理現象」として、勃起してはいけない場面&決してエロくもなんともない場面なのになぜか勃起してしまうことってあると思うんだけれど、僕はそういう事があった時には「叶姉妹がドロドロのセックスをしてる場面」を想像するようにして、萎えさせます。

引きこもり自分自身キリスト教精神分析フロイトラカン

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「イニスデルマー・コンプレックス」 アイディアメモ

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12:17 2009/06/27

幼少期における「子供と同性愛のなりたちについて」の精神分析のようなもの。

エディプス・コンプレックスの稚拙な猿真似。ここでは小さい頃に女の子シュミな男の子だったゲイに限定。

フロイトの単なるドスケベ悪趣味妄想同様、自分の感覚を普遍化するような言い方を取らせてもらう。



まず、小さい子供は性的な興奮を知る前に、男の子になりたがったり女の子になりたがったりする。どこでそういう選択に入るかというと、主に遊びや<親の仕事&役割の分担の観察>を通じて。あっちの遊びの方が面白い、こっちの遊びの方が面白い、お母さんのありようの方がいい、お父さんのありようの方がいい。そうして男の子シュミや女の子シュミの区別をだんだん覚える。

すると、中には「女の子の遊びの方がすき」と(頭の中で言語でそう考える訳じゃないが)思う男の子が出てくる。そこで、女の子と遊んだり、女の子的なふるまいを覚えていったり、”男の子らしさ”を取り入れなかったりする。

ここで、親が入り込む。親から子に伝わるメッセージはこう。

「こら、お前は男の子なんだからそんなことしちゃだめだろ。やめなさい。お前にはペニスがあるんだから。それを自ら切るような真似=自ら去勢されるような真似は困る」

エディプス・コンプレックスにおいては、去勢される恐怖への葛藤&そこからの解消なのだが、ここでこの子の場合はペニスを守り通さなければならないという葛藤と解消に追いやられる。この葛藤とは、「ペニスがあるがゆえに好きなものを捨てなければならない」というようなもの(※この段階では、彼がペニスを自ら去勢したいと思っている訳ではない。女の子になりたいとは思っているかもしれないが、ペニスはペニスで守ろうとする。それについては、この段階ではまだ他の男の子同様、<自分の身体にくっついたオモチャのような感覚>であるため。)

以後、特に『家で”男”として家族をまもろうとし、社会で”男”をやって敵と戦っている父親』から、このメッセージが何度も何度も伝えられ続ける。

次第に<男としてペニスを守り通さなければならない>への心的イメージは身体全体にまで広がり、「男なんだから!」というメッセージは、常に身体を鋭い刀で切りつけられるようなイメージへと膨らんでいく(※この鋭い刀で切りつけられる感覚は、後に倒錯的なセックスイメージとフェティシズム、ヒステリーや擬似BPD&擬似アスペルガー等々へと変換される。)。

繰り返されるメッセージで、強烈なまでに<男なのに男らしくない=社会的に殺される>という感性を獲得していく。(ブロークバックマウンテン、イニス・デルマー)

この感性をうまく解消できないと、「自分は男なのに男らしくない」という思いが全身を貫き、彼はボロが出ないようにするが、結果挙動不審・言動不明瞭に陥り、周囲からはなおのことそういったメッセージを送られる。それによって彼はスパイラルにはまっていく。

一方、この感性をうまく(?)解消できると、「他の者を社会的に抹殺してしまえばいい」という方向性を取る。すなわち、徹底的に「男なのに」の部分を隠し続けることに長けるようになり、いつしか誰もがその人を純正ヘテロだと思い込むポーズを取れるようになる。同時に女性蔑視&保守的な男尊女卑の態度等をヘテロ以上に正確に自らのうちに取り込んでいく。それらの態度は(俺は男に愛してもらえないのに、女は男に愛してもらえるのにワガママ言いたい放題しやがって!というような)ルサンチマンからくるものではない。完全に彼の中で思想化している。またその純正ヘテロ的な完全なるその思想こそが、彼らのゲイセックス(彼らの言葉でいえば「雄が盛り合う」)を芸術的なまでの倒錯へと落とし込むことになる。



ここまで。

フロイトのエディプス・コンプレックスはノンケ文脈すぎんだよ。

想像上の誰か:「最初から片親で、セクマイの人はどうするの?」

まずは最初に僕が書いた3行を熟読するといいんじゃないかな。

引きこもり自分自身フロイト精神分析ラカン

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当事者不在で外野が騒ぐのは結局当事者を追い詰めるだけ/スイーツデコ&フェイクスイーツ

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「その問題を抱えている当事者が不在の状態で、外野が当事者の事を考え問題を語り解決策を編み出していくと、それはおおむね当事者への抑圧と排除しか生まない。しかし、外野はその事に一切気づかず、追い詰められた当事者は追い詰められたがゆえに口をつぐむしか策はなくなる。すると外野は口をつぐんだことを問題視し、またも当事者不在のままで解決策を編み出す。なおのこと当事者は追い詰められていく。以下、スパイラル、繰り返し。」

というフレーズをふと思いついた。不登校とかさ、ひきこもりとかさ。etc。

ま、ただそれだけ。

こんな文章、多分無意識インスパイヤ((c)avex)だろう。



上記文章とは一切脈絡ないんだけど、最近スイーツデコ&フェイクスイーツなるものにすごい注目している。ちょっと前に、次郎さんという方がやってらっしゃるブログで粘土細工を見せてもらったことをきっかけに粘土細工に興味が出て、それでスイーツデコ&フェイクスイーツにたどり着いたのだ。

ごらんください、これらの画像を

スイーツデコ - Google 画像検索

スイーツですよね、どっからどうみても。でもこれ、全部にせもの。作り物。食べられない。

携帯電話やペンケース、ビンのふたなどにこういう細工をほどこすのをスイーツ・デコといい、単純にスイーツの模型はフェイクスイーツというらしい。ただ厳密にはそんなくっきりと言葉は別れてないみたいだけれど。

ブログ村にもスイーツデコカテゴリーがあった。

スイーツデコ - ハンドメイドブログ村

可愛いなあ。わくわくするなあ。やってみたいなあ。でも材料費高いよ。おもちゃでも「ホイップる」とかいうのがあるらしいけど、結構な値段。

図書館でも本かりてみたけど、初心者はマーブルアイスやマカロンから入るのがいいっぽい。

ちなみに、普段使う携帯やペンケース、そういった小物にデコると、なんだかんだでだんだん汚れてきて、デコったそれらスイーツ細工がけっこう薄汚れてきて見られるもんじゃなくなるらしい。あくまで観賞用に作りましょう、というのが正しいようだ。



なお、スイーツ流行について、僕には邪推持論がある。

スイーツ流行前夜、女性の間でのキーワードはセレブであった。みんなセレブになりたがっていた。いや、ブームをマスコミが作ってただけなんだろうけど。でも、一部女性は踊らされてしまった。

が、圧倒的な不景気、セレブなんて無理。でもあきらめきれない。セレブ。ストレスがたまる女性たち。

ストレスがたまると、甘いものがほしくなる(!?)。ケーキや菓子パンにみんな手を出す。しかしダイエットを気にしているから、そういくつも食べる訳にはいかない。

セレブになれないという現実。甘いものを食べたい欲望。

これを見事にミックスして登場したのが、「スイーツ」という言葉。スイーツという言葉には従来までのケーキやお菓子という言葉よりも、なんかセレブ感がある。スイーツはおおむね「パリ修行仕込みのパティシエ」が手がけたりするものなので、しっとりふんわりなめらかなスイーツを数百円で食べられる。スイーツは見た目もどこか美しさがあり繊細で優雅だったりするので、ぷちセレブ感を味わえる。

そんな感じでスイーツは一気に受け入れられたのだと思う。

しかし、スイーツが流行ってぷちセレブ感を味わえても、やはりカロリーは高い。ホイホイ食べるわけにもいかない。元からあったダイエット指向にくわえ、そこへレコーディングダイエットに朝バナナダイエットの大流行。

「スイーツは食べたいけど……」

そうしてああじゃないこうじゃないとした結果、女子がたどり着いたのがスイーツデコ&フェイクスイーツ。セレブからスイーツデコへの流れは、そういう流れによる。

ま、多分うそでしょうけどね。僕の勝手な邪推持論。ハイ。

しかしスイーツデコがOKなら痛車もOKなんじゃないかと思うのは、僕が車に関して素人だからだろうか。

大人かわいいスイーツデコ  飾って、着けて、ココロとろける魔法小物の作り方 (タツミムック)

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経済・貧困問題?同性結婚を認めちゃえばどうかな

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今、朝まで生テレビを見ている。話はよくわからないんだけど……。

見ていて、「同性同士の結婚を認めちゃえば?」というのが、頭に浮かんだ。それだけで、同性愛者の結婚によって、経済や貧困問題がマッサージされていく。

それに(これは同性愛者当事者に怒られそうだし、ヘテロからも「結婚という崇高なものをそんな!」といわれそうなアイディアだけれど)、別に同性愛者じゃない異性愛者=ノーマル=ストレート=ノンケも、同性同士で結婚してしまえばいい。経済的にいきづらい人は、同性同士の結婚制度を利用してしまえばいい。

そんで、友達同士で一緒に暮らし助け合うなり税金対策なりして生き延びればOK。同性同士の結婚制度を、生き延びるための道具として使ってしまうわけだ。

別にセクシャル・マイノリティの問題だけに限らず、ヘテロで貧困にあえいでいる人や居場所がない人のためという名目も付加して(いや、むしろ”もういっそそういう名目でもいいから”)、同性同士の結婚を認める、という話。

そんで、同性同士で結婚して、自分の足場を固めることができたら、離婚する。その後、お目当ての女性と異性愛結婚する。うまい方法じゃないでしょうか。

どうでしょうか。このアイディア。人によっては「ああ!!同性結婚が認められればそういう使い方もあるのか!!」という感じなんじゃないかなと思うのですが。

もちろん、本来の目的である同性愛者同士の結婚も出てくるわけだから、そっちでも商売ができる。たとえば、「結婚式 ゲイプラン」とかさ。ゲイマネー。

あるいは、ゲイの男性が、ノンケの男性を養ってやるとか。で、ゲイがノンケにセックスを求めたらそれはDVとして認められる、とか。逆ももちろんありうる、ノンケがゲイを差別したりしてもDV。(ま、ゲイ&ノンケっていう組み合わせでの結婚は無理かな……)

ヘテロが同性間結婚を利用することで、同時にセクシュアルマイノリティの存在も一気に可視化され、セクマイへの差別や無関心も薄れていく。

そんなかんじで、愛を介さず、結婚という制度を利用する。ドライに割り切って利用する。どうかな。実際、生き延びるためにゲイとビアンの組み合わせで偽装結婚してる人も訳だし。

■想像上の誰か:「へー。ゲイの小笠原さんはそれで結婚しようって思いますか?」

え?僕?僕はそれでも結婚しないと思う。多分。

■想像上の誰か:「ゲイでもないのに、男同士で結婚だなんて……。初夜とか、どうしろと??」

別にそこまでする必要ないだろw 同性同士の結婚ができることになれば、結婚という形式をもっと生き延びるために利用してしまえるんじゃないか、ってこと。

■想像上の誰か:「でも、じゃあノーマル同士で結婚するとしても、結婚式でキスとかどうするんですか……」

だからー、結婚は別に恋愛→同棲→婚約→籍いれる→結婚→披露宴とかっていう順番を辿らなきゃおかしいって話じゃないでしょう。書類だけで結婚、離婚できるんだから。そういうルートをAtoZ辿って結婚しなきゃ人間として認めないとでもいうのかい。何もかも一度も脱線せずに正しいレールを走るのじゃなきゃ人間じゃないっていうのか。日本人じゃないっていうのか。

ま、そんなもんなのかもしれないけど……”世間様”は手ごわいラスボス。

■想像上の誰か:「でも、でもでも、じゃあ、もしもですよ、もし万が一、ノーマルな人同士が結婚して、生活営んでるうちに、だんだん変な気分になってきて、そしてついには……ってことになったら、どうするんですか???」

すごいねー、どんな想像力だよそれ。たくましすぎるわ。あなたすごいエロイ人でしょ。普段何考えて生活してるの?でもいいじゃん、別に。そしたらそれでふつうにゲイ同士の結婚に切り替えて、互いに愛し合って結婚生活送っていればいい。むしろハッピーエンドでしょ。

■想像上の誰か:「子供が生まれないじゃないですか。結婚して子供を生まないなんて……」

あなた、高田延彦&向井亜紀夫妻の話、ご存知?



勝間和代って、草刈民代に似てるかも。

引きこもりテレビ

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中島みゆき「地上の星」を歌ってみた

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先日、ヒトカラ行って撮影してきた動画のうちの一つをアップする。

ひどい。ひどい。本当にひどい。でもこれでもまだマシなほうなんだ。だって、数年ぶりのカラオケだったしぃー。

ゲラゲラ笑いながら聴くように。そして、聴き終えたらすみやかに耳鼻科へ。


引きこもり音楽中島みゆき動画Youtube外出

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小笠原毅←→一哉さん 往復書簡集

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現在、僕はmixiをやっている。やっているというか、再開したというか。

そのmixiに「山田花子」というコミュニティがある。この山田花子とはよしもとの芸人のことではなく、説明されるときはおおむね「24歳で投身自殺した特殊マンガ家」と言われる事が多い。

その「山田花子」コミュニティに「山田花子展」というイベントについてのお知らせのトピックがあった。僕はそれを見て「自分のブログで宣伝しとこう」と思い、そうした(6/27現在、このブログでは一番上に表示されっぱなしになっている)。

そのイベントトピックを投稿された方は、一哉さんといい、僕はその一哉さんにメッセージをした。つまり「ブログに宣伝として掲載してしまったが、大丈夫か、勝手に乗せてOKか」ということを。そうしたら「むしろいい」というぐらいだった。そういういきさつで、現在一哉さんと、やり取りをしている。

以下、一哉さんと僕とのmixiメッセージとメールでの現在までのやり取りを往復書簡集として掲載する。一哉さんからもOKをいただいた。「Kさん」と書き換えることを提案したのだが、特別そのことについてはいいのかなという感じなので、名前をそのまま出させてもらうことにした。

なお、mixiでは僕は「たあ」と名乗っているため、僕の名前は最初「たあ」になっている。また改行などを一部編集、箇所によっては伏字をした。

(こうして僕は、他人とのメールさえもブログ記事にすることで、そしてその人と何がなんでも繋がりつづけなくてはならない状況にすることで、生き延びるためのネタをなんとか繋ぐのであった。でも本当は、逃げ出したい。)




2009年06月21日 19時11分 小笠原→一哉

はじめまして。たあと申します。

さきほど、山田花子のコミュニティのトピックを見ました。

それで、自分は多分いけないと思うのですが(ひきこもりなので・・・)、自分のブログにこのお知らせをはりたいとおもって、今さっきはってしまいました。

事後承諾になってしまいましたが、よろしいでしょうか。

このような記事になっています。
http://sokudokuhikky.blog103.fc2.com/blog-entry-782.html

よければ、お返事ください。




2009年06月21日 19時22分 一哉→小笠原

むしろありがとうございます!!

僕たちは今山田花子についてのドキュメンタリー映画を撮影しています。

それにまつわるお話をお聞きするために、山田花子さんのご実家に赴きお父さんお母さんにインタビューもさせていただき現在雑誌の編集者をしておられる妹さんにもインタビューさせていただいております。

さらに言えば、精神科医の斎藤環さん、作家の雨宮花稟さんにもインタビューをさせていただくことが決まっております。

来られないようなので残念です。ですが、僕たちは少しでも山田花子さんに興味のある方にはぜひ来ていただきたいと考えておりまして、そのための努力ならいくらでもするつもりではおります。

僕自身、10代のころ鬱病を経験し、父も精神病院に入院していたこともあり、「生きづらい」と感じている人たちや、その周りの人間の気持ちはよくわかっているつもりです。

ですので、そういった方の多くが、なかなか外に出向くことが億劫であることや、対人恐怖症(今でも僕は多少そういう部分がありまして、ある種自分自身が作り出したキャラクターを演じることで、精神的な外傷を軽減させながら生きているつもりです)のつらさも経験しておりますので

それでも絶対に来てほしいです。とは言えませんが、気持ちとしては山田花子に共感できるかた、彼女のような人間性に共感できるかたには来ていただければ嬉しいなという気持ちではおります。

ちなみにですがmixiの山田花子コミュ二ティにさきほど、僕たちが作ったyoutubeの動画が貼ってありましてそれも貼っていただければとてもうれしいです。

本当にありがとうございます。意外なところから協力者が現れてくれたので、とてもびっくりして感動しております。




2009年06月21日 20時26分 小笠原→一哉

丁寧なメッセージ、ありがとうございました。

ああ、よかった。じゃああのまま貼ります。動画も張りますね。

ところで、哲学者の中島義道はご存知ですか。

哲学者の中島義道のある種のエッセイは、非常に山田花子的なものです。僕は10代の終わりに山田花子の「自殺直前日記」を読み、そして去年ぐらいに中島義道の「孤独について」という本で中島の成育史を読みました。

その二冊はセットで読まれるべき本じゃなかろうか、と思っているところです。斎藤環も中島義道の本や主張をひきこもり問題に多少援用しています。ご存知でしたら、すいません。ただ、「中島にインタビューできてそれが映像に盛り込まれることがあったら、そりゃすげえな」とちょっとだけ思いました。中島が死ぬまでには何かしら映像に残ってほしい、という気持ちもあるんですが。

僕も最近、ある若い男性のアート作品のために、ちょっとだけですけど協力して、撮影されてしまいました。その方はイギリスでアート活動をやってる方です。どんなものを作るのか、どんな発表の形になるのかは全然わかっていないのですが、不安半分、期待半分なところです。

山田花子イベント、いけるかどうかわからないけど、いけそうだったらいきます。

ではでは。

小笠原。




2009年06月21日 21時18分 一哉→小笠原

小笠原さんブログ拝見しましたよ!

ほかの方にもリンクお勧めしていただいてほんと感謝の一言に尽きます。

撮影に協力するようなことがあったのですね!それもまたびっくりです。

中島義道は名前は知っていたのですが、不勉強でして未だに著作を読んだことはないです。

しかし、これからまたインタビュー対象者を探すとしたら中島義道さんは候補にあげてみようと考えております。貴重な情報ありがとうございます。

時間があれば展覧会ぜひ来てください。個人的には一度小笠原さんと詳しくお話してみたいと勝手に心がはずんでおります 笑

山田花子作品は、発行当時から今でもわずかではありますが読み続けられていて、世代によって感想やリアクションが、読者の生きてきた社会情勢によって異なるんじゃないか?と考えております。

僕たちの撮影スタッフは4人と少数でして、40代の人間が一人(つまり山田花子と同時代を見てきた人間。この人が監督でしてこの映画の企画者でもあり、山田花子デビューからの大の山田花子ファンです。)あと僕を含めた20代のスタッフ3人で構成されています。

ですので、そのあいまの30歳代の方の意見というのも詳しくお聞きしてみたいなと考えているのです。

驚いたのは、現役女子高校生の山田花子ファンの方とmixiを通じてスタッフの一人が連絡を取り合っておりまして、なかなか興味あるご意見を頂戴したところでした。

そもそも今回の展覧会も、普段は知り合うことが少ない、山田花子ファンの人たちと交流が持てれば、また僕たちも映画を作る上で新たな視点がみえてくるのではないのか?と考え企画されたものなのです。

ですので、もしもよろしければ、mixiのメッセージでもかまいませんので、なにかしら連絡取れればいいななんて都合よく勝手に僕は思ってしまいました 笑

お返事どうもありがとうございます。

住野一哉




2009年06月24日 15時35分 小笠原→一哉

一哉さん、こんにちは。

えっと、まず最初に僕の状況を書きます。

いま、僕はかなりひきこもり状態です。一週間に一回外に出るかどうか、シャワーするかどうか、そんな感じです。

で、そんな感じが6年ぐらい続いてたのですが、4月に人とあうことをきっかけに、少しずつ、動いていましす。ちなみに4月にあったのは、「イギリスで映像作品を作ってる」という人で、僕はその方に撮影されてしまいました。いま、編集作業中のようで、2・3ヶ月はかかる、とのことでした。

それで、まあひきこもり生活をおくりつつ、去年からブログはじめまして、で、ずっと自分が同性愛者であることは隠して続けていたんです。が、先日ですね、ついに気持ちがたまらなくなってしまって、ブログでカミングアウトした。

そうしたら、いろんな反応があり、その反応で僕も少しだけ考えや行動がかなり変化していて、その結果mixiもこうやって久しぶりに再開するにいたりました。

その中で、カミングアウト前以上に文章を書く機会が多くなってきて、メール交換をしている人もそれなりに僕にはいまいるんですけど、ブログ記事レベルでメールを送信させてもらったりとかして、結構ハードな文章生活を送ってるんです。

で、それで、ちょっと一哉さんへの返事も遅れました、ということです。

でですね、すいませんが、ちょっと息抜きさせていただくということで、一哉さんへの返事は、ちょっと気楽なものにさせていただいてもよろしいでしょうか?以下、前に一哉さんがくださったメールに、返事しますね。



> 時間があれば展覧会ぜひ来てください。個人的には一度小笠原さんと詳しくお話してみたいと勝手に心がはずんでおります 笑

そうですね、いけたらいきたいんですけど、それにそんな風に思ってくださる方がいらっしゃるなら、僕としても、やっぱ話をしてみたい気もします。でも・・・。なにぶん、ひきこもりなので・・・。下北沢という場所であることが、めまいがしそうなほどです。実は、先に書いたイギリスの方とも、かなり「会える、会えない」で攻防戦しまして、それでもなんとかかんとか会うにいたりました。ですから、一哉さんとお会いすること、展覧会にいくこと、これもなんとかかんとか前向きに考えたいとおもいます。イギリスのその方との出会いも、結果的にはすごくいいものとなったので。



> 山田花子作品は、発行当時から今でもわずかではありますが読み続けられていて、世代によって感想やリアクションが、読者の生きてきた社会情勢によって異なるんじゃないか?と考えております。
> 僕たちの撮影スタッフは4人と少数でして、40代の人間が一人(つまり山田花子と同時代を見てきた人間。この人が監督でしてこの映画の企画者でもあり、山田花子デビューからの大の山田花子ファンです。)あと僕を含めた20代のスタッフ3人で構成されています。
> ですので、そのあいまの30歳代の方の意見というのも詳しくお聞きしてみたいなと考えているのです。


僕は、純粋に30代といえるかどうか、これはすごくあやしいです。たとえば、僕は就職氷河期真っ只中世代なのですが、僕は就職活動は一度もやったことないし、自分のひきこもりな性質、同性に対する複雑な気持ち、葛藤、そういうのでずっとひっかかってましたから。なので、僕としては「同じ世代のコミュニティにまったく入っていけなかった」という思いのほうが強いです。でも、山田花子が題材なんだから、むしろそういう話のほうがいいのかもしれないですかね?笑



> ですので、もしもよろしければ、mixiのメッセージでもかまいませんので、なにかしら連絡取れればいいななんて都合よく勝手に僕は思ってしまいました 笑

メールアドレスかいときますね。

************@gmail.com

です。

あと、もし返事をいただけるときには、何か具体的な質問事項、そういったのを書いてもらえると、こちらとしても返事しやすいです。本当は会話形式でメッセージさせていただきたいところなんですが、ちょっといま文章を書くにあたってのペースがとにかくハードなので、話を引き出してもらう、っていう形に甘えたいというところがありまして・・・。

ではでは

小笠原毅@たあ




2009/06/26 8:13  一哉→小笠原

件名:mixiの一哉です。住野一哉

メールアドレスありがとうございます。それではさっそくこちらのお返事いたしますね!笑

お忙しそうですね、ただ僕らに関してはそこまで力を入れる必要は全くないので息抜き程度に考えていただいて全然OKですよ♫

さっそくシンプルにお聞きします。

小笠原さんとお会いできるなら、小笠原さんのお好きな場所、一番ストレスの少ない場所が一番かなと思っております。

ですので、もしもお会いしていただけるなら僕が、指定された場所に向かおうかと考えているのですがいかがでしょうか??




2009/06/26 15:57  小笠原→一哉

住野さん、メールありがとうございました。ちなみに、名前の読み方は「すみのかずや」さん、でよろしいのでしょうか。僕は「おがさわらたけし」です。

> 小笠原さんとお会いできるなら、小笠原さんのお好きな場所、一番ストレスの少ない場所が一番かなと思っております。
> ですので、もしもお会いしていただけるなら僕が、指定された場所に向かおうかと考えているのですがいかがでしょうか??


今思ってること、全部書きます。恥ずかしいんだけど、でも言わないとしんどくなってしまうので。

「会う方向に話が進んでる、どうしようどうしよう、怖い。でも会わなきゃ。人と会うことしなきゃ。話さなきゃ。どこがいいだろう。池袋?電車賃高い。川越まできてもらっていいのか。川越って片道300円だっけ。でも川越、僕が迷子になるかも。携帯もってないし迷子になったら終わりだよ。腹壊して遅れたら30分ぐらい遅刻してしまう。待ち合わせ時間、30分から1時間の幅はとってもらわなくちゃだ。ルミネにスターバックスあるから、そこで現地集合ならいいか。スタバってたかいんだよなあ、一番安いのなんだろう。川越なんてとこまできてもらっていいんだろうか。そもそもルミネのスタバちゃんとあるのかなあ。ネットの情報って更新されないから行ってみたらつぶれてたってことあるしなあ。でも結局そうやって藤澤さんとも池袋であって6時間も話して撮影されたんだよなあ。多分大丈夫だろうなあ。一哉さん24歳か、自分30歳だよ、ああはずかしい、いままさに輝いてる人生歩んでる若い人の前にいくのか、なんかはずかしい、コンプレックス、劣等感。不安だ。怖い。でもいかなきゃ。死なない、死なない。あおう、あおう。若い人のアートの感性に、自分の存在が影響されるかもしれないんだ。すごいことじゃん。若い人のアートは応援だ!応援だ!!・・・スタバじゃ他の人に話しきこえちゃうじゃん!!カラオケボックスにでもはいって密室のほうが話しやすいかなあ。でもカラオケは高い。やっぱスタバが一番かも。」

そんなかんじです。

ですので、池袋から出ている東武東上線にて、埼玉県の川越駅まできてもらってよろしいでしょうか。僕もあんまりしらないのですが、川越駅の改札を出るとすぐにスターバックスがあるらしいんです。そこでなんか飲みつつ、という感じでよければ・・・。

ただ、僕は「山田花子読者」という点でおはなしできること自体は、量的には少ないように思います。あくまで30歳・ひきこもりのゲイ、というくくりで、ある程度なら話せるかも・・・。

4月にイギリスの方とも池袋で6時間話しこんだのですが、そのときはほとんどひきこもりについての話に終始してしまい、相手の方からは「まるで授業していただいたみたいな」といわれてしまいました 笑

で、もしそれで(川越スタバ)よければ、いつにしましょうか。僕はいつでもいいと言えばいつでもいいので、まあ天気予報で晴れそうな日、ぐらいしか希望はないのですが 笑

あと、僕は携帯を持っていません。当日、家を出たらもう連絡は一切取れなくなりますので、待ち合わせ場所、時間、目印、すべてカッキリ決めないと、多分すれ違うことになるかと思います。それと、多分大丈夫だとは思うのですが、ギリギリの時間になって、あるいは電車に乗ってる最中に腹痛がおこって下車して・・・という感じで遅れる場合もあります。昔からそうだったんです、電車にのると具合が・・・。でも最近は平気っぽくなってきたみたいですけれども(最近、3回ほど電車のりました)。

ひとまずは、そんなところです。

ps 僕がいまこうして一哉さんに送ったメール、ブログに掲載してもいいでしょうか。「一哉さん」のところは「Kさん」と書き換えますので・・・。ひきこもりは「メールってどんなことを書けばいいんだろう?メール交換ってなに?」っていう人が多いんです。なので、僕が誰かとやりとりしてるメールをブログにのせるのは、ひきこもりの人にとって興味があることみたいなんです。よければ、です、無理にとはいいません。メールを公開されるのって、抵抗ありますしね・・。

小笠原




2009/06/26 23:07  一哉→小笠原

お返事ありがとうございます。すみのかずやです!

メール拝見しましたよ、小笠原さんの心中ここまで吐露していただいて・・・。

僕も小笠原さんに対して、多少負担はおかけしてしまってるだろうなと思っていただので、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが入り混じったような感覚でおります。
ちなみにこれまでのメールを往復書簡のような形でブログに転記してもらうことは構いませんよ♪

僕としては、あくまでもお願いしている立場ですし、それくらいのことは問題ありません。

僕のメールが一般的なものかどうかはわかりませんけど、ブログを通じて良い方向で影響があるなら、それはそれで素敵なことじゃないですか!

ところで、僕は小笠原さんのことを、山田花子ドキュメンタリー映画制作チームのほかの3人に話しました。

ブログに原画展の情報を載せていただいたことに非常に感謝していましたし、小笠原さんの文章を拝見したスタッフの一人は「相当頭がいいだろうな」という印象を持ったそうです。

お会いしたことはないものの、僕も同じような印象を受けています、非常に頭がよく、繊細な方なんだろうなという印象です。

あまり山田花子について語ることが無かったとしても、以前お話ししたように「30歳代の山田花子読者のご意見」「今現在山田花子の読者の感想」をお聞きしてみたいという気持ちがあります。

そこでですが、我々の映画制作スタッフの一員でもあり、現在制作中の映画の監督である、塚本進(つかもとすすむ)という人間がいるのですが、僕と塚本、そして小笠原さんの3人でお会いしませんか?ちなみに塚本は、僕が見る限り非常に低姿勢な人間でして、初対面でもかなり話しやすいかと思います。本当ならお礼も兼ねて、スタッフ全員でお伺いに行きたいところですが、それで小笠原さんにストレスになってはむしろ逆効果だと思い、僕と監督が制作チームを代表して、お話聞かせていただく、というのはどうでしょうか??

撮影はおそらくですが今のところ土日くらいを考えております。

それではまたお返事お待ちしております。お忙しいところでしょうが、いつでもメールしてください。それでは!!

すみのかずや

引きこもり自分自身コミュニケーション外出メール

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小笠原毅←→野菜さん書簡集 その2

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前回の書簡集記事。

ひきこもりメール交換 小笠原毅←→野菜さん書簡集 (2009/06/08)

その続き。

(※野菜さん、もしこれ見られていましたら、伝言です。現在メールはとまっていますが、特別気になさらないでください。僕としましても、今メールの量がやたら増えていて、とめていただいてることがむしろちょっとありがたいぐらいで……笑)




2009/06/10 20:06  小笠原→野菜

野菜さん、どうもどうも。返事が遅れました。あと、

> 勿論、結構ですよ。このメールやりとりは、名前や私の文章含めて好きに使って貰って大丈夫です。

この件、ありがとうございました。コメントまでしていただいて。おかげで編集作業としてもほぼ全文を掲載するだけでよかったので、助かりました。自分で見返してみてもいろいろと参考になる(?)部分がありましたし。今後もぼちぼち掲載するかと思いますが、そういったことでよろしくお願いします。



> そうだったんですか・・・これは知りませんでした。
> でも、同じ自殺は自殺でも、種類が全く違うという気もします。
> 長田寮や戸塚ヨットスクールでの自殺は、「このやりかたに耐え切れない。逃げ場が無い」という殺人に近い自殺だと思いますけど、
> 斎藤環の場合は「斎藤さんにまで縋ってもダメだった」みたいな、ある種「幻滅した」って感じの自殺じゃないですかね。
> 斎藤環を神格化してるひきこもりって多そうですし、「この人の治療でダメだったらもう死ぬしかない」と思い込んでる人も結構いたんじゃないかと思います。


うーん、どうでしょうか。斎藤を尊敬なりなんなりしてるひきこもり、そんなにいるかなあ、という印象の方が僕としては強いです。斎藤を神格化してる場合、斎藤も自著で言ってる通り「私(斎藤)のところを自分で調べて自分で来て治療を受け、そして早々と颯爽とひきこもりから抜け出していく人」になるような気がします。

それにもし斎藤すらもだめだったと絶望して自殺を選んだひきこもりがいるとしたら、僕はそれこそ(斎藤じゃなく)病院側の診断ミスという形に還元したい気がしますけれども。

僕が長田のやり方をある面では肯定するかのように言うのは、長田の特集をそれなりに何度かテレビで見たことがあるという経緯がありまして、4、5回は見たかな?日本テレビとフジテレビで。その中にはやはり「ああ、この子には長田のような存在が確実に必要だったな」と思う人も、いたんですよ。ひきこもりから完璧にリア充にまでなった男の子の例とかありました。

そういう風に、斎藤にしても長田にしても、僕は思うところがどちらにもポツポツとある。だから確たる位置に立った上でどちらがどうとは、ちょっと言えないところがあります。それでもどちらか選べといわれたら……やっぱ斎藤ですけれど。

あと、詳しくは知らないけど宮崎哲弥なんかは長田を絶賛してるようです。

ところで野菜さんはそれだけ斎藤支持ってことは、斎藤ファンなんでしょうか。斎藤じゃないんですけど、荻上チキってご存知ないですか。荻上チキは完全たる斎藤のフォロワーという感じがします。斎藤というか、宮台真司とか東浩紀とかこの辺の申し子という感じというか。荻上チキ、おすすめです。



> ああこの風潮は確かに吐き気がします。
> どっかのブラック企業の入社試験だか、新人研修だかでもあるそうですね、素手でトイレ掃除。テレビとかで某居酒屋チェーンの社員教育とか見てると、気持ち悪くなってきます。
> 何が気持ち悪いって、そのやり方に耐えている社員がいるという事実が気持ち悪いです。
> テレビとかでは大抵、企業からリストラされて、妻子を養うためにそのブラック居酒屋チェーンに就職した崖っぷちお父さん みたいな人が出てくるんですが、
> 教育係に殴る蹴るされてるのは、見てて居たたまれないというか色んなものに怒りが湧いてきますね。こんなものを労働と呼んでしまう糞日本に腹が立ちます。


素手でトイレ掃除する効果って、どこまで一般化できるものなんでしょうかねえ。「トイレを素手で掃除できるようになると、怖いものはもうなくなる」という理屈はなんとなくわかるんだけど、それをそれこそ居酒屋とかそういう食べ物屋がやっちゃうのはどうなの、っていう気がします。怖いものがなくなってしまって、トイレ掃除するのも皿洗いするのもボーダーラインがあいまいになってきてしまうことのほうが僕はいやだ。「素手でトイレ掃除したって怖いことなんかないし、病気になったりすることだってそうそうない」と思い込み始めたら、客に出すものに関しての衛生観念さえもレベルが落ちていくような気がします。

素手でトイレ掃除することで人の気持ちがわかるようになるといっても、じゃあ素手トイレ掃除反対派の気持ちはどうなるんだって話になる訳ですが、彼らからすると「素直じゃない証拠!いっぺんやってみなさいって、目からうろこがおちますよ」って話になる。社員たちが素手トイレ掃除に耐えてることも気づかないのなら、素手トイレ掃除っていったいなんなんだろう、と思います。妙な意味づけ・価値づけが厄介なんです。善意がゆえに、すごい反論がしづらい。善意という名の暴力ですよ。

でもこういうのを根絶するなら、僕は中学からの軍隊的先輩後輩の序列制度を変えなきゃ始まらないような気がします。僕は吹奏楽部で女子ばかり&男子少数の場にいましたから中学からはじまるあの独特の上下関係には巻き込まれなかったんですけど、他の部の子らを今思い出してみると、やっぱ”社畜”などと揶揄される精神性のはじまりって、中学からはじまってるなあという気がしますよ。

それに、素手トイレ掃除にしろなんにしろ、こういう宗教がかったやり方ってのは周期的に流行るものでもあります。なんだったかな、なんかの本で最近読んだ気がするんだけど、バブル崩壊前後、尾上縫とかいう金融関係の社長は、がまがえるだかひきがえるだかを奉って占いをし、そこから得られた神託を部下や会社に伝え、経営していたそうです。カエルですよ、カエル。その後失墜したらしいですけど。

体育会系×宗教性=ブラック&社畜

なんて感じかな。



> 中島みゆきの歌詞は凄い、頭に残りますよね。
> 「君が涙の時には僕はポプラの枝になる」「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」とかね。家なき子は見たことないけど、この曲は結構好きです。
> 「とろ」ですか、聞いてみたいと思います。そういえばイジメ自殺の群発ありましたね。文部大臣から安っぽい、イジメ自殺やめてくださいプリントが配られたのを覚えてます。


「空と君のあいだに」は・・・もう15年前の歌ですかね。野菜さんそのとき3歳ぐらいじゃないですか?僕はそのころ15歳でした。不登校全盛期でね。うーん、なんかそう思うと感慨深いものがある。僕が不登校してたころ、ヨチヨチしてた野菜さんといまこうしてひきこもりトークをしている。中島みゆきの時代のフレーズでいうなら「まわるまわるよ時代はまわる」だなあ。

ちなみに「空と君のあいだに」は、犬の目線での歌なんですよ。「家なき子」は台本の段階では犬がいろいろと悪さをする設定だったらしく、その段階で中島みゆきはオファーをされたんだとか。だからその台本にあわせて歌詞を書き、「空と君(あだちゆみ)のあいだ」になった。

しかしフタをあけてドラマがはじまってみればアダチユミが悪さ(?)するドラマになっていた……というのが中島みゆきが言う裏ばなしです。

そうそう、「空と君のあいだに」は当時、オウム真理教の信者の洗脳をとくために使われた、なんてうわさがありましたよ。中島の歌詞が頭に残るのは、わかりやすいメロディーだし、フレーズを何度も繰り返すからかな?どうも中島みゆきの歌はその時代その時代とリンクすることがおおいです。



> なんかあらゆるものが共感を得るために作られてるというか、
> 共感中毒患者が巷に溢れていて、どんどん下品なものほど良しとされてる気がしますね。「共感できればええんやー」って言われて。
> 結局、こういった類のものは低俗レッテルを貼って見ないことにする(批判者)か、ジャンクフード的に共感して消費する(スイーツの人達)か、の2択になります。
> 確かにエヴァと同じようなものなのかもしれません。(オタクvsアニメ嫌い)


でも共感できないと、アスペルガーだのなんだの言われてしまいますしなあ。

ただ、アニメでもガチで真剣に哲学レベルではまりこんでる人がいるように、ケータイ小説でもジャンク的消費の流れの中でどこか真剣にはまりこんでる女性みたいのもいるかもしれないな、とは思いますよ。だとすれば、その女性はかなり孤独だろうな、と想像します。まわりは「共感できるわー!サイコー!」とかぐらいで言い合ってるけど、自分はちょっと感じ方が違う、おかしいのだろうか、みたいな感じで。まあ僕がそういう経験あるからそういう邪推ができるだけとも言えるんだけど。所詮自分に照らし合わせられることしか人は想像できませんからね。

あと、「素材がどんなものであれ、共感は規模が大きくなるほど、いずれにしても下品な方向に行く」、なんてようなことも思ったりしました、今。「**は下品だ!」という話にしても、それに共感する人がどんどん出てきて規模が大きくなってきたらそれこそ魔女狩りみたいになるんじゃないんですかね。どうかな。わからないけど。

ところで「スイーツ(笑)」とか揶揄されるような女性って、どこまで本当かなあ、と思うんです。僕不思議なのは、まあスイーツたたきは主に2ちゃんねるとかで行われてる訳ですけど、(僕もそうだけど)みんなもはやテレビも新聞もぜんぜん信用してないじゃないですか。みんなかなり嫌ってる。でもそのわりには、「スイーツ(笑)」的な話題だと、みんなまるで鵜呑みにしてる感じにみえる。もちろん、「スイーツ(笑)」というテーマとあれば、みんなそう語り合う暗黙のゲームみたいになってる部分もあるんだろうけど。他の例でいえば鮫島事件とか、米倉涼子ブボボモワッテロ(※僕これちょっとツボなんです
笑)とかみたいに。

あと僕もスイーツ好きだしね。しっとりなめらか、ふんわりのティラミスとかレアチーズケーキとかムースとか食いたいです。笑

えー、毎度の事ながら長いです。しちめんどくさいメールになりました。僕が言いたいことを言ってるだけの内容になってるしね……こんなメール読んでいただき、ほんとうにありがとうございます。

返事はお気楽に。

ではでは

小笠原




2009/06/13 13:02  野菜→小笠原

>この件、ありがとうございました。コメントまでしていただいて。おかげで編集作業としてもほぼ全文を掲載するだけでよかったので、助かりました。自分で見返してみてもいろいろと参考になる(?)部分がありましたし。今後もぼちぼち掲載するかと思いますが、そういったことでよろしくお願いします。

いえこちらこそ(?)ありがとうございました。
これから定期的に見させて貰いに行きます。

>僕が長田のやり方をある面では肯定するかのように言うのは、長田の特集をそれなりに何度かテレビで見たことがあるという経緯がありまして、4、5回は見たかな?日本テレビとフジテレビで。その中にはやはり「ああ、この子には長田のような存在が確実に必要だったな」と思う人も、いたんですよ。ひきこもりから完璧にリア充にまでなった男の子の例とかありました。

長田が一般の良民常民から猛烈に支持され、大部分の世論が長田を絶賛賛美し、喝采しているのは仕方ないと思いはじめました。
長田否定派の知識人なんてほとんどいませんし、
長田の暴力性と残虐性が多くの一般世論や所謂、宮崎哲弥のような戦後タカ派の知識人から猛烈に支持されるのは、これは戦後民主主義の平和平等教育に嫌気が差している日本社会から、猛烈なニーズがあるからなのだと、理解しました。
斎藤環のような、両親2人とも日教組で朝日新聞を読んで育ったというリベラルで平和主義な精神科医は、今の日本社会から見たら邪魔臭い存在で、長田のようなタカ派の虐待主義者こそ望まれているのですかね。

荻上チキは名前だけ知ってました。
この人も斎藤環をリスペクトしてるのですか。
批評活動は副業でやってるみたいですが、そっちの方面が逆に評価されてるわけですかね。本業の方はひきこもり界隈から滅茶苦茶に叩かれてますが

Q&Aサイトに素手でトイレ掃除の件がありました
http://okwave.jp/qa4012151.html
回答欄を見るとすこぶる評判悪いですね。いったい誰がこんなカルト信教を支持してるのでしょうか。

>でもこういうのを根絶するなら、僕は中学からの軍隊的先輩後輩の序列制度を変えなきゃ始まらないような気がします。僕は吹奏楽部で女子ばかり&男子少数の場にいましたから中学からはじまるあの独特の上下関係には巻き込まれなかったんですけど、他の部の子らを今思い出してみると、やっぱ”社畜”などと揶揄される精神性のはじまりって、中学からはじまってるなあという気がしますよ。

そもそも、中高体育のカリキュラムに集団行動なる軍事洗脳教育が未だに残存していることが、どう考えてもオカシイですよね。
今は自衛隊で新入社員研修してるところもあるそうです。
軍靴の足音が聞こえてくるというのも笑い事ではないかもしれません
部活も社蓄養成所化してるところがありますよねぇ
僕はテニス部でしたが全体主義的ではなかったし、先輩後輩という保守的な権力主義にもさほど染まっていなかったのですが、それでも組織特有の陰湿で硬直した人間関係はありました。イジメもあったし。
ああいうのが心地良いと思える人が社蓄に向いてるのでしょうね。
"社蓄"は佐高信が生み出した言葉だそうですが、改めて名造語だと思いました。

>そうそう、「空と君のあいだに」は当時、オウム真理教の信者の洗脳をとくために使われた、なんてうわさがありましたよ。中島の歌詞が頭に残るのは、わかりやすいメロディーだし、フレーズを何度も繰り返すからかな?どうも中島みゆきの歌はその時代その時代とリンクすることがおおいです。

そうなんですか。オウム信者の自己犠牲的な性質と「空と君とのあいだに」の歌詞が
重なり合わさったのかもしれませんね。
僕はリアルタイムでオウム事件を見てないからか、麻原みたいなオッサンのどこに魅かれる要素があったのか全く意味不明なんですが、
でもビートたけしまでが麻原を絶賛してたというんだから、確実にわかる人にはわかる魅力オーラみたいなものがあるんでしょうね・・・




2009/06/13 15:08  小笠原→野菜

こんにちは、野菜さん。お返事どうもです。



> 長田が一般の良民常民から猛烈に支持され、大部分の世論が長田を絶賛賛美し、喝采しているのは仕方ないと思いはじめました。
> 長田否定派の知識人なんてほとんどいませんし、
> 長田の暴力性と残虐性が多くの一般世論や所謂、宮崎哲弥のような戦後タカ派の知識人から猛烈に支持されるのは、これは戦後民主主義の平和平等教育に嫌気が差している日本社会から、猛烈なニーズがあるからなのだと、理解しました。
> 斎藤環のような、両親2人とも日教組で朝日新聞を読んで育ったというリベラルで平和主義な精神科医は、今の日本社会から見たら邪魔臭い存在で、長田のようなタカ派の虐待主義者こそ望まれているのですかね。


「タカ派」とか「戦後民主主義」とか「日教組」とか「リベラル」とかいう用語がイマイチというかまだ全然よくわかってないので、こういった方面からは僕は話をアプローチできないです。

ただその、なんていうか、長田はやってることというか、道具としているものが単に「ひきこもり」なだけで、長田についてはひきこもりの畑で語るべき問題というよりは、そういう政治的&政治的な意図による教育論(?)な畑の中で語られるべき問題なんかな、とは思います。



> 荻上チキは名前だけ知ってました。
> この人も斎藤環をリスペクトしてるのですか。
> 批評活動は副業でやってるみたいですが、そっちの方面が逆に評価されてるわけですかね。本業の方はひきこもり界隈から滅茶苦茶に叩かれてますが


斎藤環が中井久夫をリスペクトしてる感じで、荻上チキも斎藤環をリスペクト、っていう感じじゃないですかね。正統派フォロワーのような気がします。まあ「ウェブ炎上」を読んだだけでの判断ですけれど。

でも本人も「斎藤環の文章が一番好きで著作は全部読んでいる」とブログに書いてました。だから、荻上は斎藤の著作の影響でひきこもりの問題にも関心があるみたいです。読んでいないけど、井出草平という人の「ひきこもりの社会学」だかいう本の出版に関して、ネットで井出との対談みたいの公開してました。

それに僕からすると、僕の問題において斎藤では足りない部分が、荻上で補完できるように感じてる部分はあります。僕の問題がうまいこと接点となり繋がる部分があるとすれば、荻上のなんらかの要素だと感じています。斎藤と荻上の対談が2月にあったので当時行ってみたい気もしたんですが、やっぱり行けませんでした。まあ行ったとしてもそのことについては話にのぼらなかったでしょうけれど。



> Q&Aサイトに素手でトイレ掃除の件がありました
> http://okwave.jp/qa4012151.html
> 回答欄を見るとすこぶる評判悪いですね。いったい誰がこんなカルト信教を支持してるのでしょうか。


なんていうか、結局社長なり教育者の公私混同なんですよね、素手トイレ掃除を社員や児童にやらせるのって。そういうことをしてどんな気持ちになるか、どんな価値を感じるか、それはすごく私的な問題なんだけど、これを良きものとしてすべてにそうであれとふるまう。

どうもこの素手でトイレ掃除は中年以上の男性にはまりやすい心性があるようで。そういう人達がそれまで地位や金をベースや軸にして、部下に公私混同を強制してきたような態度とまったくもって同じ延長線上にあるものなんじゃないかという気がします、この素手トイレ掃除は。しかしながら権力を利用した公私混同のふるまいにもかかわらず、妙に善意と”徳”のような概念にあふれているため、非常に反論がしづらい。衛生的な面での反論しかできなくなる。そこに何かすごくグロテスクでややこしい点があるような。

素手でトイレ掃除を社員や児童にやらせるということに、公私混同がすさまじく介入しているという事実に気づけないのなら、また公私混同の中に巻き込まれて反論することもかなわずに無理やり「気持ちがあらわれますね」といってる人がいることに気づけないのなら、何ひとつとして素手トイレ掃除に効果はない、と思います。

自宅で個人でやる分にはいいですけどね。でも公言するようなことじゃないですね。あくまで「陰徳あれば陽報あり」のレベルにとどめるべき。



> そもそも、中高体育のカリキュラムに集団行動なる軍事洗脳教育が未だに残存していることが、どう考えてもオカシイですよね。
> 今は自衛隊で新入社員研修してるところもあるそうです。
> 軍靴の足音が聞こえてくるというのも笑い事ではないかもしれません
> 部活も社蓄養成所化してるところがありますよねぇ
> 僕はテニス部でしたが全体主義的ではなかったし、先輩後輩という保守的な権力主義にもさほど染まっていなかったのですが、それでも組織特有の陰湿で硬直した人間関係はありました。イジメもあったし。
> ああいうのが心地良いと思える人が社蓄に向いてるのでしょうね。
> "社蓄"は佐高信が生み出した言葉だそうですが、改めて名造語だと思いました。


だけど考えてみたら中学でいきなり始まってもそれが本当に突然始まる強制であれば、すべての児童たちには混乱がおきるはずです。中学に入った時点で児童たちもそれに順応できる、あるいはそれが心地いいと感じるという前段階が、すでにそれまでにある&作られるということなんだと思います。

それは何かといえば、やはり親の価値観や親の教育態度がそういったことに繋がっているんじゃないかな、と。まあそういうのをどんどんさかのぼっていけば、僕がいまいちわからないという戦後ナントカ主義とか天皇制とかに話がいきつくのかもしれませんし、やはりひきこもりの問題にもつながるのかも。

僕の場合は吹奏楽部で男子が少ないから男子同志はゆるかったんですけど、女子はいま考えると想像を絶するほど複雑な上下関係にあったんじゃないかな、と思います。引退した三年生が音楽室にやってきて、二年生を一括してしめる、という場面がありました。僕より数年上の世代になると中学校が荒れに荒れた時代だったみたいで、空から机がふってくるはトイレはぶち壊されるは廊下にバイクが走るわ教師は生徒にお礼参り(木刀などでボコボコにされること)されるわという状況だったらしいので、引退した三年生が二年生をしめたあの雰囲気には、その名残もまだちょっとあったんじゃないかと思ってます。それから考えれば、今の子はすごーーーーくおとなしくていい子ばかりなんですけどねえ、あの時代と比較してみたらいまどきの若者論がいかにおかしいかがよくわかります。



> そうなんですか。オウム信者の自己犠牲的な性質と「空と君とのあいだに」の歌詞が
> 重なり合わさったのかもしれませんね。
> 僕はリアルタイムでオウム事件を見てないからか、麻原みたいなオッサンのどこに魅かれる要素があったのか全く意味不明なんですが、
> でもビートたけしまでが麻原を絶賛してたというんだから、確実にわかる人にはわかる魅力オーラみたいなものがあるんでしょうね・・・


「エリートたちが麻原に引かれたのも、結局自分の不安定な存在を肯定してくれる人物となりえたからなんでしょう」という分析が一般的ですね。でもって、その心性はいまどきの高学歴ひきこもり&ニートと同じなんじゃないんですかね。オウム事件がおきたことによって日本の宗教アレルギーはそれまで以上に強化された訳ですけど、詭弁ですがもしもオウム事件が起こっていなくて宗教アレルギーが強化されなかったら、加藤智大なんかはやっぱり宗教に走ったりとかしたんじゃないんでしょうか。ある意味じゃ、窮地に追い込まれた人達が、宗教に走れなくなった側面を作り出した部分も、あるとは思います。僕は親に与えられたキリスト教トラウマがありますけれども、宗教そのものは一切否定しません。宗教そのものは哲学みたいなもんだと考えてるので。懐疑的に思うのは、宗教の集会と信者ですね。宗教をゆがめてるのは集会と信者です。多分……。

そんで、僕はキリスト教信者でしたから、そういった立場から見ると、ひきこもりの徹底宗教拒絶態度にせよ、まあ普通の人の宗教アレルギーにせよ、オウム事件が最終的な契機となったものがまだ尾を引いてる、という印象です。スピリチュアルの流行はその裏だと思います。宗教アレルギーの世の中で、宗教じゃないもので、それで頼れるものとしてスピリチュアルなるものが台頭してきた。でも実際はたから見てりゃ宗教集会&信者以外のなにものでもないんですけどねえ。彼らはみな一様に「宗教じゃありません、お布施とかないですし」とか言うのだけど、なんか宗教を軽蔑しながらスピリチュアルにはまるその心性がよくわからないんです。なんか結局ファッショナブルでカジュアルなものとしてはまってるだけのような気がして。この辺の話になると、トンデモ本ばかり乱発してる香山リカのスピリチュアル信者批判の本は、結構説得力がある部分があります。



すいません、また持論展開の上にやたらと長くなりました。「いずれまたブログに載せる」という前提で書いてたら、つい。

気楽にお返事ください。

小笠原




2009/06/15 2:04  野菜→小笠原

長田系のひきこもり救助会はかなり政治的な意図があるでしょうね・・・
戸塚ヨットスクールも石原とかが支援してるわけですし
むしろノンポリのひきこもり支援者を探すほうが難しいかもしれません

>僕より数年上の世代になると中学校が荒れに荒れた時代だったみたいで、空から机がふってくるはトイレはぶち壊されるは廊下にバイクが走るわ教師は生徒にお礼参り(木刀などでボコボコにされること)されるわという状況だったらしいので、引退した三年生が二年生をしめたあの雰囲気には、その名残もまだちょっとあったんじゃないかと思ってます。それから考えれば、今の子はすごーーーーくおとなしくていい子ばかりなんですけどねえ、あの時代と比較してみたらいまどきの若者論がいかにおかしいかがよくわかります。

廊下にバイクは凄いですね・・・モロ尾崎世代の人達でしょうか。
反体制的な態度はいいと思いますが、やり口が若干暴力的過ぎますよね。
上杉隆だったか、真面目なガリ勉ほど学校に行かなかった みたいなこと言ってました。リアルごくせんみたいな感じだったんですかね・・・。
若者論ももっとバリエーションがあれば面白いと思うのですが、
新人類・シラケ世代からずーっと無気力化&本を読まなくなったのオンパレードですからね。
そんな毎年毎年無気力化してたら全員廃人になってるだろうと・・・。
逆に言えば今の子は昔より大人しくて良い子ばかりというのも些か眉唾ですけどね。

今話題の(?)村上春樹のオウム信者のインタビュー集(アンダーグラウンド2)とか読むと、哲学的というか抽象的なことに悩んで、哲学や仏教を辿ってオウムに行き着いたみたいな人が多い感じですね。
加藤智大の場合は、彼女ができないなんていう俗物的な悩みだったわけだから、オウムには行かなかったんじゃないでしょうか。
あの事件は、オタクになれなかったから、という分析が一見適当そうで一番当たってる気がしますけど・・・

スピリチュアルが流行ったのは、インスタントで手軽だからでしょうね
宗教は自殺を禁じたりしますからね。鬱陶しいことに。
仏教は本来は自殺禁じてないはずなんですけど、なぜか禁じてることになってますよね・・・。奴隷が死んだら困るからなんでしょうけど




2009/06/15 20:05  小笠原→野菜

野菜さん、どうもです。お返事ありがと。



> 長田系のひきこもり救助会はかなり政治的な意図があるでしょうね・・・
> 戸塚ヨットスクールも石原とかが支援してるわけですし
> むしろノンポリのひきこもり支援者を探すほうが難しいかもしれません


でもあれじゃないですかね、これはひきこもりだとか長田とか関係ないことなんだけど、どんなことをやるにしてもそれが何かしら支援や組み合いのような形を取り始めた途端、「右なのか左なのか」という問いに巻き込まれる、という部分はあるように思います。

どのひきこもり支援も、最初は単純にひきこもり支援だったんじゃないんでしょうかね。

しかしやってるうちにどうしてもそのポーズが”巻き込まれなければいけない枠組み”というのに該当しはじめる。あるひきこもり支援がその”巻き込まれなければいけない枠組み”に巻き込まれたとき、「お、これは使える!」と思い始めて利用しはじめたら政治色が濃くなりますし、巻き込まれながらも「こういうのに巻き込まれる限りはひきこもり支援にも限界がある」と思うようなところは政治色が薄い、しかし巻き込まれた以上はノンポリではないように見える(※ノンポリ、いま検索しました)。そういう構造、システムがすでにガッチリとある。僕としてはそんなイメージなのですが。

で、その「政治に巻き込まれなければいけない枠組みが厳然とある」というその事実構造が、どこかひきこもりの心性の問題につながるようにも思うんですよねえ。僕が言ってるのはあくまで構造の近似性の問題です(これを構造主義とかいうのかなあ)。

政治の・・・なんていうんだ、文脈?政治の枠組み内での文脈の、外側で僕は見て考えていたいんですけど、これがまたこれで「左」に位置づけられてしまう。左か右かに位置しようとしないことが、すでに左に位置されてしまう。このあたりに、僕としては「勝手都合解釈型人間分類症候群」というものを名づけて見出しています。
http://sokudokuhikky.blog103.fc2.com/blog-entry-576.html

石原慎太郎は政治的意図というより、個人的感性として戸塚ヨットスクールを推奨してるんじゃないんでしょうかね。石原みたいなことを言う人は別に一般人じゃなくてもたくさんいますからね。そういう感性の人が都知事になってる、というだけなんじゃないかと思うけれど、政治のことはほんとうにわかんないのでなんとも。

ところで上山和樹の「「ひきこもり」だった僕から」読みましたけど、自分としては「自分のケースは、ケースそのものとしては上山にも想定されてない気がする」という感じで読んでて疎外感を感じたのですが、それでも言ってることそのもの、ひきこもりの心性&問題提起としてはすごくすぐれてるものだと思いました。2001年出版だったかな、だったと思うんですけど、あれはかなり本質(というものがあるのかどうかわかりませんが)を突いてる内容だと思いました。



> 廊下にバイクは凄いですね・・・モロ尾崎世代の人達でしょうか。
> 反体制的な態度はいいと思いますが、やり口が若干暴力的過ぎますよね。
> 上杉隆だったか、真面目なガリ勉ほど学校に行かなかった みたいなこと言ってました。リアルごくせんみたいな感じだったんですかね・・・。
> 若者論ももっとバリエーションがあれば面白いと思うのですが、
> 新人類・シラケ世代からずーっと無気力化&本を読まなくなったのオンパレードですからね。
> そんな毎年毎年無気力化してたら全員廃人になってるだろうと・・・。
> 逆に言えば今の子は昔より大人しくて良い子ばかりというのも些か眉唾ですけどね。


バイク=尾崎という発想わかりやすくていいですねそれ、そこまで記号になっちゃってんのか、尾崎は。

昔よりおとなしくていい子だっていうのは、「オッサンどもさあ、あの頃の手に負えなかったガキと、いまののガキを相対的に考えてみろよ」、という話です。でも彼らはすぐに昔を美化するので「あの頃のガキどもは大人に反抗するというのを体当たりでやっていた、わかりやすかった。いまのガキどもは何を考えてるのかわからん」とか言うのだとは思いますけれど。

僕としては、「不良ヤンキーとひきこもり、どっちがいいですか」と問うてみたいところなんです。まあでも「普通がいい」ってところかな。

「ごくせん」は見たことないのでわからないんですけど、でもまあやっぱりそういうテーマのドラマやマンガがいまにまだ引き続いて発表されてるのも、あの当時の名残なんじゃないんですかね、なんて安直な見方だけど。まあその当時の中学生たちの荒れ方も、そういうメディアに引っ張られてただけのところもあるんじゃないかと思うけど(たとえば”スケバン”とか”番長”とかって言葉ご存知ですか)。これはエヴァンゲリオンでメンヘラ要素を引っ張り出された人達がいるんじゃないか、という考えとそう変わりないです。というか、同じ延長線上。簡単にいっちまえば「人はテレビやマンガに影響される」ってだけの話なんだけど。そういう影響が人の本質でもあるわけだし。

でもいまのこも昔のこも、基本的にはそんな変わってない、ってのが本当のところだと思いますけどね・・・。下校してる小学生の会話なんか聞いてると、全然ふつうだな、朴訥だな、と思います。結局”子供不在”の状態で大人たちがあーじゃねこーじゃねと騒いでるだけなんでしょう。その挙句に発達障害だの人格障害だので薬漬けですわ。



> 今話題の(?)村上春樹のオウム信者のインタビュー集(アンダーグラウンド2)とか読むと、哲学的というか抽象的なことに悩んで、哲学や仏教を辿ってオウムに行き着いたみたいな人が多い感じですね。
> 加藤智大の場合は、彼女ができないなんていう俗物的な悩みだったわけだから、オウムには行かなかったんじゃないでしょうか。
> あの事件は、オタクになれなかったから、という分析が一見適当そうで一番当たってる気がしますけど・・・


へー、そんな本があるんですか。ちょっと興味あるな。

加藤については僕としてはアダルトチルドレンの超悲劇的末路、それから醜形恐怖という見方です。ACについてはそんな記事を過去にはブログに書きましたし。大勢の被害者がいるので語りづらい部分もあるのだけど、それでも僕は加藤に同情してしまう。

オタクになれなかったから、っていっても、そんじゃ現オタクの中に「俺だって加藤になったかもしれない」とつぶやきそうなやつが一人もいないかといったら、そうじゃないような気もしますけれど。オタクになればよかったのにっていうのは斎藤の分析ですか?それは知らないのでわかりませんが、「ひきこもりにはなんでもいいから欲望を持ってもらうのが一番」というものの延長線上じゃないかな。シンプルにいうとガス抜きになるから、コミュニティに繋がれるからということかな。読んでないからなんともいえませんが。それならわかりますけどね、でも「オタクになればよかった」という結論だと一理はあっても二理以上はないんじゃないかな。ネット使っていても各種コミュニティに接続できない人ってのも、ありますからね。オタクコミュニティ、リア充コミュニティ、ひきコミュニティ、2ちゃんコミュニティ、etcアングラ的に繋がれる仲間コミュがいろいろあっても。



> スピリチュアルが流行ったのは、インスタントで手軽だからでしょうね
> 宗教は自殺を禁じたりしますからね。鬱陶しいことに。
> 仏教は本来は自殺禁じてないはずなんですけど、なぜか禁じてることになってますよね・・・。奴隷が死んだら困るからなんでしょうけど


まあインスタントで手軽だってのもそうだけど、スピリチュアルが流行るのも、(僕もふくめ)みんな自分ってものが不安定でぐらぐらしているからでしょう。自分の今の現状が、前世のカルマによるものだった、っていうのはすごく飛びつきたくなる話でしょう。なんつったって、ありもしないものに原因を押し付けられるんですから。

フジアナの中村仁美だったかな、どっか海外旅行にいってきれいな風景があったのでカメラで写真を撮っていて、気づいたら涙が流れていた、というんです。で、なんでその涙が流れたかというと、「わたしは前世でここに住んでいたから、前世の魂がここに反応して泣いたんです、きっと。いやこれ本当です、絶対。」って力説してて。あれ以来中村仁美は完全にアホだと思いました。涙なんて気温とか気圧とかそういう条件さえそろえば生態的な反応として出てきますからね。カメラで写真を撮っていたという、目にやけに影響がかかる行為をしていたことも関係あるのかな、と思いましたけれども。まあどうでもいいかそんな話は。

深く考えたくないんですよ、みんな。僕も安易に飛びつけるものがあるなら、飛びついてしまうかもしれない。それで納得するかもしれない。いや、すくなくともここまで生き延びてるということで、もうすでにそういったものは各種獲得してきてるはずなんです。たとえば、一般的にはこむずかしいとか思われる本で僕がウンウンうなりながら読んでいても、それもやっぱりそういうものに飛びついて納得してるだけとも言える。だから、そこにレベルの高低を見出して「僕はこむずかしい本を読んでるんだ、血液型占いを信じてるようなやつらとは違う(キリッ」とはなんか言えない気がする。なんかそんな思いがある。

スピリチュアルにはまるのもエヴァにはまるのも斎藤環の理論に納得するのも香山リカの本を読み漁るのもアーキテクチャがうんたらかんたらとかも、、基本的にはどれもこれも同じこと、地続きの連続体のことなんじゃないか、と思いますね。

ただ流行ってるものは流行ってるがゆえに流行ってるからこそ軽薄になっていく、理論が簡単になっていく、みんなが飛びつくから”マジョリティ”という形式が出来上がって、単純化されていって、「あんなのは商業主義の軽薄な考え方だ」と思うような土台が出来ていくだけで。流行りものも、本質はすごいややこしかったりするんですよ。スピリチュアル、霊性世界の奥の深さ(?)はすさまじいです。まあその奥の深さが結局理屈めいていて、「結局霊とは関係ないじゃないか」って話なんですけど。

うーん、何を言いたいのかよくわからなくなりました。この辺、無視してください。



ではでは。

小笠原

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社会参加への先取り不安

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「ひきこもりって、病気なんじゃないの?」
「ゲイって、病気なんじゃないの?」


「ひきこもりって自分で選んでそうなったくせに苦しいってどういう了見?」
「ゲイって自分で選んでそうなったくせに苦しいってどういう了見?」


「ひきこもりとかいって、女の腐ったみたいなやつだな」
「ゲイとかいって、女の腐ったみたいなやつだな」


「ひきこもりは犯罪者予備軍」
「ゲイは性犯罪者予備軍」


「ひきこもりだなんて、親不孝。親に殺されても仕方ない。」
「ゲイだなんて、親不孝。親に殺されても仕方ない。」


「ひきこもりのくせに、社会人様&健常者様に意見するな」
「ゲイのくせに、社会人様&健常者様に意見するな」


「ひきこもりも、外の良さがわかれば治るって」
「ゲイも、女の良さがわかれば治るって」


「ひきこもり?まあいいんじゃないの。誰にも迷惑かけないでひっそり生きる分には……」
「ゲイ?まあいいんじゃないの。誰にも迷惑かけないでひっそり生きる分には……」


「ひきこもりとか俺まじ許せねえ。ぶっとばしたい」
「ゲイとか俺まじ許せねえ。ぶっとばしたい」


「ひきこもりっているの?ネタじゃなくて?見たことないんだけど。テレビはやらせじゃなくて?」
「ゲイっているの?ネタじゃなくて?見たことないんだけど。テレビはやらせじゃなくて?」


僕はもし社会参加するようになったとき、「ひきこもりだったこと」「ゲイであること」、この二つがボロが出ないように神経をすり減らさなければならない生活が待っている。

そして、もしバレたとき、あるいはカミングアウトしたときには、これらの質問に、全部いちから説明と回答をしなきゃいけない。それぞれ別々で。でも、別々じゃなく、実は繋がっているんだけど、という説明も間に入れながら。

どんだけ労力が必要になるんだろう……。

バレてもしんどい。バレなくてもしんどい。身体は仕事していて外にでていても、内側がずっとひきこもり。それが耐えられなくて、結局身体もひきこもりになってしまったんじゃないっけ。どうだったかな。

笑いのネタに変換することもできようが、そうするとずっとそういうキャラに位置づけられてしまう。本当はそんなことしたくないのに。



あと、もしかして上記したようなことって、一部のオタクの人も感じてるようなことなのかなあ、と思ってる。mixiとかでもそんな子たちは結構いた。



忘れちゃいけない、大丈夫、味方はいる。味方はいたんだ。ふんばろう。なんとかふんばろう。



(※カテゴリーを「同性愛・カミングアウト(仮)」にしようか「ひきこもり=クローズド」にしようか悩んで、結局「ひきこもり=クローズド」にした。根底はどちらもClose状態のことだから)

引きこもり自分自身エッセイ自虐駄文

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「スプーン」で大笑いした話

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何年前か、十数年前か、子どもの頃か、高校生ぐらいか……覚えてないんだけど、こんな事をふとおもった。

「スプーンはなんで”スプーン”なんだろうか?」

まあ、これだけならありがちな哲学っ子みたいな感じなんだけれど。

多分、普通なら「どうしてこの形状のものに、この”スプーン”という名前が当てられてるのか」という感じに考えるのだと思う。もちろん、僕もそれがまず大前提。

ただ、僕の場合、それに付け加えて、音の組み合わせがなぜ「ス」「プ」「ー」「ン」で、この順番なのだろう、どうして「スプ」で「プーン」で「ーン」なんだろうとか、そういう感じのことを思っていたのだった。

「スプーン……スプ?スプーン。プーン。ンー。スプー。スプーン。これ、スプーン。スプーン??スプーン。」

そんな事を考えてるうちに、笑いがこみ上げてきた。実はこれを書いている最中も、ちょっと笑ってしまっている。

「スプーン!わはは!スプーン!!ゲラゲラ!!!スプーンだって!!スプーンだってさ!!!アハハハハ!!!」

腹がよじれるほど面白かった。これが、スプーン。何故かど言う訳か、「ス」「プ」「ー」「ン」。それが面白かった。

その後、フォークでも試してみたのだけど、フォークでもちょっと笑えたのだが、「ス」「プ」「ー」「ン」ほどじゃあなかった。

なんでなんだろうか。なぜ「ス」「プ」「ー」「ン」であんなにも笑え、更にいまでもちょっとツボなんだろうか。この辺、どことなく精神病的な何か仕組みや構造、あるいはシニフィアンだのシニフィエだのについて思い至ってしまうのだが。でもそこまでいくとよくわかんない。(ラカン派精神分析入門、読んでる途中のままほったらかしだー)

そんなことで一人遊んでる子どもでした、というお話さ(で、それは今もまだ続いてて、あんまり理解してもらえない。まあそれは当然のこと、だって自分でもよくわかんないんだもの)。

こういう現象をさして、ゲシュタルト崩壊っていうんだろうか。だとしたらゲシュタルト崩壊もなかなか楽しいものである。

■想像上の誰か:「やっぱゲイの人って、感性がノーマルな人とはちょっと違うんですね。読んでて改めて思いました。」

あなた、ちょっと殴ってもいい?グーで殴ってもいい?

引きこもり自分自身言語学エッセイ

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中島みゆきの「ふたりは」で涙がボロボロ出る

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18:37 09/06/26

今、なんとなく中島みゆきの「ふたりは」が聴きたくなって、再生して、歌詞カード開いてなんとなく小声で歌ってた。

緑為す春の夜に 私は
ひとりぽっちさまよってた
愛だけを望む度
愛を持たない人だけが何故よびとめるの


泣いた。ぼろぼろ泣いた。声はさすがにあげないけど、涙がドバーッと溢れた。

ここで書かれてる中島みゆきの意図と、僕の意図、それはもちろん当然違う。僕の場合は自分の中での同性愛の部分、ゲイバイアスでこの歌詞の部分が引っかかったのだった。

でも、中島みゆきは自分の曲について「鍋とかフライパンとか、そんな感じでお好きに使ってください」って言ってたような覚えがある。ああそうか、あれはそういう意図だったのかな、と今更ながら再確認する。

「ふたりは」の歌詞。(うたまっぷ)

この歌は、まあ表面だけなぞらえれば、傷ついた売春婦と傷ついたやくざものの出会いであり、結末は母性病理的なファンタジーで終わってるように思う。男は結局それに取りこまれた、というようにも思ってしまうけど。(こんな解釈する&できる日がくるとはおもわなんだ)

→想像上の誰か:「で、この歌詞の何がそんなにひっかかったんですか?小笠原さんは。そんな泣くほどまでに。」

説明するの、難しいので、すごく簡単に書きます。

愛を求めて普通に生きていても、周りにいるのはヘテロ男性(と、そうと思しき男性)しか出会えない、ということが大きいです。

また、ウッカリしていると、いつのまにか女性に好かれてしまう事がまれにある。女性に告白されてしまう。求められてしまう。どうしたらいいのだろう?
(→想像上のノンケ:「贅沢な!!つかそうすると女が近づいてきてくれんの!?じゃあ今日から俺もゲイだって言おうかな!?」。
→想像上の僕:「なあ、ぶっちゃけ女のどの辺に興奮するの?ふわっとしてるから?やわらかいから?やっぱりおっぱいとかマ○コとかが好きなの?そんでマ○コにチンコぶち込みたいとか、思うの?出来ればゴムつけないで生でやって中出ししたいって思うの?ノンケは普通はみんなそうなの?それとも違うの?ノンケって、時々「いやあ〜男は女を見る時、下心しかないからね〜」とか言うじゃん。そうなの?こんなこと誰にも聞けないの、教えて。」)

あとは、ちょっとこの歌詞の意図とは本当にずれるけれども、よくノンケに片思いしてる人が言いがちなことで、こういうことがある。

「いつも遊んでる友達、当然ノンケなんだけど、俺、そいつのこと好きになっちゃってさあ。だから、こっちとしてはもう好きだから友達やってる、みたいになってる訳。でも向こうは親友、なんでも話せる仲だと思っててさ。こっちは好きだから誰よりも親密になりたいしそうしてるわけなんだけど、向こうは”俺達すげえ親友だな!”とか言ってきたりするんさ。親友である理由、それが結局俺が奴を好きだってこと、愛してるからってことが奴に知れたら、この関係は一体どうなるんだろう??それに奴を騙して付き合ってるみたいな気がして、罪悪感もままある訳よ。でもって、向こうは”何でも話せる親友”だと思ってるから、平気でこっちに”彼女が出来たよ!”とか”SEXした!”とか言ってくる訳。もうさあ……辛いわ。でも一緒にいたくてさあ。だけど罪悪感があって。どうすりゃいいんだよ。そいつさあ、本当に最近彼女の話ばっかするん。こないだなんか、二人の写メ見せられた。もうキツくって、奴とはちょっと距離置いてる。メールとか電話とかよこしてくれんだけど、『ちょっと忙しいから』つってごましてんだけどね。でも俺は本当は奴にすげー会いたいんだよ。もう身が引き裂かれそうだ。マジ死にたい」

愛だけを望む度 愛を持たない人だけが何故よびとめるの

愛を望んでるんだけど、向こうは友情でやってくる。その友情が、愛ゆえに死にそう。そんな感じにも受けとってしまう。

→想像上のみゆきファン:「ちょっとー、この歌はそういう歌じゃないでしょう……崇高な世界を、そんなあんたの変な性癖で汚さないでくれない??」

すいませんすいません。本当にごめんなさい。

引きこもり中島みゆき音楽日記自分自身エッセイ

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ひきこもり系とニート系の違いが見えてきたような

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ここ最近、ひきこもりクローズドとニートと、それぞれやり取りする機会が増えてきている。その中で、ちょっとだけ感じ始めていることがある。まあ、本当に数人のサンプルだけで判断してるのだけど……。

ひきこもりクローズドとニートは、その感性がかなり違う(、表面上のコミュニケーションだけをなぞると、そのように見える部分がある)。逆にいうと、ニートを自称していても感性はひきこもりクローズドな人がいるし、ひきこもりクローズドを自称していても感性はニートな人がいる。

ひきこもりクローズドは、やはり「永遠に終わらない不登校」という感じに見える。ニートは「生活が苦しいプー太郎」という感じに見える。

ここで「生きるか死ぬか」の問題についてはどちらとも共通している。しかし、なんか違う。なんかが違う。ただ、違いをわけながらも、共通部分を見出さなきゃいけないのだけど……。

ぶっちゃけていってしまうと、ひきこもりクローズドの人は、ニートに関わらない方がいい気がする。ニート”のみ”を自称してる人は、それなりの処世術を持っており、他人の弱みを握ることにそう躊躇いがない。翻ってひきこもりクローズドの人は、まったく処世術をもたず、自分を正直に出しすぎて相手に弱みを握られ、そうしてつぶれてしまう(この辺、ヘテロとクローゼット・セクマイの関係性と非常に共通する、が、ややこしいのでここでは書かない)。

社会的な環境によって身動きが取れない・取らせてもらえない、それは同じ感じがする。

しかし、ひきこもりクローズドとニートを一緒くたにすると、そこでもまた社会の縮図が起きてしまう気がする。すなわち、ニートがヘテロ社会における文脈的存在となり、ひきこもりクローズドがそこにおける隠蔽される存在になる。そんな気がする。

うまくいえないし、結局ニート批判みたいになってはいるのだが……。

”美学”は時に迷惑で、うざったい鬱陶しいものである。だがなさすぎるとそれはそれで対象への直接的な欲求と諦念とルサンチマンにまみれる気がする。

悪臭を放つほどの美学を持っているのが、ひきこもりクローズド。
美学をもたなすぎるがゆえに悪臭を放っているのが、ニート。

そんな感じかもしれない。あるいは、

「正直に生きたい!全部正直に生きたい!」がひきこもりクローズド。
「正直になんか生きるのは無理だよ。所詮そんなもん」がニート。

とか。

そして多分、ここにあの”去勢”が絡んでくるのかな、と思ってはいるんだけど……難しいので書けない。あえていうなら、しっかりと去勢されてるにもかかわらず、社会的要因で職を得られないのがニート、かな。

■想像上の誰か:「おい、おまえ何様のつもりだよ。おまえだってただのひきこもりだろうが。クソホモが」

結局、僕は”同性愛者として”みたいな目線がちょっと使える位置があるんですよ。申し訳ないけど。そうするとね、僕はニートにせよひきこもりクローズドにせよ、やはり男社会の犠牲者にしか見えない部分があるんです。が、ニートもひきこもりクローズドも結局その男社会のフレームの中で男社会に戻りたいってやってるだけであって、なんかそこんところ、もうちょっとうまくいかないかな、って感じなんだけど……。

14:44 2009/06/26

男社会という言葉ついでに。以下先日mixiに書き込んだ内容。



あと、これは個人的なあほらしいアイディアなんですけど、ひきこもりには男性が多いというのを逆手にとって、ひきこもりを道具にして、何か女性にブームを起こせばいいんじゃないかなっていう気もしてるんですが・・・。

女性層は言葉をカジュアルに自由自在に使ってくれるところやセンスがありますから、「ひきこもり」というのも、意味合いを軽くしてくれると思うんです。

パッとはおもいつかないけど、「ヒッキー女子」みたいな感じで・・・。「ヒキ女子力で恋をゲット!」みたいなね(笑)。

そうすれば、「ひきこもりとか言われたくねえ!」とか思い始める男性も出てきて、それでひきこもりから抜け出すきっかけになる、なんてこともあるんじゃないかと思うんです。ひきこもりの男性に多い心性としては、「男のくせにひきこもりだなんて情けない、でも抜け出せられない」っていうものだったりすると思うので。そこで、女性に「ひきこもり」という言葉を持っていってもらう。女性のものとしてもらう。そうすることで、「あほらしい!」って思う男性ひきこもり当事者もでてくるんじゃないか、と・・・。(まあちょっと女性蔑視のような思考回路かな、これ・・・)

引きこもり自分自身ニート

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プロフィール

Author:小笠原毅(おがさわらたけし)
1978年生まれ、30歳。埼玉県北部在住。

男性ひきこもり当事者です。同性愛者でもあります。あと多分アダルトチルドレンかも。発達障害、人格障害には懐疑的です。

目次(※非鋭意作成中)

ブログ方針・プロフィールetcはこちらだったんですが、2009年6月にブログ上で同性愛者であることをカミングアウトしたことから方針が大分ぶれてきています。

カジュアルなプロフィールとしてはFC2プロフをごらんください。メールはこちらへ。BBS→ひきこもり・ニートetc掲示板mixiも一応やってます。

当ブログの読み方は、ちりもつもればひきこもり/チリモツモレバヒキコモリ/chirimo tsumoreba hikikomoriです

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